『Gitly・Candy』の服は、女の子ウケする可愛らしいデザインが売りである。
ピエールとジルにとって、衣装を見せられるのは、何か恐ろしい出来事を宣告されるような気分だった。世間一般的に男として
この世に生を受けた者ならば、大概の事が無い限り『フリフリ』だの『ヒラヒラ』だの、あまつさえ『スカート』というものとは全く縁が
無い。というか、男としては縁など欲しくない。中には精神的に女の男が好んできたり、またはイベントごとでその場を盛り上げよ
うとギャグで着る者もいるが、それは基本的に除く。スコットランドなどの民族衣装も勿論論外だ。
「じゃあ、こっちを神さん。こっちをエルさんが着て下さい。サイズは多分合うと思うんですけど、もしきつかったりしたら言って下さ
い。直せる限りは直しますから」
キラキラと、効果音をつけるならばそう聞こえてきそうな笑顔を目の前にして、男である二人は文句一つ言えずに問題の衣装
に視線を向けた。
二つのハンガー掛けに、幾つかの衣装がぶら下がっている。これが今日撮影に使う衣装達なのだろう。ぱっと見ただけでも片
手以上の数がある。これを全て着るのかと思うと撮影前から少し疲れた気分になった―――が、その衣装をよくよく見ると未確
認の疲れなどすぐに吹き飛んだ。
「あれ―――?」
「この服、って」
二人が恐る恐る衣装に手を伸ばす。そこにぶら下がっていたのは、別に『フリフリ』でも『ヒラヒラ』でも、ましてや『スカート』では
なかった。れっきとした男物で、ピエールの方には細身を生かしたカッコいいタイプが、ジルの方にはまだ残る童顔を映えさせる
少年系の可愛いタイプがぶら下がっている。
「あ。驚きました?」
「リエちゃん。今度は『Gitly・Candy』で野郎向けの服を出すんだって。で、その服がその試作品」
「女の子は可愛らしく。男の人はかっこよく。そんなモチーフで作ってみたんですけど」
「いいと思うよ、これ」
相手の反応を伺いながら問うエリを背中にして、ジルは素早く衣装を手に取ると更衣室に入る。カーテンの閉める音が消える
と、言葉を続けた。
「最初は真剣に女装でもさせられるのかと思ってたけど。まさか『Gitly・Candy』で男物作るってのは、考えてなかった」
「右に同じくです」
カーテンを閉じて、自分の着る衣装をまじまじと見る。一見シンプルのようだが、細かい模様などが意外と目立つ。それが邪
魔とは感じず、むしろ彼女の言うかっこいいに近い。
「意外性がありますね。これ、彼女の雑誌に載るんですよね?」
彼女とは、言わずと知れた此処には居ない、スタジオで右往左往しているだろうニナの事。
「はい、そうなんです。彼女とはちょっとした知り合いで、相談を持ちかけたらページを取ってくれて」
「彼女はカメラマンとしてのセンス、そして被写体、衣装を選び抜く目の評価は高いですよね。彼女の雑誌は元から人気があり
ますし、『Gitly・Candy』は女性向けのメーカーとして有名。これだけ揃えば、この服の評価も自然と高くなると思いますよ」
「そーそー。野郎の反応はやっぱ最初は少ないかもしれねぇけど、その彼女とか友達とか、とにかくそこらへんの影響で知りだ
して、気づけば着てるって考えが一番予想できるな」
シャーッ、とカーテンの開く音と同時に中から着替えを終えた二人が姿を現す。
「どうだ?」
「こんな感じでしょうか?」
「うわー!お二人共、あたしの思ってた通りですっ。ほんと、ここまで着こなしてくれると作った甲斐があったなぁって」
衣装に着替えた二人を目の前にして、リエは両手を組んで、まるでそこに聖母でも現れたように瞳を輝かせる。
「あはは。そこまで、褒めてもらうとなぁ」
「えぇ。ちょっと、照れくさいですね」
「あーっ。呑気に惚れ惚れと眺めてる場合じゃなかったんだっ!スミマセンっ、急いで微調整するんでこっちに来て下さいっ」
「あ。あと、メイクも同時進行で行くから宜しくね」
はい、と答えてピエール達は指定された場所に移動する。
後は何かに例えるなら着せ替え人形の気分だと二人は思った。椅子に座らせると髪や顔をいじられ、立ってと言われたら服
の細かい手直しをしていく。その間、モデルの二人はぴくりとも動く事を許されない。
「準備できましたかっ?」
ノックの音がして女の声が狭い室内に響く。ピエール達は振り向く事は出来なかったが、鏡越しに現れた人物がスタッフの名
札をつけているのを確認した。
「―――はいっ。今終わりましたっ!」
慣れた手つきで玉止めをして糸をハサミで切る。
「こちらも、これで終了ですっ」
鏡を覗き込みながらバランスを確認してハサミをワゴンに乗せる。
二人のスタイリストがスタッフを振り返った。
『準備完了しましたっ!』
「それではモデルさんはスタジオの方に来て下さい。こちらの準備も、もう完了しました」
「は、はい」
「分かりました」
やっと動く事を許された二人は駆け足で楽屋を飛び出す。途中でピエールが振り返ると、もうリエとマコトは次の準備にかかっ
ていた。リエは新しい服を取り出して、今の手直しで覚えた二人のサイズに服をおおざっぱに印をつける。その隣でマコトは使っ
た道具を整理して消耗品などの量を確認している。
「ほら、ピエール。急ぐぞ」
「あ、分かってますって」
ジルに急かされて角を曲がると、楽屋の様子は見えなくなった。
眩しいライトがスタジオを照らし出す。白い壁に光は反射して、色白のピエールの肌を一段と引き立てた。勿論ジルも負けては
おらず、彼の少し黒い肌は対照的で見栄えがする。
「はい。じゃあ二人とも背中合わせになって―――うん。次、神さん座って。そう、片足ついて。あー、もう少し右足引いて、そ、そ
う。そのまま、そのまま」
ニナの威勢のいい声が天井まで届く。鉄骨の見える頭上に声は気持ちよく反響して、スタッフ全員に活を入れる。
「次っ」
彼女の一言でアシスタントが新しいカメラを用意する。
「エルさんのピンを撮りたいんで、神さん少し退いてもらえますか?それで、ちょっとゴメンなさい。椅子を出して欲しいんだけど。
そう、あのヨーロッパ風味の椅子。それをぉ……中心より少し右―――え?あー、それじゃないって。あっちにあったでしょ?
あの…そ、そーっ。それそれ!それをそこに」
騒がしいスタジオに一段と騒音が生まれる。まだ新人のスタッフが血相を変えて指定された椅子を運んでくる。そんな彼を紙
一重で避けると、ジルはスポットライトの当たらない隅の方で手を振るマコトの姿を見つけた。目が合って左右を見回してから自
分を指差してみると彼は大きく頷く。
「何っスか?」
少し早足で駆け寄る。よく見ると隣にはリエの姿もあった。
「この合間に少しでも化粧直ししておかないとね。はい、ちょっとじっとしててね」
「あたしの方も服をもう少しいじりたいから、難しいかもしれないけど動かないでね」
(あ゛ーっ。折角、やっと動けるようになったと思ったのに)
泣きたくなる気持ちを抑えて、言われた通りじっとする。
フラッシュを切る音とニナの声だけがBGMのスタジオ。次から次へと新しい指図が飛び交う。入り混じるスタッフの小さな会話。
時たまに誰かが転ぶ音がした。
(またやったのかな、あいつ)
ついさっきヘマをしていた新人を思い出して胸中嘆息をつく。
「―――はい、こっちは終了」
閉じていた瞳の向こうから終了が聞こえてジルは目を開ける。視界に飛び込んできたのはマコトの笑顔ではなく、次の準備に
とりかかった彼の背中だけ。
「こちらも…っん。こんなものかな?」
足元からも可愛らしい声が聞こえてくる。リエは針と糸を手にしてジルを見上げた。
「次ぃぃっ。神さん入って下さぁぁぁい!」
「は、はいっ」
走り出す直前、手を振ったリエに手を振り返す。
闇と光の狭間。そこですれ違う二人は何も言葉は交わさなかったが、ハイタッチを交わして互いの居場所を交代した。
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