花の窟神社と産田神社

一書曰、伊奘冉尊、生火神時、被灼而神退去矣。故葬於紀伊國熊野之有馬村焉。

土俗祭此神之魂者、花時亦以花祭。又用鼓吹幡旗、歌舞而祭矣。(日本書紀)

花の窟神社

 

熊野市有馬町上地130番地

イザナミの墓といわれる。

日本書紀の一書に上の記事がある。

 

境内を巡る

 

紀の国や 花窟にひく縄の ながき世絶えぬ 里の神わざ 宣長

 

180mの縄、7本を1mずつ結んで1本の縄にし、そこから5つの縄を下げている。その両端には日の丸の旗を真ん中3つには錦の御旗を現してる。 この縄7本、吊り下げたもの5つ、錦の御旗3つが七五三を表し、七五三と書いてシメナワと読む始まりになったという。 この縄は決して地面につけてはならない。  

 

 

 

 

 

 

 

 

                                         空を見上げると縄をみつけることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ご神体は高さ45mの岸壁でその下に壇がありイザナミを祭る。(210度)それに対面してカグツチを祀る壇がある。(20度) ここには古来多くの漂着物が多く、境内に生える丸びを帯びた葉の植物も南の島からたどりついたという。  

 

イザナミノミコトを祀る壇

 

カグツチノミコトを祀る壇

 

祭日毎年二月二日、十月二日両度なり、寛文記に昔は祭日には紅の綱、錦の幡、金銀にて花を作り散し、火の祭と云ひしとあり、土人いふ錦の幡は、毎年朝廷より献し給ひしに、何れの年にや熊野川洪水にて其幡を積みたる御舟破れしかは、祭日至俄にせんすへなく、縄にて幡の形を作りしとそ、其後錦の幡の事絶えて縄を用ふ。(紀伊続風土記)

  

産田神社

熊野市有馬町字里1814番地

カグツチの生まれた場所と言われる。

イザナギが海に釣りに行っている時にハマユウの葉で包み込んだものが流れ着き、そこに入っていたモミを蒔いたのが稲作の始まりで、それがこの地であるともいう。

崇神天皇が夢を見、ここに祭られていた神を遷すように命じた。それが熊野本宮だと伝えられる。

伊勢の内宮の鰹木が十本、外宮が九本、そしてここの鰹木が八本になるように作られている。

向き(185度)に建てられている。

 

古代には神社に建物はなく、ひもろぎと呼ばれる石で囲んだ祀り場があっただけであった。