「―――はい。モデルはなんとか見つかったんで……はい、はい。準備をお願いします。大丈夫。期待は裏切りませんよ。第
一に、あたしがハズレを選んだ事ってありましたっけ?―――そうそうっ。だから安心して、準備しておいて下さいね。はい、
それじゃ後で」
プツリと携帯を切ると、独特の機械音が鳴った。
人通りの多い歩道。ニ人は人波に流されないようにニナの後を追う。街に出てから何時間も経とうとしているというのに、人
の数は減るどころが増える一方のように感じられる。車道を走り抜ける車。歩道を早歩きで進んでいく人。皆、時間に背中を
押されながら目的地を目指している。
「もしかして、本当は違うモデルさんが撮影する予定だったんですか?」
ニナの話から推測して、ピエールは試しに聞いてみた。すると、予想していた通り、彼女は頷いて苦笑を浮かべた。
「そうなの。ごめんなさいね、代役なんて頼んじゃって」
「いえ。私は構いませんよ。こういうのも一度くらい体験しておくと面白いかもしれませんからね」
「そう言ってもらえると嬉しいわ―――と。ほら、あそこのスタジオよ」
白いわけでもなく、だからといって真っ黒に焼けたわけでもない小麦色の手があるビルを指さす。
ニナが言っていた通り、スタジオへはすぐについた。暑い直射日光からすぐに解放され、影とクーラーの涼しい風が三人の訪
れを大歓迎してくれる。
「―――あー。ここって―――」
入口をくぐり、ニナに聞こえない程度の声でジルは呟く。その声に反応したピエールはその通りと言うように、小さく頷いてみ
せた。
「―――覚えてますか?―――」
「―――何度か撮影に来た事あったよな?―――」
「―――私達の場合、自分達が写されるのではなく、衣装が、でしたけどね―――」
「―――俺らは着るの専門じゃねぇもんなぁ〜―――」
「あ、こっちです」
二人の内緒話に気付かず、先頭を歩いていくニナはある部屋の前で立ち止まると、ドアを開けて二人を招いた。
中に入ると、何人ものスタッフが待機していた。さっきニナが携帯で連絡してあった事もあるだろう。カメラ、照明、メイク、衣
装と、撮影に必要なスタッフがあちらこちらから二人に視線を送る。
「遅れてすみませーんっ。モデル連れてきましたー!」
「よしっ。それじゃあ、早速準備に取り掛かってもらえ」
「はいっ!」
この場の監督らしい男が言い、スタッフに次々と命令を下していく。
「それじゃあ、二人には向こうの部屋で着替えてもらおうかな?衣装係やメイクさんはそっちにいるから、分からない事があれ
ば彼女達に聞いてもらえば分かると思うから。ごめんなさいね、あたしはこれから自分の準備があるから」
「いえ、構いません。では、また後で」
「はい。綺麗な君達を楽しみに待ってるからねっ♪」
ウインクをしてニナは足早に去っていく。その先にはやはり何人かのスタッフの姿。何度か頭を下げて、いくつもあるカメラに
手を伸ばしたり、他のスタッフが差し出す書類に目を通している。
「うはー。カメラマンってのも忙しいんだな」
「ですね。さて。私達は言われた通り、着替えてきましょうか」
「だな」
他のスタッフの邪魔にならないようにそそくさと指定された部屋へ移動する。
ドアには衣装室と書かれた紙が乱暴に貼られていた。急いでいたのだろう。異様に斜めになっているが、直された気配はな
い。
「ここ、か?」
「だと思いますよ?他にそれらしい部屋はありませんし」
「んじゃ入るか。すみませーん」
何度かドアをノックし、遠慮気味にドアを開ける。
スタジオに比べれば、衣装室と書かれた部屋は狭かった。それは山のように詰れた衣装や小道具のせいもあるだろうが、鏡
や机という設備品も十分場所を取っている。
その室内に二人の人影があった。一人は肩より長い、ふわふわの茶色い髪をなびかせた少女。前髪は綺麗に揃えられてい
て、はっきりと見える瞳は大きく可愛らしい。小柄で実際年齢より若く見えそうな彼女は、ドアの開く音で振り返った。
「えっと……どなた、でしたっけ?」
(―――あ―――)
(―――彼女は、確か―――)
見覚えのある顔に、二人の思考が停止する。しかし、そのまま黙っていてはおかしいとすぐにピエールは頭を働かし、いつも
の愛想笑いを浮かべた。
「あ、あの。私達、今日の撮影のモデルで。この部屋に行くように言われたんですけど」
「あっ、モデルさんだったんですかっ!?すっ、すみませんっ。つい、スタッフの人と勘違いしてしまって」
「いや、別にいいんだって」
「ならいいですけど……あっ。あたし、リエって言います。今日は一日、よろしくお願いしますっ!」
礼儀よく挨拶すると、リエは深く頭を下げた。
少女の名前を聞いて、二人は顔を見合わせて小さく頷き合う。間違えなかった。彼女とは一度、パーティで会った事がある。
「あ、やっとモデルさん来たんだ―――て。あれ?」
そしてもう一人。リエと一緒に室内にいた人物は、リエの話し声につられて仕事道具から顔を上げた。男なのに身体は細く、
長い茶色の髪は服に当たってもサラリと滑る。
「今日、店に来てくれた人ですよね?」
「はい。マコトさんは、今日はメイクで?」
「まぁ、そんなところかな?勿論、メインは髪ですけどね」
そう言って彼はまたハサミに視線を落とした。
「さて」
パンっと手を合わせてリエが二人を見つめる。
「時間もないですし、早速衣装合わせしましょうか」
「OK♪」
「分かりました」
「じゃあ、ちょっと採寸させて下さい。前のモデルさんのサイズしかないんで、もし合わないようだったらなんとかしないと」
スタジオにいたスタッフと同じで、早速仕事に取り掛かろうと言い出した彼女は、突然忙しそうに部屋中を駆け巡りだした。
右に走っては服のサイズを確認し、左に確認しては小道具の確認をする。時たまにマコトに駆け寄ったかと思うと、服装を
変えた場合のメイクについて二、三聞いていた。
「―――大変なんだな―――」
「―――本当ですね―――」
「―――と。今になって思い出したんだけどさ―――」
呟き、視線だけをジルへと向ける。
「―――どうか、しましたか?―――」
「―――この撮影の服装って、リエの服って感じだよな?雰囲気的に―――」
「―――はい。彼女は駆け出しのデザイナーとして有名ですから。『Gitly・Candy』は女の子が一番望む、可愛らしい服を
作るって―――」
「そう。それなんだよ」
リエ達の意識が衣装に向けられているのをいい事に、ピエールは音量を上げた。
「問題はそれなんだ」
「問題、とは?」
「今、お前なんて言った?」
「え?彼女は駆け出しの―――」
「その後っ」
「はぁ。えーっと、『Gitly・Candy』は女の子が一番望む、可愛らしい服を作る、って―――あ」
そこまで自分で言い直して、ジルは事の重大さに気づく。
この鈍感野郎が、という視線をピエールは彼に投げかけた。
「それだよ」
「彼女の服は、可愛らしい服ばかり」
「だけど、どう考えたって俺らは可愛らしいという言葉が合うタイプじゃない」
「女装させられるほど細身でも、女顔でもありませんしね」
そう言うジルに、ピエールは片眉をつりあげた。
(いや。お前は細身だし、女顔だ)
ただし、身長がある。
自慢ではないが、ピエールもジルほどではないが、少し童顔がまだ残る、どちらかというとかっこいい系より可愛らしい
にぎりぎり入っていたりする。しかし、だからといって女装さけた経験は生まれてこのかた二人は一度もない。それはや
はり、体格がしっかりできてしまっているからだろう。
「どうする?」
「どうする、って」
「すみませんっ、お二人共っ!」
作戦会議を始めようとした矢先、衣装を抱きしめたリエが声をあげる。
「衣装合わせをするんで、こちらに来て下さいっ」
彼女の声に二人は顔を見合わせ、静かに息を吐いた。