徐福の話

 今年もまた、年を取ってしまった。年は取りたくないね。何でも手に入れてきた秦の始皇帝でも、そのことに悩んでいた。彼は蓬莱の島に不老不死の薬があると聞いて、徐福と言う人に探しに行かせた。徐福は数千人つれて旅立った。なぜ、そんな子どもをつれて行ったのか知らないが、これは修学旅行より大変だ(と、ある先生が言っていた。)三重県の熊野に波田須という小さな町があって、なんとここに徐福の墓がある。徐福はここに上陸していたのだ。当時、日本は弥生時代の始め頃。ちょうどその頃、日本の人口は急激に増えている。もしかしたら徐福の連れてきた子ども達の影響かも?

人口の移り変わり(小山修三『縄文時代』による)

 

埴原和郎の『日本人の起源』と言う本には主な地方の人達の頭骨が形態学的にどのような関係にあるかを一次元座標にしたものが載っていた。これから見ても徐福が近畿に来たと言うのは頷ける。

AI=アイヌ TO=東北人 HO=北陸人 KY=京都人 KA=関東人 KI=近畿人

埴原和郎『日本人の起源』による)

※山口敏『日本人の祖先』ではKYが九州人になっている

 

 

 

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