日出ずる処の天子は聖徳太子ではない

 

「日出ずる處の天子、書を日没する處の天子に致す」と手紙を送ったのは聖徳太子であると言われている。この言葉を載せているのは『隋書倭國伝』だが、ここに次の文章を見つけた。

食するに手を用(も)って之を餔(くら)う

要するに手づかみで食べていたというのだ。しかし、『古事記』にスサノヲが簸の川で箸が流れてくるのを見て、上流に人が住んでいるのを知るという神話がある。上流にいたのはテナヅチ、アシナヅチである。いわゆる庶民である。神話の世界でも庶民が箸を使っているのだ。ましてや「古代の母系制について」で述べたように、聖徳太子は、出雲神話の流れをくんでいる。「食するに手を用(も)って之を餔(くら)う」習慣があるのは少なくとも大和〜出雲にかけてではない。

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