『もう一人の僕』

 恋い焦がれる、あの娘(こ)に、思い切って電話しようとしたら、囁いた。
 「意地っ張りで、強情な可愛げのない女に想いを募らせても、仕方ないじゃないか」。
 公園に散らばったゴミくずを拾い集めようとしたら、囁いた。
 「そんな物、片づけたって、すぐ、誰かがまた、捨てるさ。止めとけ。無駄、無駄」。
 重い荷物を背負って、手押し車を押しながら急な坂道を歩いて登る老婆に、手を貸そうとしたら、囁いた。
 「放っておけ、どうせ、年寄りの冷や水。構うな」。
 雨に濡れ、路地裏でうずくまる仔犬を、家に連れて帰ろうとしたら、囁いた。
 「犬なんて、アパート暮らしでは飼えっこないでしょう。元の場所に返してきて」。
 橋の上から西の空を茜色に染める夕陽を眺めていたら、囁いた。
 「感傷にふけっても、空腹感は満たせないよ」。
 呟くお前は、いったい誰なんだ。
 「俺か、お前に潜む偽善心さ」。

    『宛名のない手紙』
 
 君は、
 覚えているだろうか。
 海岸通りの喫茶店で、一つのピザを二人で分け合って、食べた雨の日のことを。
 友の悲報を知り、塞ぎ込んで挫けそうな僕を見かねて「元気、出しなさいよ」と、慰めてくれたことを。
 その時の君の励ましは、冬の寒さが遠ざかり、風の和らいだ街角に、ようやく微笑み始めた春の花々のように思えてならなかった。
 君が僕と過ごした、このちっぽけな街を出て、故郷に帰るというのなら、それもいい。僕は止めはしない。
 伝えたいことはいっぱいある。だが、胸がジーンと熱くなって、思うようにペンがすすまない。
 こみあげる寂しさを抑えても、便箋の青いインクの文字が涙に滲む。
 この手紙には切手は貼らない。誰にも開けさせない僕だけの郵便ポストに仕舞っておく。
 ありがとう。
 沢山の思い出を。
 いつまでも、いつまでも、お元気で。
 さようなら。
 そう言っても、いつ再会出来るともわからず、僕の心は揺さぶられる。
 追伸。 
 時間(とき)
 色あせようとも、
 永遠(とわ)に、
 変らぬ我が想い。