川原木屋谷 傾城小屋〜八幡峠(内山鉄之助氏)軌道?
又口川アナギの滝はこちら 2021/6/26 R426〜八幡峠〜川原木屋林道〜傾城小屋〜八幡峠 kzo |
今日もR425。通れる時に行っておかないと。 八幡トンネルが県境ではないんですね。 このトンネルの上に三重県最初期の軌道があった?との事で、 見てみる事にしました。 八幡トンネル西側出口すぐの川原木屋林道に入ります。 帰りは尾根から降りるつもりですが、西側は川。東側でないとだめだな。 すぐでゲートがあり、作業の車が入っていきました。 私も追って歩いていきます。 林道の橋の名前が見たかったですが、朽ちて読めません。 読めたものは「川原木屋橋」「紅葉橋」「犬戻橋」「瀧見橋」「女王瀧橋」、 橋はいずれも昭和40年頃のものの様です。 「傾城橋」を越えると小屋跡がありました。 ここが傾城小屋跡の様です。 「傾城」は意味を調べたら美女の事らしい、女王滝もあるし、 どれだけの人で、どんな伝説があったんでしょう? (文字通り傾いた城、写真みたいなボロ家だと思っていたのはナイショ・笑) この家の裏から川に入り、右岸に移動します。 林道入口からこの辺まで、古川右岸は絶壁、 やっとこの辺で右岸に移れたのですが、右岸はこんなに広い台地でした。 尾鷲市HPで「城山」と記述されているのがこの辺り?っぽいです。 昔は城があったのでしょうか? お皿も落ちていますが、いつのものかは判りません。 女王の時代ではないでしょうね。美味しそうなハマグリ?柄です。 台地の端っこに一段低い、木馬か軌道の様な路盤がありました。 これが三重県最初期の軌道?辿ってみます。 路盤を追って古川右岸を川沿いに下ります。 しかしすぐに台地は終わり、傾斜が出てきました。 杣道か木馬、軌道なのか判らないまま、トレース不能になりました。 絶壁を避け、トラバースして先に進みます。 どんどん傾斜はきつくなり、谷底から離れていきます。 だれか歩いてるのか、所々にピンクテープが付けられています。 地図の破線が遠くなります。この絶壁で軌道や木馬は無理じゃない? 少しの緩傾斜の場所に炭焼きの跡がありました。 再び地図の破線に近づく事ができ始める頃、 路盤のような物も確認できる様になりました。 杭もあります。 ごく薄い痕跡を追っていきます。 たまに杭やテープがあって、(多分)間違ってないとの確認になります。 すごくちょっとですが、石垣が出てきた? 少しづつ、道の跡らしいものがはっきりしてきました。 道に植えられた杉もかなり太くなっています。 路盤跡に岩がなだれ込んでいます。 この付近ヒルも多く、巻くのに難儀します。 巻き終わったのですが、路盤を見失いました。 うろうろしながら進んでいると、小さな谷でそれらしい路盤跡を発見。 再び崩壊地。ここもヒルだらけ。 道はかなりハッキリしてきました。 もう普通に道です。スピードが上がります。 尾根が見えてきました。八幡峠です。 峠に出ましたが、道は尾根上に続いています。 尾根の東側へ移り、南へUターンする感じの道もある様です。 行ってみましたが、すぐで不明瞭になり、 傾斜も出て木馬や軌道で使った道ではなさそう。 尾根を北へ進んでみますが、すぐで不明瞭に。 鹿ネットもあって移動しにくいです。 天気も悪いし、ここで今回は打ち切り、八幡トンネル東側へ降りました。 傾城小屋右岸の台地は何かあったぽい、その北側右岸の絶壁は後年の地形変化? 後半は現役?の作業道の様です。 尾鷲市史には明治・大正期の傾城小屋〜鹿見峠間は索道との事、 今回の区間は本当に索道や軌道があったのか、判断する事はできませんでした。 昭和22年の航空写真がネットで確認できますが、この付近は大規模に伐採されています。 今回の遺構は恐らくこの時のものと思われます。 |
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