『水無月に雨の音なく月の顔 うさぎ搗きしはあたたかき風』
Ⓒ刀用軒秋嶽・天陽
空梅雨である。通常、梅雨というものは雨が「これでもか」というほど降り続き、空気の中にいるのか、水の中にいるかわからない。その季節だけ、哺乳類でも気分は両生類である。雅司は梅雨が殊のほか嫌いであった。だから、雅司の気分は最高であった。一方、飛鳥はどういう訳か梅雨が大好きである。あの雨の降りつづける季節、特にジメッとした空気がなんとも言えない、という。だから、とっても機嫌が悪い。こんな二人が1つの部屋のいるのだから、空気は陰と陽、火と水である。
「いや、こういう季節にお日様の光をたっぷり浴びられるっていうのはいいもんですなぁ、飛鳥さん?」
「梅雨って言うのはね、大地に恵みの雨をもたらすものなの。この季節のおかげで料理もできるしお風呂にも入れるの。もっと悲しんだらどうなの、雅司君?」
実はこういう会話がさっきから延々4時間も続いている。機嫌のいい男と機嫌の悪い女。会わなきゃいいのに、と思うのだが同棲しているのだからしょうがない。そんなこんなでもう夕方も終ろうとしている。
「ところでさぁ、今日の夕飯は?」
「あるわけないでしょ。私は今日はハンガーストライキ中なの。」
「なんで!」
「梅雨をちゃんとしない地球に訴えてるの。」
「・・・・・・。じゃあ,食べてくるからお金。」
「この間渡した小遣いは?」
雅司はそこで絶句する。ついこの間小さな鉄球をたくさん出すお店や、話もした事のない男の乗る馬に全額寄付してきたばかり。福沢諭吉どころか新渡戸稲造とさえも涙ながらに別れた。夏目漱石でさえしばらく見ていない。一番の友達はアルミや黄銅の丸い人たちである。
「もういいよ。」
雅司はそのままベランダに出た。実は朝からこの調子であり,何も食べていないのである。朝は「起きたくない!」と拒否され昼は「ダイエット中!」と拒まれ。
(ちょっと調子に乗りすぎたかな)
と謝ろうとも思うのだが,そんなことしようものならまたしばらく頭が上がらない。何かいい策はないものか、と空を見上げると月がまん丸であがっていた。そういえば今日は満月だ。
「綺麗なもんだ。飛鳥、今日は満月だよ。」
「あ、そうなの?」
と飛鳥もベランダに出てくる。二人はただ、月を眺めていた。時々、涼しくなった風が通り抜ける。
「月にはウサギがいて餅をついているんだよな?」
「なにいってんの?あれは蟹。」
日本人ならあれはウサギのもちつきに見えなければならない。なんで蟹なのか。
「どこが蟹?」
「ホラ、蟹がはさみを振り上げているじゃない。」
「もしもし?あれはウサギの耳なんですよ。」
「蟹!」
「ウサギ!」
二人はベランダに立って大声で「蟹・ウサギ論争」をおっぱじめてしまった。煙草を吸っても酒を飲んでも怒られないような年になってもやっていることはいまどきのマセガキ以下だ。下の道を歩いている子供に笑われてやっと我に返る。
「いい年した大人が。」
「何やってんだか。」
二人の喧嘩はクスクス笑いからやがて大爆笑にかわった。
「ご飯にしよっか?」
飛鳥はとつぜん切り出した。さっきまで「ハンストだ!」などと叫んでいたのに大笑いして気が晴れたのか今は食べる気満々である。
「おかずは?」
「あるわけないでしょ。今日はカップラーメンよ。」
「ちゃんと作ってよー。」
雅司としてはせっかく昨日の夕飯以来のご飯である。腹いっぱいご馳走を食べたい。今まで無駄に失ったカロリーを回復したいのだ。只でさえ、痩せすぎと評される雅司だ。多少は肉をつけたいのだ。
「何いってるの。この暑い季節にお湯を沸かすという労働がどんなにじゅうろう・・・」
「わかった。わかりました。」
せっかく機嫌が直ってご飯を作ってくれるのにここで機嫌を損ねられては元も子もない。雅司は泣く泣くあきらめた。そんな雅司を見て、飛鳥はにこっと笑うと
「さっきの月の話だけどさ、あれやっぱりウサギが餅を搗いてるのよ。」
「なんでだよ。」
不思議がる雅司に飛鳥はまた微笑むとこう続けた。
「そうじゃなきゃ、こんな風に風が吹いてこないじゃない。」
定期的に吹いては止む風をウサギが餅を搗いた時に来る風だといってるのか。雅司は理解すると微笑んで飛鳥の肩を抱き部屋に入っていった。