浦島太郎の謎

 「むかし、むかし、浦島は」で有名な浦島太郎。この浦島太郎が本当にいたという話を京都で聞いた。そこで、本当に浦島太郎がいたのか、調べてみることにした。まず、浦島太郎が初めて登場する書物を探すと、なんと日本書紀に載っているという。あわてて日本書紀を見てみた。日本書紀の雄略天皇の22年。「廿二年春正月己酉朔、以白髮皇子爲皇太子。〇秋七月、丹波國餘社郡管川人瑞江浦嶋子、乘舟而釣。遂得大龜。便化爲女。於是、浦嶋子感以爲婦。相逐入海。到蓬莱山、歴覩仙衆。語在別卷。」漢文ばかりだが、内容はだいたいわかる。「丹波の国、餘社郡(与謝郡)管川の人、瑞江の浦嶋子、舟に乗り釣をする。遂に大龜を得る。それは化けて女になった。浦嶋子は好きになって妻とした。ともに海に入って蓬莱山に至り、仙衆(仙人たち?)をめぐり見た。このことは別卷に書いてある。」別巻ってなんだろう。とにかく浦島太郎は、雄略天皇の22年(西暦478年)に出かけたことはわかった。しかしこの後のことは書いてないので、日本書紀ができた頃にはまだ、帰ってきてなかったのだろう。(別巻に書いてあれば別だが。)
 次に風土記を見た。

丹後國風土記

與謝郡日置里此里有筒川村此人夫(日の下に下)部首等先祖名云筒川嶼子爲人姿容秀美風流無類斯所謂水江浦嶼子者也是舊宰伊預部馬養連所記無相乖故略陳所由之旨長谷朝倉宮御宇天皇御世嶼子獨乘小船汎出海中爲釣經三日三夜不得一魚乃得五色龜心思奇異置于船中即寐忽爲婦人其容美麗更不可比嶼子問曰人宅遙遠海庭人乏(言に巨)人忽來女娘微咲對曰風流之士獨汎蒼海不勝近談就風雲來嶼子復問曰風雲何處來女娘答曰天上仙家之人也請君勿疑垂相談之愛爰嶼子知神女愼懼疑心女娘語曰賎妾之意共天地畢倶日月極但君奈何早先許不之意嶼子答曰更無所言何懈乎女娘曰君宜廻棹赴于蓬山嶼子從往女娘教令眠目即不意之間至海中博大之嶋其地如敷玉闕臺(日奄)映樓堂玲瓏目所不見耳所不聞携手徐行到一太宅之門女娘曰君且立此處開門入内即七竪子來相語曰是龜比賣之夫也亦八竪子來相語曰是龜比賣之夫也(玄玄)知女娘之名龜比賣乃女娘出來嶼子語竪子等事女娘曰其七竪子者昴星也其八竪子者畢星也君莫恠焉即立前引導進入于内女娘父母共相迎揖而定坐于斯稱説人間仙都之別談議人神偶會之嘉乃薦百品芳味兄弟姉妹等擧坏獻酬隣里幼女等紅顏戲接仙哥寥亮神(イに舞)逶(施のつくりにシンニョウ)其爲歡宴万倍人間於(玄玄)不知日暮但黄昏之時群仙侶等漸々退散即女娘獨留雙肩接袖成夫婦之理于時嶼子遺舊俗遊仙都既逕三歳忽起懷土之心獨戀二親故吟哀繁發嗟歎日益女娘問曰比來觀君夫之貌異於常時願聞其志嶼子對曰古人言少人懷土死狐首岳僕以虚談今斯信然也女娘問曰君欲歸乎嶼子答曰僕近離親故之俗遠入神仙之堺不忍戀眷輙申輕慮所望(斬の下に足)還本俗奉拜二親女娘拭涙歎曰意等金石共期万歳何眷郷里棄遺一時即相携俳(イに回)相談慟哀遂(手偏に弃)袂退去就于岐路於是女娘父母親族但悲別送之女娘取玉匣授嶼子謂曰君終不遺賎妾有眷尋者堅握匣愼莫開見即相分乘船仍教令眠目忽到本土筒川郷即瞻眺村邑人物遷易更無所由爰問郷人曰水江浦嶼子之家人今在何處郷人答曰君何處人問舊遠人乎吾聞古老等相傳曰先世有水江浦嶼子獨遊蒼海復不還來今經三百餘歳者何忽問此乎即(行の間に含)棄心雖廻郷里不會一親既逕旬日乃撫玉匣而感思神女於是嶼子忘前日期忽開玉匣即未瞻之間芳蘭之體率于風雲翩飛蒼天嶼子即乖違期要還知復難會廻首踟(足に厨)咽涙俳(イに回)于斯拭涙哥曰等許余(蔽の下に廾)爾久母多知和多留美頭能睿能宇良志麻能古賀許等母知和多留神女遙飛芳音哥曰夜麻等(蔽の下に廾)爾加是布企阿義天久母婆奈禮所企遠理等母與和遠和須良須奈嶼子更不勝戀望哥曰古良爾古非阿佐刀遠比良企和我遠禮波等許與能波麻能奈美能等企許由後時人追加哥曰美頭能睿能宇良志麻能古我多麻久志義阿氣受阿理世波麻多母阿波麻志遠等許與幣爾久母多知和多留多由万久母波都賀末等比志和禮曾加奈志企

 

風土記には、海で釣りをしていて、やっと釣れたと思ったら亀。いやになってウトウトと眠り込んだら亀が天女になった。天女は私の国に来てくださいと嶋子に迫った。嶋子は承知して手をつなぎ目をつぶった瞬間、天女の国(蓬莱という)にきてしまった。そこにはスバル(星の名前)やアメフリ(これも星の名前)がいて踊っていたと言う。どうも蓬莱は宇宙にあるらしい。3年の月日が流れ、嶋子は置いてきた両親のことが気になり始めた。そこで亀姫(言い忘れていたが、天女は亀姫という安易な名前だった。)に話をすると、お土産に玉手箱をくれた。故郷に帰った嶋子はびっくり300年の月日が流れていた。後は玉手箱を開けて、おじいさんになってしまうのだ。初めの内容は日本書紀と同じ。新たにわかったのが300年後に帰って来たということだ。(ちなみにこの風土記ができたのも778年以降ってことだね。)
 そこで浦島太郎が出かけてから300年後つまり778年ごろに帰ってきたという記事が載っていないか調べてみた。すると帝王編年記という本の淳和天皇の2年に
「同年。丹後國与謝郡水江浦嶋子。自蓬莱歸朝。昔雄略天皇御宇二十二年戊午年如神女到仙宮(不死金闕長生玉殿具見雄略天皇部)琴瑟吹歌。異於下界也。神女父母。抱腕相憐。朝遊瑤池。戯毛樗V靈容夕入瑰室接神女之襟袖嶋子忘歡娯思父母。神女見其憂色。具問其旨。嶋子對曰。鳥有南枝之思。馬有北風之悲。况離土之人乎。暫還故郷。以歳此思。神女含情未吐。流涙如雨。臨別把腕徘徊。授玉○(更にシンニョウ)誡曰。以勿開之。乗独舟來故郷也。其容顔如幼童。經三百四十八年矣。」とあった。

また『水鏡』には御門ハ彼嵯峨法皇ノ四十賀シ給キ。今年、浦島ノ子ハ帰シ也。持タリシ玉ノ箱ヲ開タリ然バ、紫ノ雲西様ヘ昇テ、幼リシ躰ハ忽ニ、翁ト成テ、ハカバカシク歩ミヲダニモセヌ程ニ成ニキ。雄略天皇ノ御代ニ失テ、今年ハ三百四十七年ト云シニ帰リ来レリシ也。」とあった。浦島太郎は淳和天皇の2年(西暦824年)に帰ってきていたのだ。
 でも約350年も経ったんでは浦島太郎はヨボヨボの(そんなもんじゃないよね)はず。ところが科学の世界では「ウラシマ効果」という言葉がある。それは光に近いスピードで走れば歳をとらないというもの。もし亀が光速で走れば(なんでよりによってカメなの?)、この話は成り立つのだ。しかし光のスピードで走ると人間は重力につぶされてしまう。どの程度までの速度なら大丈夫なのだろう。
 科学雑誌ニュートンを調べたら、人間が地球の重力と同じ重力で光に近いスピードで加速していく表が載っていた。それを浦島太郎の置き換えると

浦島太郎

1年

2年

3年

4年

5年

6年

7年

地球

1.2年

3.8年

10.7年

30.1年

84.5年

237.3年

666.2年

距離

0.56光年

2.91光年

9.77光年

29.14光年

83.54光年

236.31光年

665.24光年

となる。地球で348年のところを見てみる。地球へ帰ってくると浦島太郎は6歳ちょっとしか歳をとらないのだ。6歳ということは往復を考えると竜宮城を出発したのは地球を出てから3年後ということになる。なんと風土記には3年の月日が流れと書いてあるではないか。

 さて、それでは竜宮城はどこにあったのか。さきほどの表で見ると約240光年ほど旅をしなくてはならない。ということは120光年離れた場所ということになる。ちなみに牡牛座のヒアデス星団は120光年離れているという。(星団だから幅はあるけど)ヒアデス星団は日本名で畢星(アメフリ)。これも風土記に載っているのだ。

 でもニュートンの表は加速だけだから減速を考えると違ってくるのかな?


 

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