尾崎咢堂読書感想文コンクール

平成25年度読書感想文コンクール市長賞(小学校・中学校の部)

       「尾崎行雄ものがたり」を読んで

                     神社小学校6年   林ブランデン昇吾

 「憲政の神」「議会政治の父」と称えられ六十三年間という長い期間にわたって国会議員として活躍した大政治家、尾崎行雄が、ぼく達の住む伊勢で少年時に勉学にはげみ、そして第一回衆議院総選挙に三重県から出馬し当選して輝かしい政治人生の第一歩をふみ出したことを大変ほこりに思います。

 尾崎行雄が民主政治の確立と発展のためになしとげた偉業は数多くあります。そこにいたるまでに彼がどういう考えを持って、どういう努力をしていったかをしっかり学んでぼくも少しでも彼に近づくことができたら良いと思います。

 全ては、彼の幼少のころからの勤勉さから始まったと思います。最初はもちろん親からあたえられた勉強だったと思いますが、伊勢の英学校で学びの大切さを知りやがて東京に出てさらに上の学校で勉強したいという希望が強くわき、慶応義塾に入学しました。このとき彼はまだ十六歳でした。親の元をはなれ勉学のためにあえて苦難の道を選んだ彼の強い心をぼくも見習いたいと思いました。楽をしようとすれば彼のような立派な人間にはなれないんだと思いました。これからぼくも勉強だけでなく何事においても努力をおしまず変化をおそれずつねに前向きな気持ちで取りくみたいと思います。

 尾崎行雄のすごかったところは一歩先を見る目にもあったと思います。彼は今うまくいっているからそれでいいという考え方は決してしませんでした。学生時代も学校で習ったこと以上の新しい提案を論文に書いて提出したり、そしてなんとその中身を実現させるために慶応義塾を退学しさえしました。職についてからもそれで満足せずさらに成長するために多くの時間を読書など独学についやしました。また二十歳そこそこの若さで「これからは筆で人民を導くだけではいけない。口でも教えなければならない。演説はどうしても必要だ。」という恩師の福沢諭吉の教えをうけ、それまでの文筆活動にくわえて演説活動にも力を入れ始めました。彼の演説が不評だった時期もあったようですが、持ち前の強い意志とけんきょさですぐ弱点を克服しすばらしい演説家になりました。彼が演説で人の心を動かすことができたのは、彼が使った言葉そのものではなく、聞いてくれる相手のためにという思いが強かったからだと思います。演説というとどうしても言葉のきれいさや、力強さに目が行ってしまいがちですが、尾崎行雄の相手の心を大切にする考え方をぼくも学びたいと思いました。

 尾崎行雄は、早くから世界にも目を向ける国際感覚ゆたかな人でした。国会議員として活躍するずっと前から日本の世界に対する姿勢を心配していました。日本人は、強国に対する卑屈な態度と逆に弱国に対する軽蔑な態度の、どちらも改めなければいけないという考えを新聞に発表していました。日本人としてのほこりとけんきょさを同時に合わせ持った、すばらしい考えだと思います。これから日本が国際社会でさらに活躍するために決して忘れてはいけない姿勢だと思います。尾崎行雄は戦後も世界連邦建設を提唱するなどして、「狭い民族主義や国家主義の観念を捨て世界主義の立場を取らねばならない」と世界平和への願いを語りました。今日本に平和があるのはこの人のおかげだと思いました。彼は「憲政の神様」と言われていますが同時に「開国の神様」だと思います。

 尾崎行雄は伊勢が、日本が、世界にほこれる偉人であることを、ぼくは、ほこりに思います。


            「自分の未来と咢堂」

                     宮川中学校3年4組 田中 朱音

 今の日本には、この人のような人物が必要だ。と、私は思います。

 まだ私が幼い頃、一度だけ尾崎咢堂記念館に行ったことがありました。当時の私は歴史や政治のことはよく分かりませんでしたが、咢堂の写真や資料を見て、真っ直ぐな人だなと思ったのは今でも印象深く覚えています。そして今、再び咢堂について調べてみると、彼が波乱な生涯の中で、思ったこと、考えたこと、そして行動したことに胸を打たれました。その中でも「二つのフセン」という思想が特に好きです。二つの「フセン」とは、「普選」と「不戦」という意味で、普通選挙に基づく民主政治の確立と、軍事縮小や世界平和を目覚した咢堂の強い願いや志がこめられていました。咢堂の民主政治は連続当選25回という素晴らしい記録を残しています。しかしその裏方には常に平和を唱え、民衆と同じ目線で政治活動を行った咢堂の真っ直ぐな心があったのだなと思います。

 私は今年、平和を伝えるピースメッセンジャーとして広島へ行きました。そこで参加した平和記念式典ではたくさんの人が出席していて、中には涙を流している人もいました。戦争は、全てをうばいさるおそろしいものであり、私達は、命を大切にしていかなければいけないということを、私は、改めて学びました。咢堂も同じく平和を願い、そして実行をしています。咢堂が昔アメリカへ贈ったさくらの木々は、平和への架け橋のようだと思いました。私も、学び考えるだけで終わらせるのでなく、自分自身が行動し、平和を伝えていきたいです。

 残念ながら現在の世界は「平和な世界」とは言えません。国や地域によって豊かさにずいぶん差があったり、内乱やデモ、戦争などが今でも続いていたりなど、悲しい出来事はまだまだなくなっていません。私は、こんなときこそ、咢堂のような指導者が必要だと思います。最後まで、己の意思を貫き通し、国民のことをよく考え、平和を願う。このような人物は一見居そうで居ません。

 ならば、私達は一体どうしたら良いのでしょうか。

 私は今政治家にはなれませんが、人と助け合うことができます。将来子供が産まれ、大きくなったら、平和を伝えることができます。このような少しでも助け合ったり支え合ったりすることを続ければ、ほんの少しは咢堂が望んだような世界に近づけるのではないかと思います。そしていずれは争いで涙を流したり、心や身体が傷付く人が一人もいなくなればいいなと思います。

 幼い頃に見た尾崎咢堂と、今私の中の尾崎咢堂とは大分違っていたけど、常に志を持ち、日本のために生きた咢堂から平和についてのことや、未来のこと、そして自分のことを考えされられました。

 私は、将来、咢堂のような人に、とまではいかないけれど、あのアメリカとおこなった桜の木の寄贈のように、たくさんの世界の国々と日本を結ぶ、結び目のような仕事について、活躍したいです。そのために、今は精一杯勉強し、世の中のことをたくさん知って自分の夢を必ず叶えようと思います。

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