夏。
それは暑い季節。
どうしてもその暑さに薄着になってしまう季節。
しかし、そんな季節でも真冬のような格好をしている二人がいた。
「あつい〜」
「あつい〜」
締め切った部屋。窓もドアも隙間一つあいていない。家を作る上でどうしても出来てしまうドアと床の隙間もしっかり
と新聞紙が丸めて詰められている。出られないなど考えない。それ以前に、ここから出る気など二人にはないのだか
ら。部屋は広く、十六畳といったところだろうか。綺麗に掃除されたフローリングがピカピカと電気の明かりを受け、
部屋の隅に並べられた衣装が眩しく見える。
クーラーは手加減無用にガンガンにかかっている。それは薄着をしている人にとっては、逆に寒いほどだ。しかし、
そこにいた二匹の動物は、フローリングの上でゴロゴロとしながら間の抜けた声を漏らしていた。
「あつい〜」
「あつい〜」
何度目か分からない言葉を呟く。
暑いと本人達は言っているが、部屋には業務用の冷房が設置されていて別に暑さは感じない。だというのに二匹
は永遠と「暑い」の言葉を紡ぎ続けていた。
「じる〜」
「なに〜?」
「あつい〜」
「あつい〜」
二匹の動物―――もとい、二人はピクリと動きを止めると、すぐに転がりだした。
二人以外にも誰もいないなここは彼らの仕事場だ。場所をとっている机の上には作りかけの衣装や道具が片付
けられず、そのまま放り出されている。
床が傾いているわけでもないのにキリン―――ジルが反対側の壁まで勢いよく転がっていく。うつ伏せになる度に
叩きつけられるような衝撃を受けたが、ジルはただ一言、
「あつい〜」
しか呟かない。
すると、突然ゾウ―――ピエールが重い頭を持ち上げてその場に座り込んだ。
「じる〜」
「なに〜?」
ここまでは今までと同じ会話だ。この後は決まって「あつい〜」の一言でまたふりだしに戻る。しかし、今回は違っ
た。
「ぬがない〜?」
「なにを〜?」
「きぐるみ〜」
その言葉にジルはぴくりと耳を動かす。
「ぬぐの〜?」
「あついから〜」
「あいつね〜」
「だから〜」
「ぬごうか〜?」
「ぬご〜」
決断は意外と早かった。
だが―――
「ぬげない〜」
「てつだってあげる〜」
「ありがと〜」
二人の会話を聞いているだけで暑くなる。
ぱっと見れば、それはキリンがゾウに覆い被さっているようだが、しっかりとジルはピエールのきぐるみを脱がして
やろうと指のない手でマジックテープを外した。見える背中。中から熱気が漏れてくる。
「あつい〜?」
「あ…あつ、い〜」
口調と声に変化が出てきた。
「あた、ま〜。あたまの、とって〜」
「わかった〜」
言われてゾウの頭を無造作にも引っこ抜く。音をつけるならシャンパーンの栓を抜いた時のような、気持ちのいい
ぽんっといった音だろうか。
「ふぅ―――やっぱり涼しいですよ、この方が」
一体誰だ、こいつは。
なびく細い髪。肩にかかるほどの長さで、簡単に一つに結んでいる。元は茶色の髪を金に染め、整った顔立ちが
ヨーロッパ辺りのキザ野郎を思い浮かばせる。が、黒い瞳がなんとか彼を日本人だと教えてくれる。
汗で額に張り付く目にかかるほどの前髪をかきあげ、一息ついてから男は着ていたゾウを脱いだ。
「んーっ。冷房が寒いほどに気持ちいい」
「ピエール〜」
「あぁ。分かってますよ、ジル」
ピエールと呼ばれた美形のランクに入る男は、してもらったようにジルのきぐるみに手をかける。最初に背中の
マジックテープを外し、風を中に入れてから長い頭を引っこ抜く。
「っは〜」
「頭ひっかかりませんでしたか?」
「なんとか大丈夫。サンキュ、ピエール」
そう言って短く切り揃えられた黒髪を掻きむしる。
ピエールとは違い、運動部にでも入っていそうな顔立ち。少しはねている癖っ毛が汗で顔に張り付いている。
「タオル」
「はいはい」
受け取り、汗まみれの顔を拭く。すると真っ白だったタオルが一気に肌色に染まる。そして、上げた顔は綺麗な
小麦色に変わっていた。
「あ゛じー。なぁ、ピエール。今度夏用にきぐるみも作ろうぜ?」
「暇がありましたら、ね」
「その暇っていつだよ」
「今作っている作品が完成したら、です」
「それって、気の長い話じゃねぇの?」
「そうともいいますね」
別に嫌味を含んでいるわけでもなく苦笑する。脱ぎ捨てたきぐるみをハンガーにかけ、衣装タンスにしまいこむ。
無言でジルが突き出してくるきぐるみも仕方が無く受け取る。
「にしてもこの冷房。効いてんの?」
「何度だと思っているんですか?二十度切っているんですよ」
「それでも暑い〜。十度切ろうぜ」
「素の状態では凍え死にますよ」
コンタクトをはめ込み、瞳が翠に変わる。これで容姿が西洋人そのものになる。
「それにしても、きぐるみを脱ぐもの久しぶりですね」
「そーいやそうだな」
「どうします?」
「食い物は?」
「ここを何処だと思っているんですか?」
「そか。仕事場だもんな」
あるワケねぇか、と付け加えて嘆息する。
二人は話をしながらも着々と着替えを済ませていった。汗で濡れた服を脱ぎ捨て、乾いた服と交換する。汗に
風があたると気持ちいいが、このままでは風邪をひく勢いだ。
「久しぶりにでかけっか」
「それが一番ですね。ここ数日缶詰でしたから」
「何日ここに居たんだ?俺ら」
「さぁ。一週間はいたと思いますよ」
「だーっ。思い出しただけで暑い〜」
「ジル。口調が変ですよ」
「あ、悪ぃ。どうも癖でさぁ」
「それは『きぐるみを着ている時だけ』と決めたじゃないですか?いいですか、バレないようにお願いしますよ」
「分かってる。分かってるって」
完全な私服になり、ぐっと伸びをする。
東洋人風の男の名はピエール。ナルシストの二十三歳。仕事ではデザイン担当。
色黒の男の名はジル。短気だが器用な同じく二十三歳。仕事では作製担当。
メルヘン王国に住む二人はその手には有名なデザイナー。いつも自作のきぐるみを身にまとい、その素顔
を見た者は誰一人としていない。そう、誰も彼らが美形だとか、口調が変わるなど知るわけもない。
仕事場は一応都内某所にもあり、大抵はそこで缶詰になっている事が多い。
「じゃ、行くか」
「でも何処にですか?」
あまり中身の入っていない財布を手にし、ドアへ向かう。
「何処でもいいじゃん。今は飯が喰えたらそれで良し!」
「分かりました」
「あ。そーいやマ●ドのハンバーガー、安くなったんじゃなかったか?」
「ファーストフードにするんですか?栄養偏りますよ」
「喰えたら―――」
「はいはい、分かりました。好きなようにしてください」
別に希望のないピエールはそう答えた。
ドアを塞いでいた新聞紙をゴミ箱に捨て、長い間封印されていたドアを解放する。
「うわっ」
「くっ」
刹那。
死ぬほど暑い熱風を真正面から喰らう。薄着になった身体を襲い、体温が一気に上がる。
「だーっ。閉めろよ、バカっ!」
中途にドアを開けたまま固まっているピエールの手なり押し閉める。たった数秒外の空気と触れ合っていたい
ただけだというのに、顔には拭いたはずの汗が流れている。
「―――出られない」
「しかし、出ないと何処にもたどり着けませんよ」
「いやだー。暑いんは嫌だー」
「貴方が我侭言っても可愛くありませんよ」
「うわっ、酷っ」
冷たく言い放つピエールに目線だけを送る。
「それにしても困りましたね。本当にこれでは外に出れませんよ」
「どうする?」
「―――諦めるしかないんですか?」
「えーっ。飯喰いてぇよ。レトルトとかカップラーメンとか飽きたって」
「違います。そっちを諦めるのではな―――」
「暑さを諦めるのも嫌だーっ」
「じゃあ一人でここにいて下さい」
「え?」
「私は行きますよ。暑くても出なければ仕方がないんですから」
支え棒になっていたジルの手を払い捨てる。同時に開きだすパンドラの箱。
「じゃあ……行ってきます」
熱風の中へ突っ込んでいく。
ドアは、すぐに閉まった。
「―――これって、置いてきぼり?」
その通り。
着ぐるみと自分一人だけになってしまった空間で呟く。
「って。おっ、おいっ。待ってくれよっ、なぁ!」
決死の覚悟でドアの向こうへと飛び込む。
閉じるドア。
冷房が動いたままの室内に冷たい空気がめぐり続ける。
ドアの反対側から、悲鳴のような声が響いた。