1271年(文永8年) 塩田始まる(字北岡)
1498年(明応7年) 8月25日大津波五十鈴川に来襲、細流であった汐合川が本流になり江川が支流となった。
1583年(天正3年) お木曳きに参加(木曽山で伐採され八郷曳始まる)
1854年(安政元年) 11月4日大津波
1856年(安政3年) 堤防決壊し収穫皆無となる。
1862年(文久 年) 再三上沖(字木出または字小原)堤防決壊し1町歩ほど川原となる。
1872年(明治5年) 1月2日塚崎(東鹿海)と寺中(西鹿海)が合併
1875年(明治8年) 5月28日鹿海村学校開校(旧会所) 閉校は明治18年3月、明治17年4月24日䛻盛小学校(楠部)に合併
1889年(明治22年)町村制が実施され四郷村大字鹿海となり役場を楠部におく。
1903年(明治36年)7月1日伊勢電気鉄道(JR)字西新田を通る。
1907年(明治40年)耕地整理始まる。
1913年(大正2年) 耕地整理完成
1917年(大正6年) 耕地整理記念碑設立
1944年(昭和19年)12月7日東南海地震、字西新田、新田の地盤が陥没する。
1945年(昭和20年)米軍の空襲で西鹿海(字西)片原(字南田)が大半を焼失
1951年(昭和26年)鹿海神社設立  五十鈴川堤防改修開始、1962年(昭和37年)まで続く。
1953年(昭和28年)第59回神宮式年御遷宮
1955年(昭和30年)1月1日宇治山田市と合併、度会郡四郷村大字鹿海から伊勢市鹿海町となる。
1959年(昭和34年)伊勢湾台風上陸、被害甚大
1966年(昭和41年)青年学級文化祭開く
1967年(昭和42年)同上、鹿海町郷土史発刊
1970年(昭和45年)11月鹿海神社神遷
1975年(昭和48年)第60回神宮式年御遷宮   南勢バイパス(R23)通過(字前山)、平成6年に4車線化される。
1973年(昭和48年)10月5日堪水防除完成、50年8月29日町へ移管
1977年(昭和52年)上水道工事開始、53年6月完了
1990年(平成2年) 11月鹿海神社神遷(次期平成22年)
1991年(平成3年) 新掘割橋完成(市道朝熊浜郷線)
1991年(平成3年) 祝祭博関連事業で一色溝改修始まり現在に至る。
1993年(平成5年) 第61回神宮式年御遷宮
1998年(平成10年)県道舘町通線拡幅工事始まり現在に至る。
1999年(平成11年)杜の宮団地完成(字前山)、分譲開始
2006年(平成18年)第62回神宮式年遷宮 第1年次お木曳(7月29日) 
2007年(平成19年)第62回神宮式年遷宮 第2年次お木曳(7月28日)     
2010年(平成22年)11月鹿海神社神遷
2013年(平成25年)第62会神宮式年遷宮 お白石持行事 7月27日に内宮 8月17日に外宮




 
 
豊かな自然と歴史にはぐくまれた町
鹿海町

 
◇◇◇ 位置と地勢
 鹿海町は伊勢市の東部にあります。東の五十鈴川、西の国道23号、南の鳥羽二見ライン、北のJR参宮線に囲まれた中に位置しています。五十鈴川に沿って田園風景が広がる自然豊かな町です。また、名所古蹟も沢山あり,伝統ある町でもあります。
 
 ・面積  2.22 k㎡
 ・人口と世帯数                           :資料:伊勢市の人口統計情報より)
   世帯数    総数     男子    女子
    564   1,443    695    748  
                             令和4年6月30日現在


直線上に配置 

◇◇◇ 歴史
「鹿海・かのみ」の由来」
 昔、この地に倭姫命が通りかかったとき、村の女性が苗草を頭に戴いて運んでいた。
皇女がその様子を不思議に思い、「どうしてそのようにするのか」と何度も尋ねられた。村人は「この国は総て物を持つのに加乃見す」と答えた。そこで、皇女はこの地を鹿乃見と名づけられた。(資料・大神宮本記)
 
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