何でも出来ると回り道も苦労も背負います〜背負い込んででも自分で創りたい!そんな男の器用貧乏伝説w
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「 さて〜全国1万人近い応募の中から見事最終選考まで残った18人の作品が発表されました これから審査員の皆さんから、各賞の発表です!…」 DJ風の喋りで男性司会者がコンテストの進行を進めていく 時は遡る事1998年、場所は池袋サンシャインビルのイベントホールだ
贔屓の音楽雑誌数誌を出版している出版社とメディア会社が共同で数年前から主催しているコンテスト マキ○ラノリユキ君も実は、このコンテスト出身者 皮肉にも確かグランプリは逃し、何かの賞をとったかと記憶している 自分も数年前から応募を続けており、二次選考通過辺りで愛読紙に名前が掲載され舞い上がった程度 そこから先へは中々前に進んでいなかった しかし、この年突然背中から強い力に押される様にトントン拍子に最終選考まで突破していた
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その当時、多くのプロを志すミュージシャンが当然の如くする様に タカヒロもまた、手当たり次第にレコードメーカーや音楽事務所にデモテープを送りつけていた しかし何度応募しても箸にも棒にもひっかからない有様 最初のうちは落選の通知がくる度、または音沙汰無しには凹む自分もいたが いつしか凹む事すら忘れていく日々
実は自分のだけ聴いてないんじゃぁナイか?←そんなことは決してナイらしいです、当たり前です ははぁん郵便屋が間違えて…これもナイ しかし、ナイのだ。何にも取っ掛かりが
今、自分に出来ることは全てデモテープに託した それを否定されるという事は才能が…いや;断じて、そうは思いたくはナイ 自分で言うのもなんだが、ライブで沢山の人々が曲を聴きに来てくれて感動してくれているではないか 涙を流して、曲に救われたって人だって何人も遭遇した… ↑これも少し勘違い、今考えると考えが甘かったのだ↓しかしこのまま続くw;
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さてはデモテープのクオリティに問題が?実売されてるCD並みの音質なら誰か振り向くかも… そう、この時点で器用貧乏伝説の片鱗は見え隠れし始めるのである 当時は個人がCDを焼くというのも浸透していない頃、CD-Rも高かった スタジオと称した実家の一部屋は既に高級外車が一台しっかりオプション付きで買えるまでに資金投入 毎月給料の殆んどを注ぎ込んでいた、これでは器用貧乏ならぬ機材貧乏ではないか
マニアックな愛読書、『サウンドレコーディングマガジン』その名の通り業務用録音機器の広告が 毎月毎ページ、ところ狭しとコチラに買えと訴えてくる←読む←夢(野望?)が広がる←通販の振込みに走っている 特に見開き3ページ目と、新製品解説紹介ページが危険だ
付け加えておくが、イイ機材を買った所で才能が開花する訳でもナク はっきり言って、当時のワタクシにはオーバースペックであっただろう 知識も経験もないのに、使いこなせる訳が無かったのだ
それでも、必死に何か突破の糸口を探したかったのだろう それとも、落選の言い訳が出来ぬよう背水の陣を形成したのか 当時の生活と言えば、実家の大工業で朝8時前から夕刻まで肉体労働 夕飯をかき込むと猛然と睡魔が襲うので仮眠、午後9時頃起きだしてスタジオと称した小部屋で制作 深夜3時に、さっきまで鳴り響いていたプレイバックの粗を探しながら眠りにつく〜という具合 確かにキツかったが得も言われぬ充実感はあった しかし、周りの反応はいたって冷ややか、何処まで行っても『道楽、良い趣味』の域を抜けてない ココで踏ん張らなければ、このルーティンから抜け出せないのではないか?と そんな強迫観念がその当時自称アーティストを奮い立たせたのか、と記憶する
そして何の因果か、その雑誌が主催するコンテストの最終選考に残って行くのだった…
さて、何度もこの雑誌の二回戦ボーイだったタカヒロに追い風が吹き始めたコノ年 自分の中で、何かが解き放たれたように感じられた それは皮肉な事に、現在使用中機材のレベル云々ナものでは無い他の何か
これもあとから回想し思うのだが、とてもメンタルなアナログの部分だったと考える しかしまたもや、がむしゃらな、この時の彼は気づくよしも無い
遂に最終選考の通知、編集部担当者からの密な電話 この時だって裏づけのない自信はあったが、この通知に対する実感は今ひとつ湧かなかった しかし、この最終選考の招待には脱獄不能なルーティンの出口が遠くに見えた気がした
こういう状況になると不思議なもので、今までウンともスンとも言わずのレコードメーカーや音楽事務所から なんとも熱いラブコールが次々と掛かってくるではないか 別にこのコンテストで残ったとかいう情報がそうさせた訳ではなく、まだこういう状況も業界は知る由もナイ なんと言おうか〜オリンピック出場圏内の選手が記録会で到達アベレージを出し始めた? 分かるかな?おもしろいもので後に決勝進出者に話を聞くと同じ時期に同じ状況になってたんだとか 旬?というのか、この時初めて何らかの全国的水準点に到達したのだろう
そして、この最終選考会が行われる数ヵ月後までに、沢山のレコード会社のディレクター 音楽事務所、そして何やら怪しい?音楽事務所と名乗る人間達と次々と遭遇していくのである
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某日、都内某所 タカヒロは磨きぬかれたロビーに居た 手にはデモテープと歌詞の綴られたノート 周りを見渡すと、やはり同じようなものを持った明日を夢見る音楽家達が十数人 お互い初対面、緊張の面持ち、交わす言葉はナイ
皆、何らかの形でディレクターから連絡を受け、ココに呼びつけられたのだ ココとはレコード会社の大手、ソ○ーレコードである 例の選考通知が届いた前後に、送ったデモテープが引っ掛かったようなのである もちろん、ここまで来たからといってデビューの保証など何処にもない しかし、ここまで来る事すら快挙ではある
これから個室に呼ばれて、一人(一組)づつの面接らしい ディレクターが直接、作品にコメントをつけるという かなりの緊張を強いられる場であることには間違いない
順番は割と早かった こじんまりとした部屋にテレビモニタ、デッキ類が収まったラック あとは簡素な事務テーブル…こんな部屋が何部屋もあるんだろう やがて、担当者が現れた サラリーマンではないが、音楽業界!って程でもないバランスの男性 拍子抜けする程、普通な印象に身構えてたガードが少し下りる 後に日常的に業界の方々とは沢山お付き合いをしていくのだが ちゃんとしている方ほど普通です(あたりまえですが;中にはトンでもナイひとも…。) 関わってる作品に、そういう誠意みたいなものはちゃんと出るのであろう
言われたとおり、テーブルに歌詞とテープを出す 提出曲は二曲、最初の音が出る緊張の一瞬… 今となっては、まだまだ御粗末極まりないデモ音源、イントロが終わり歌が始まった 自分の視線の先が定まらず再生中のデッキのカウンタを見つめる 恐る恐る、ディレクターの顔色を伺った
用意してきた歌詞を割と真剣に眺めている ワンコーラスが終わるまでは何も言葉を発しない様子 そして、運命のワンコーラスが終わり ディレクターがこちらに顔を向け、口を開いた
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「 …メロディいいね、うんメロディいいよ … 」 この言葉を聴いた瞬間、何故か安堵の気持ちに包まれた 頭からダメ出しの辛口コメントを覚悟していた自分がソコには居たからである ディレクターは、一通りタカヒロが紡ぎだしたメロディに好意的なコメントを添えたあと次の展開に移った そう、後順は詰まっているのである
「…ただ、歌詞がねぇ〜」 この後のやり取りは、想定内と言おうか、作詞に関して痛い所を突かれた感 その後、ボディブローのように後を引いていく
あまり時間は無いけれど〜と、時計を見ながらディレクターは良心からか作詞の術を教えてくれた
「美和ちゃんの作詞のやり方は…」 そう、ソ○ーレコードの美和ちゃんと言えばアノ人しかいない 日本中の女子の乙女心を捕らえて離さない、今やモンスターグループの歌姫である このディレクター、初期の○リカムの担当ディレクターだったのだ
彼女の場合、作詞の際、曲調により幾つかの作詞パターンはあるにせよ 思いの丈を大き目のスケッチブックにビッシリ書き込むそうだ、無論順不同でとにかく書き込む それをパズルの様に自分の内面と相談しながら組み合わせながら歌詞としてまとめ上げていく その歌詞の共感力と言おうか、説得力の高さは皆さんの方がよく御存知であろう 今も同じ方法かは分からない しかしこの時に教わった、その他の作詞法のレクチャーも 大変参考になり幾つかは今でも実践している
「あ。時間制限があるから、そろそろこの辺で、今度もっと曲創って聴かせてよ〜」 この時点で、まあ結論から言えばココでの進展は望めない感である 事実この時、君オリジナル曲って何曲あるの?いや、何百曲?と聞かれただろうか? 50曲はあるれど100曲に満たない…という答えには、納得が行ってないようであった
「それでは仮にデビューしても一枚アルバムだしてからモタナイよ!プロでやりたいんでしょ?」 とにかくアーティストとして、ソングライティングも兼ねるのならば、もっともっと作品を増やせと釘を刺された
最近の日記でも綴ったがプロフェッショナルとは 一定水準のオリジナリティ、プロクオリティの両方を兼ね備えつつ大量生産が出来なければイケナイ 皆さんが好んで聴いている既成アルバムの一枚十数曲の入りのアルバムの影には 落選した数十曲の捨て曲の存在があるのは御存知だろうか
プロでやっていくといことは、そういうものだと この時、改めて教えられたような気がする 分かっちゃいるけど…ねぇ;
頭の中を振ってふって、もう何も出てこない…オリジナリティなどという言葉はそこからだ
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「もしもしタカヒロ君〜どうも〜」受話器の向こう側の声はかなり粘っこい キツイ関東訛りが耳に付いて来る 「曲いいねぇ〜なんていうかニューウェーブがぁ80年代にさぁ…あ・僕?申し遅れたね ○ーナーミュージックジャパンの○○ですぅ、そう!メーカー、制作!デモ送ってくれたでしょ?」 確かにデモテープは送っていた しかし、この関東訛りのキツイ、ハイテンションな喋りにしばらく閉口し 作品に対する何らかの評価があった事に対し、喜ぶ事をしばし忘れていたのだ この時期になると、数え切れない程のデモテープをあらゆる所へと送りつけていた 日増しに、それに対するレスポンスが増えてきている それにしても今回のこの人、テンションが80年代的で分かりやすくアツイ 音楽業界いろんな人がいるもんだ
タカヒロの楽曲に『ハイブロウ』という曲がある、ライブで人気が高い明るい歌なのだが かなり大胆なアレンジを加えたものを送った、どうやらそのポップなアレンジに食いついたらしい 他の曲も聴きたいと言う、後日他の楽曲も送ると約束し、その日は手短に電話を切った
あ〜、遂に○ーナーからデビューかぁ… コチラも大変気が早いものである しかし、第二弾デモを送ってからというもの、待てど暮らせど返事が来ない 痺れを切らし、思い切って電話をかけてみる…長い応対と、たらい回しの末、本人 「?、あぁ君ね、うん聴きました、でもねぇ〜なんていうかナァそのぉ …また送ってヨ 」 この、「また」の一言が重かった … どうやら、遠まわしにフラレたようである
思い返せばこの話 最初のデモと、第二弾の作風があまりにも違ったからか 音楽性の幅の広さを見せようと、ジャンルが変わるほど大胆なアレンジを試みた メロディや詩は自分のものだから、いい意味で広がると信じたが逆効果 売りにくい、とも言われたカナ 若輩者の幕の内弁当的アプローチは危険である 要は当人のオリジナリティ不足から来たのだ、アレンジに飲まれる様な曲ではイケナイ そんな事を学んだ、某メーカーディレクターとのやり取りであった
*後日、例のコンテスト会場でばったり出会う 「タカヒロ君だよね!いやぁ。おめでとう〜!いい曲ジャン〜やっぱ違うよねぇ…○×、でまた曲聴かせてよ 」
もうエエわ! と、突っ込みを入れたくなる程、また手の平を返し始めたこの人 べっ甲の眼鏡が顔から妙に浮いていた、電話の喋りとは裏腹、奇妙に腰の低い方でした あのノリだと、今頃は何処かの営業所に飛ばされていると思うなぁ
不定期更新カナw〜まだつづく
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