★ 新米プロミュージシャンの憂鬱
2001年10月中旬のある夜のこと
僕は事務所の人間と東京は青山の裏通りを歩いていた
これからアルバムの制作に携わるプロデューサーとである
実際音を作りこむサウンドプロデューサーと初顔合わせのためにだ
場所指定の分かりにくさに少し遅れて到着、なにやら出だしが悪い
先方の御二人はすでに到着し、待ち合わせの店の入り口でこちらを見ている
今までにナンチャッテ業界人(やけにべっ甲メガネが浮いて光ってたり
セーター羽織ってタリ)は腐るほど会ってきたが本物ほどなんか普通の人っぽい印象だ …
いや、実際しゃべるまでの話だが …
軽い挨拶もそこそこに、場所的に少し浮いた感じの大きな和食屋の玄関に入って行く
出迎えた女将サンはこの会社の同僚の集まりとも
友人同士の飲み会とも家族ともいえぬ集まりに少し戸惑いながらも
状況を察知した様で二階の奥の座敷に僕らを案内した…座敷に上がりとりあえずはお互いの紹介
向かい合わせ、右側に座った今回のプロデューサーY氏
クラブ系の音と人脈にメッポウ強くクラブ寄りのアルバム制作に精通
(LAにもスタジオを持ってるらしい〜今度はそこでRECしたいもんだねぇ…)
阿川泰子サンがオファーをかけたというツワモノプロデューサーである
(ちなみにこの時作った彼女のアルバム、彼の後輩である『ケツメイシ』がラップやってたり…)
海外ではこういう立場の人間を『A&R』と呼ぶそうだ
こちらに緊張を与えさせない対応は、こういう場を日常的に踏んでいるからだろう…
そして、隣にドッカリと座るもう一人が
今回のアルバムの音の行方を握るサウンドプロデューサーM氏
自身も昔バンドデビューの経験をもつ、たたき上げのミュージシャンである
実際レコーディングの現場では、彼がミュージシャンを集め
音をMIXしアルバムの音源の方向性を決めていく
インディ時代、セルフプロデュースでしかアルバムを作ったことが無い僕は興味深々
と同時にこれから自分がどう料理されて行くのか不安もひとしお
まさにまな板の上の鯉といったところだ
なんとか自分の作りたい音を説明しようと
ああだこうだと何処かで聞いた風な事を言ってみる〜巧く話せない…
なんか音楽雑誌のインタビューでこんなこと言ってたヤツいたなぁ…
高校時代、授業中隠れて音楽雑誌に載っている
憧れのミュージシャンのインタビュー記事に胸を躍らせ
自分が聞かれたらなんて答えようかと真剣に考えてた事を思い出した…
なんかプロみたい俺、あ。プロになったんだ(笑)
そんな駆け出しのプロミュージシャンの能書きを
目の前の百戦錬磨の二人のツワモノは含み笑いを浮かべ、黙って聞いている…
Takahiroもなかなかいうねぇ…と、ひとり贅に入りかけてふと気がついた
あ(恥)。自分は良くも悪くも一商品なんだ
才能を認められたとはいえスポンサーが付き利益を求められてる
期待に答えられなければ、次の保証は無しの真剣勝負
アーティストTAKAHIROという鶏は金の卵を産むか石が出るか全て自分次第と自分を戒める
そうやって、あたふたしてる僕をみて『まぁ。一緒にええもんつくってったらええねん。がんばりや〜…』
と低く重めの京都弁でM氏がその場を静めた
そんな新米プロミュージシャンが後日
レコーディングでプロの世界の厳しさに、トンでもなく苦戦を強いられることになろうとは …
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