年譜
年譜
安政5(1858)年 | 0歳 | 11月20日、現在の神奈川県津久井郡津久井町又野に生まれる。 父・行正、母・貞子の長男。 |
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明治2(1869)年 | 11歳 | 父・行正、明治政府につとめる。母と共に上京する。 塾に通い、学問にはげむ。 |
明治4(1871)年 | 13歳 | 父・行正、高崎県(群馬県の一部)に転任、一家は高崎に住む。 高崎の英学校に通う。 |
明治5(1872)年 | 14歳 | 父・行正、渡会県(三重県の一部)に転任、一家は伊勢山田に住む。 宮崎文庫英学校に通う。 |
明治7(1874)年 | 16歳 | 7月、上京。福沢諭吉の慶應義塾に入学。 |
明治9(1876)年 | 18歳 | 慶應義塾を退学、工学寮に入学。 |
明治10(1877)年 | 19歳 | 工学寮退学。「討薩論」を新聞に発表。翻訳書出版。 |
明治11(1878)年 | 20歳 | 繁子と結婚 |
明治12(1879)年 | 21歳 | 福沢諭吉の推薦により新潟新聞の主筆となる。 新潟県会の指導にもあたる。北越興商会をおこす。 |
明治14(1881)年 | 23歳 | 7月、統計院権少書記官となる。10月やめる。 |
明治15(1882)年 | 24歳 | 立憲改進党を組織する。報知新聞記者となる。 |
明治17(1884)年 | 26歳 | 報知新聞特派員として、清国の上海に出張する(8~11月)。 |
明治18(1885)年 | 27歳 | 東京府会議員となる。 |
明治20(1887)年 | 29歳 | 保安条例により、3年間東京退去を命ぜられる。 |
明治21(1888)年 | 30歳 | 海外視察の旅に出る。アメリカ・イギリスに渡る(1月30日~翌12月24日)。 |
明治23(1890)年 | 32歳 | 第1回衆議院議員総選挙(7月1日)に三重から立候補、当選。 以後、昭和27年10月1日第25回総選挙まで連続当選。 |
明治29(1896)年 | 38歳 | 進歩党を組織する。外務参事官になる。 |
明治31(1898)年 | 40歳 | 憲政党を組織する。6月30日、大隈内閣の文部大臣となる。10月22日やめる。 |
明治33(1900)年 | 42歳 | 政友会を組織する。総務委員となる。 |
明治36(1903)年 | 45歳 | 東京市長になる。市政改善に力をつくす。 |
明治43(1910)年 | 52歳 | ベルギーの「万国議員会議」に出席する(5月11日~11月18日) |
明治45(1912)年 | 54歳 | 桜の苗、3000本をワシントンにおくる。 東京市長をやめる(6月27日)。 憲政擁護運動の先頭に立って活躍する。 |
大正2(1913)年 | 55歳 | 桂内閣の弾劾演説をする(2月5日)。 |
大正3(1914)年 | 56歳 | 第2次大隈内閣の司法大臣となる。 |
大正5(1916)年 | 58歳 | 大隈内閣総辞職により、司法大臣をやめる。 再び憲政擁護運動の先頭に立って活躍する。 |
大正8(1919)年 | 61歳 | 世界大戦後の欧米視察の旅に出る(3月17日~12月31日)。 |
大正9(1920)年 | 62歳 | 普通選挙運動の先頭に立って活躍する。 |
大正10(1921)年 | 63歳 | 軍備制限に関する決議案を提出する(2月10日)。 |
昭和3(1928)年 | 70歳 | 三大国難決議案を提出する。思想・政治・経済について(4月28日)。 |
昭和6(1931)年 | 73歳 | カーネギー財団から招かれ、渡米。欧州にも渡る(8月13日横浜出航)。 |
昭和8(1933)年 | 75歳 | 夫人・英子の遺骨と「墓標にかへて」の論文を抱いて帰国(2月21日)。 |
昭和10(1935)年 | 77歳 | 憲法発布50周年記念に表彰を受ける(3月16日)。 |
昭和12(1937)年 | 79歳 | 辞世の歌をふところにして、決死の覚悟で軍部攻撃の演説をする(第70議会2月17日) |
昭和16(1941)年 | 83歳 | 大政翼賛会と日・独・伊の三国同盟に反対。近衛内閣に質問書を提出する(2月)。 |
昭和17(1942)年 | 84歳 | 翼賛選挙(第21回総選挙)に反対。東条内閣に質問状をおくる(4月)。 選挙中に不敬罪で起訴され、巣鴨拘置所に入れられる(4月20日)。 東京地裁で懲役8ヶ月、執行猶予2年の判決(12月21日)。 |
昭和19(1944)年 | 86歳 | 大審院で「不敬罪事件」は無罪となる(6月27日)。 |
昭和20(1945)年 | 87歳 | 「休戦宣言と新世界建設の提唱」「平和的新世界建設の要件」執筆中に敗戦となる。 「世界連邦建設に関する決議案」および敗戦の責任を負って、衆議院議員の総辞職を提案する(12月11日)。 昭和天皇の招きにより、宮中で天皇にお会いする(12月29日)。 |
昭和21(1946)年 | 88歳 | 「正三位勲一等」を返上する(5月4日)。 |
昭和25(1950)年 | 92歳 | アメリカの「日本問題審議会」の招きにより渡米する(5月16日~6月27日) |
昭和27(1952)年 | 94歳 | 衆議院から憲政功労者として表彰される(2月16日)。 |
昭和29(1954)年 | 95歳 | 衆議院名誉議員に推薦される(7月17日)。 東京都名誉都民として推薦される(10月1日)。 神奈川県逗子市の風雲閣で永眠する(10月6日)。 |