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【 新山門と境内前景 】 山門と鐘楼堂の老朽化で、檀信徒の皆さまにご心配を掛けていましたが、平成26年に念願叶って梵鐘復興と併せて、すべての工事が完成し、秋には檀信徒の皆さまと共に落慶法要を盛大に厳修する事が出来ました。 |
【 山門 】 檀信徒の皆さまの御寄進により平成25年秋に着工しました新築工事は、平成26年5月28日に完成しました。 |
【 鐘楼堂 】 梵鐘は第二次大戦時の国策の金属供出命令で失いましたが、檀信徒の皆さまの御寄進により70年ぶりに復興が叶い、鐘楼堂修復工事と共に平成26年秋に完成しました。 12月31日の「除夜の鐘」は、檀信徒の皆さんをはじめ、ご近所の方々など大勢の方々が鐘を撞きに来られます 23:00より大晦日法要 23:30より鐘撞き始め! |
【 本 堂 】 本堂は入母屋造り・妻入り構造で、普通は棟を正面に見る建て方が多い中、当山の本堂は破風を正面に、庇が唐風になった珍しい構造です。 一説では”伊勢神宮”のお社の”平入り”に遠慮した建て方と言われています。 よって本堂内は奥行きがあり荘厳な雰囲気がありますが、参拝者の収容員数がお堂の大きさの割に少なくなるのが欠点です。 それを補うため、写真では見えませんが当山の本堂は、外陣両側に余間が増築された構造になっています。 この本堂は、明治初期に起こった廃仏毀釈の法難が、特に伊勢神宮のお膝元では激しく吹き荒れ、現在の伊勢市内で寺院の取り壊しが相次いだ折、同市内の“玄忠寺”(浄土宗)本堂を、当山が明治3年に解体購入し、西光寺本堂として再建立した建物でございます。 築後180年ほど経っています。 |
【内陣の様子】
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総欅造りの本堂は阿弥陀如来さまをご本尊として祀り、内陣(ご本尊を祀り僧侶が法要する所)の方が外陣(参拝者の席)より広い構造で、奥行きのある荘厳な雰囲気を漂わせています。 堂内の余間には、弘法大師作(774-835)と伝えられる「十一面観世音大菩薩」を、お祀りしています。
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【 地蔵堂 】 田丸城の鬼門にある西光寺の境内に、元禄九年(西暦1696)当時の住職第九世 梵譽上人が、不思議を感得され、建立された地蔵堂です。 ご本尊は 平安時代の歌人「小野 篁」(西暦 802〜852)作と伝えられる延命地蔵大菩薩尊、さらに元禄年間に起きた「本町の大火」を鎮めた墨染の火伏せ地蔵大菩薩尊(前立佛)をお祠りしています。 故に、お城に因んで、田丸地蔵さんとも、本町の大火を鎮めた、本町地蔵さんとも呼ばれて親しまれています。 毎年八月二十四日の 大祭はもとより、毎月二十四日の縁日も参拝の善男善女で賑わいます。 |
【 大玄関 】 年中法要や大法要などを勤めます時に、僧侶や参拝者をお迎えします。 |
【 宝筺印塔 】 中国の呉越王銭弘俶(929〜988)が延命を願い建立した塔に、宝篋印陀羅尼(宝篋印心咒経/ほうきょういんしんじゅきょう)の経典を納めたことから宝筺印塔と言います。 ※本来は石塔本体の基礎に宝篋印心咒経の文字を刻むとされています。 ※現在では五輪塔と同じく、現世利益(祈願)や追善供養の塔の意味合いが強いようです。 |
【 蓮池(大賀蓮)】 古代(縄文時代)から蘇った”大賀蓮”が咲く池です。 当山の山号も”蓮池山”と云い、昔からこの池には蓮が咲いていたのですが、戦時中の食糧難とザリガニのため近年まで久しく絶えていたのを、”大賀蓮”の種子を頂いたのを契機に、池を改修して蓮を復活しました。 |
【 新 館 】 毎月の写経道場と年中法要の食堂や休憩室として使っていますが、檀家さんからの希望があれば、年忌法要の会席や通夜式場として利用して頂けます。 |
【 籠 】 昔、住職が法要などで出かける時に乗った物です。 |
【 天体観望所 】 ≪天体望遠鏡≫仕様 ★主望遠鏡:口径310o・ニュートン反射望遠鏡(f=1800o) ★副望遠鏡:口径120o・ED屈折望遠鏡(f=900o) ★赤道儀 :ASKOーSE310
≪天体観望所≫仕様 |
浄土宗 蓮池山 西光寺 住職 西 正則 〒519-0415 三重県度会郡玉城町田丸59番地
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