大和谷民営軌道



2007/3/20 三滝土場〜モノレール駅〜大和谷ダムちょっと先まで kzo
2018/8/26 三滝土場 kzo
2019/2/9 三滝土場〜モノレール駅 kzo
2019/3/2 三滝土場〜モノレール駅〜六丁峠道合流点〜六丁峠 kzo
2019/4/7 三滝土場〜地池谷出合〜大和谷取水ダム〜くの字滝 kzo
2020/10/24 三ノ公駐車場〜馬ノ鞍峰〜雌滝〜布引滝 kzo


ダム湖〜三滝土場





大和谷にある索道、軌道は営林署の物が本格的で、調査レポートもいくつかありますが、
その前に存在したらしい民営の軌道については、存在は記録にあるものの、
規模が小さいものだと思っていました。
本谷にある石垣も木馬のものだと思っていたのですが、
管理人様より衝撃の写真(@〜C)を見せていただきました。

@三角に柱が組まれた木橋と飯場が映っている軌道の写真。
A吊り橋の下に木の柱で補強された写真。木材を乗せたトロッコは左岸から右岸へ進んでいる。
B桟橋が連続する区間の写真。バックに尖った尾根が映っている。
Cインクラインの写真。木レール複線で下から見上げている。右側が崖。場所の手掛かりは少ない。
上記写真は大正元年(1912)頃のものらしい。

どうも民営の軌道も営林署のものに引けを取らない、かなり大規模な物であった様です。
しかも大和谷索道(S13:1938)が出来る前、かなり早い段階で事業化されていたということ??
写真は残念ながらお見せできませんが、写真のイメージを赤線で入れます。
誰がこの場所で大規模な軌道を運営していたのでしょう?木原造林?
裏付けとなる資料は未発見ですが、立派な軌道の写真だけは確認済です。



【2019/2/9】用事がある時に限って、
町道大和谷線(大和谷林道)は崩落で通行止…
でも湖水が低かったので、ダム湖に降りて巻くことができました。
ダム湖の末端部なので堆砂が進んでいます。



丁度、湖底から軌道跡が出てくる所です。
緩い傾斜で、町道の高さまで上がって行く石垣が確認できます。



崩落地点は丁度、軌道跡が町道と合流する地点の様です。
スパっと落ちています。



合流後は軌道の時からの石垣か、自動車道になってからの石垣かは
判りません。



車道の脇に、軌道の橋台が残っています。
結構高度あるのに、軌道を建設する力があったんですね。



<見せていただいた写真@>
三角に組まれた木で支えられた橋と、奥に作業小屋が映っている写真
岩の形が完全に一致したのです。
これで、写真が大和谷のものである事が断定できました。
【2019/3/5】この橋は「キングポストトラス」というものだそうです。
にしみやうしろ様有難うございます。


三滝土場〜地池谷出合





三滝土場はいくつかの索道等の大きな基礎が残っています。
現在は駐車地や幕営地となっています。



石垣が残っており、ここも軌道跡と思われます。
現在は大和谷登山道。入口の扉が見えています。



扉を過ぎ仮設の階段を通ります。
大きな石垣が残っています。
入口すぐにあった、対岸への吊り橋と電柱は撤去された模様。



軌道跡は続いていますが、ここで谷底に下りないといけない様です。



【2007/3/20】谷底にはレールが散乱しています。
どこで使われていたものかは、はっきりしません。
ぐにゃぐにゃになっていないので、もしかしたらここで使われていたのかも…
向こうに、撤去された電柱が映っています。



整備されていた桟橋は荒れています。
写真にあるハシゴを登った先の桟橋は落ちていました。
ハシゴの途中にはお不動様が祭ってあるのは昔のままですが、
木が朽ちて、近づくのが困難になっています。



この辺りの石垣は歩道でしょうね。
軌道跡は確認できません。



六丁峠へのモノレール駅です。モノレールは六丁峠の先、
焼山谷のトチの木の先まで続いています。
因みにトチの木の下にもレール等の部品を確認済。



いつもはこのまま六丁峠へ登っていきますが、
今日は谷沿いに進みます。釣り師により、ロープやテープが整備されています。



地図にある、かつての登山道らしき物は
左岸絶壁を登っていきますが、朽ちていて辿るのは不可能。
釣り師ロープを伝って谷底に降りたのですが、雪が酷くなってきたのと、
装備が不十分なので今日はここまで。残念〜



【2019/3/2】友人より、単独での登山は止められてますが、
今回は下見(笑)のつもりで単独チャレンジしたのですが、冷や汗かくはめに。
友人の忠告は守りましょう。
今日は天気も良く、前回撤退した岩もクリア。
見上げると太いワイヤが2本、垂れています。大和谷索道のもの?
古い登山記録には吊り橋の跡がいくつか確認されていますが、
今回確認できたワイヤはこれだけでした。



地図の通り左岸は絶壁、右岸は比較的緩やかな地形です。
が、びっくりする位の巨岩が谷に転がり込んでいます。
右岸高みに石垣があります。いつから右岸に?急にここから明瞭に確認できます。



石垣に上ってみます。
巨岩と巨岩の間の隙間に軌道は続いていました。当時から?
これだけでかいと、簡単には動きそうにないですが。
隙間に立って、記念撮影。トンネルみたいになっています。
ジュースの缶が散乱しています。釣り師の幕営地?
古い地図には岩小屋の記述がありました。



釣り師のテープと電柱の看板?
電柱等の県の構造物は最近撤去されてしまいましたが、ここにもあったのか?



巨岩を過ぎても右岸の石垣が続きます。
状態良く残っています。



石垣や岩盤の削った場所が良く確認できていますが、
桟橋の部分も多い区間だったようです。
犬釘や枕木、レールは確認できず。



一段高い部分に石垣と小さな平地がありました。
よく見ると大日本ビールの瓶があります。飯場跡?ビールの瓶が2本だけだけど。。。
2本共、割れていないのが珍しい。



ササ衛門谷との出合。
路盤は不明瞭になっています。写真によると桟橋地帯だった模様。



出合のすぐ上流は右岸、左岸共に崖です。
右岸の崖の高みに、軌道跡が確認できましたが登れません。
すぐ向こうで対岸に渡っていた様です。
ここを濡れずに渡れず、やむを得ずズボンを脱いで渡渉します。



対岸に移り、振り返ると、
<見せていただいた写真A>と同じ光景でした。
場所はここで間違いなさそうです。
ただ、手前に大きな木が倒れ込んでいて、
満足できる写真が撮れませんでした。



左岸に移った軌道は絶壁を削った路盤を進んでいきます。
これはどんどん歩けるか…と思ったのですが、



片洞門が見えてきたのですが、その手前が渡れない。。。
木の桟橋とボロボロのロープが整備されていますが、釣り師は渡るのか??
残念ながら引き返します。



ふと足元を見ると、車輪が落ちています。
今までせめて犬釘でも、と思っていたのですが、
今回これだけ見つける事ができました。
やっぱりトロッコが走っていたようです。
たまに見かけるものですが、車輪って外れるもんなんですかね?



来た道を戻るのか…と思っていると、左岸に切通しの様な地形があります。
もしかして、写真Cなのか?と思い、登ってみます。



…残念ながらただのルンゼの様でした。何もなさそう。
登り切った反対側から、谷底が見えています。懸垂で降りることはできそう。
でもこの先行けるか判らんのに降りるんか?
悩みましたが、降りてみることにしました。
何とか降りられましたが、軌道跡は確認できず。
降りてきた尾根の先が尖っています。
これは間違いなく、<見せていただいた写真B>だ!
写真では赤線部分の桟橋をトロッコが進んでいます。
背景の尖った尾根もバッチリ合致!



喜んで進む先を見ると、岩の向こうにゴルジュがある。。。
谷の大きさとゴルジュの狭さを考えると絶対泳ぐ深さのはず。。。



やっぱり、へつれる深さじゃないです。。。
ズボンだけでなく、パンツも脱ぐのか?泳げるのか??
今来た道を戻るのか…?



悩んで足下を見ると、アンカーが出ていました。
恐らく、橋脚用だと思うのですが。。。
この場所で増水時に耐えることができるのか?
近くにはステンレスのアンカーボルトものぞいていましたが、
いつのものなのか?ここに何があったんだろ??



ここが最後の難関のはず。イチかバチか、右岸のルンゼから高巻く事にしました。
失敗すれば時間がかなりタイトになる…
運良く大した高さは無く、ゴルジュの向こうへ高巻く事は成功しましたが、
再び懸垂、しかも垂直懸垂、足元が見えない…本当に怖かった〜!!
何とか無事ゴルジュの出口から見返すと、左岸に片洞門ができています。
ホンマにここを通っていたのか?ここの写真は無いのか〜



片洞門の向こうは、谷が開けて明るいです。
ああ、助かった〜!もうすぐで六丁峠からの道と合流するはず。



左岸には何段かの石垣ができています。
スイッチバックがあったのかも。
ここで標高下げて、ゴルジュに入って行ったの?



その後、すぐで六丁峠道と合流。今回はここまで。
何年も使っていなかったロープを2回も使ってしまった…単独は怖い!
六丁峠は切り払われ、電柱と電話は撤去されていました。
モノレールは残っているけど、県のものでは無かった?
この道も荒れ荒れでしたが、谷底よりは断然安心です!


地池谷出合〜大和谷取水ダム





【2019/4/7】続きが気になり、見てきました。
何度か歩いた区間ですが、あると信じて探して歩くと
思ったより軌跡を確認することができました。
残念ながらこの区間はトロッコが走っていた写真や資料は今のところありません。



地池谷出合の辺りはスイッチバックになっていた様です。
何段かの石垣が確認できます。



振り向くと、カモシカと目が合いました。
本日2回目、この時期はカモシカ遭遇率は高いのか?



左岸は壁になり、路盤は無くなっています。



再び石垣がうっすら出てきます。
一段低い場所に大きな平地があり、ゴミが散乱しています。
取っ手付きのガラス瓶、久しぶりに見ました。



路盤は再び無くなり、桟橋が架けられています。
桟橋の足は宙に浮いて、辛うじて通れます。



桟橋を超えると再び路盤を歩きます。
小さな切通しがあり、その向こうは石垣が続いています。



歩きやすい区間はここで終わります。
橋台があるので、元々はここから桟橋だった様です。



現在も同じ(ちょっと低い)場所に桟橋が架けられています。
向こうの壁はうっすら片洞門風に削られています。
絶壁にあるので、桟橋のおかげで本当に行動が捗ります。



断続的に桟橋が続きます。
桟橋が終わると左岸高みに石垣が見えてきて、「焼山谷」の看板が出てきます。
石垣が気になったので、ちょっと寄り道してみます。



軌道とほぼ同じ幅でジグザグに登っていく明瞭な石垣が残っています。
が、登っていくにつれ、だんだん痕跡が薄くなっていきます。



桟橋にレールの継ぎ目板が使われています。
ちょっと大きいサイズのレール用に見えます。



階段を登って行くと、高みに何か見えてきました。
やたら大きな物の様ですが…あまり余裕無いですが、確認しに行ってみます。



人工物は、コンクリート壁でした。
この辺りに取水設備があるはずなので、それに関連したものでしょうか。



コンクリート壁の上に登ってみると、
100m走ができそうな位の広さの台地がありました。
奥に「焼山谷取水所」の銘板が付いた、小さな取水設備があります。
ヘリポートや資材置き場だったんでしょうか。
…ということは、さっきの大きな継ぎ目板は水路建設用のもの?
トロッコを使用していた?



再び大和谷本流に戻ります。
左岸は大きなコンクリート壁で、その上は台地になっています。
上の取水設備との間はスイッチバック風の石垣があり、
ちょっと大きなレール用の継ぎ目板もあったという事は、
もしかしたら、ここはトンネルを掘ったズリ捨て場?
予想してみましたが、どうだろ?
石垣が明瞭なのも、時代が新しいから?



だいぶん寄り道しましたが、続きを進みます。
焼山谷出合は複雑な形の橋が架かっています。



橋を渡ると、石垣はありませんが軌道跡っぽい歩道が続いています。



石垣も出てきました。間違い無い様です。



左岸の絶壁に作られた軌道跡はそのまま登山道になっています。



突然進路を塞ぐかの様な配置の石垣が現れました。
中央は壊されていますが、両端の石垣は残っています。
後年できたのか?なんだろ?



路盤を再び見失いました。



開けた場所で左岸に石垣復活。
スイッチバックの様な、段々に石垣が組まれています。
中央部分は崩壊しています。



ここは明瞭に残っています。



明瞭な路盤は土砂崩れの中へ突っ込んで行ってます。



路盤を見失ったまま進みます。
右岸谷底に何か四角い人工物と石垣が見えます。



そのまま進むと再び左岸がコンクリート壁になり、
台地状の地形があります。
ダムが近くにありますが、ここもズリ捨て場でしょうか。



石垣が見えてきましたが道幅狭く、ここは元々歩道の様です。
軌道跡らしきものは右岸、左岸共に不明。



すぐで大和谷取水ダムに到着です。
「立入禁止」の札が掛かっていますが、ここを通らずにダム上へ行く術がない。。。
中部電力さん、登山者への配慮お願いしますm(__)m

この区間、先を急いでいたのと谷の向こうが見えなかったのとで、
登山道も軌道跡も左岸のみの確認になりました。
軌道が右岸に移っていた可能性はゼロでは無いのですが、
殆ど左岸だったという事は間違い無い様です。


大和谷取水ダム〜夫婦滝
手前くの字滝まで





【2019/4/7】ダムより下流はどうも大正時代の軌道と
昭和のダム遺構が混在して、判断が難しいのですが、
ダムより上流は軌道終了から現在までの間に
人の手が入った事は無いはず。
途中、巴滝手前くの字滝で敗退。
最後、夫婦滝まで見られなかったのが悔やまれます。



ダム直下の右岸には何も確認できませんが…



ダム右岸上流、すぐで軌道跡?っぽい地形が現れます。
ダム建設時に造られた地形かもしれませんが、軌道はどこかで右岸に移った?
左岸はロクロ谷出合で絶壁、何も確認できません。



怪しいな〜と疑いながら進んでいきます。
ちょっと右岸の傾斜が緩やかになった所に、連続した石垣が現れました。
どうもやっぱり軌道は右岸に移っていた様です。



大きな岩を越えながら、谷底を進みます。
右岸にはケヤキ谷からの滝が架かっています。
軌道は滝の最下段の落口部分を跨いでいた様です。ここの現役写真も見たい!



軌道跡に登ってみました。
滝の部分は崩壊していますが、それより上流はきれいに残っています。



どんどん進んで…という訳にはいかず、すぐでただのトラバースになります。
あまり登ったり降りたりしたくなくなってきました(笑)



左岸に石垣が出ています。
この辺りで左岸に移っていた様です。



再び不明瞭。



左岸に段々の石垣が見えてきました。



スイッチバックですね。明瞭ですね。



高度を稼いだ軌道は谷を右岸に渡っていた様です。



残置ロープがあり、よじ登ります。
長くは続かないであろう軌道跡を歩きます。



…やっぱりすぐで途切れます。向こうに石垣がちらっと見えます。



断続的に石垣があります。
でも通しで歩くことは難しそう。



…かといって谷底も歩きやすい訳ではありません。
通常の時期はヒルがいて、更に鬱陶しくなります。



脇谷出合付近で路盤は消えました。



谷底でレールを発見。三滝土場付近で見るものと違い、
細い、手押し軌道用のレールです。



再びうっすらと軌道跡の様な感じです。



谷は広がりますが何も発見できません。



【2007/3/20】谷底に土手が現れました。
12年経った写真をしれっと挿入しても全く違和感のない、
そら100年前の遺構も残ってますわ。



左岸に大きな石垣が出てきました。
大きなスイッチバックがあった様です。



この先、巴滝や夫婦滝など、地形が複雑になってきます。
大きなスイッチバックはこれらを巻き進むものだったのか?



布引谷出合滝は今日は糸の様に細い流れです。



そしてくの字滝。
右岸にロープがあるのですが、単独日帰りではちょっと厳しいかな…

おそらくこの奥が巴滝、巻いてしばらくで夫婦滝ですが、
手前の左岸で大きく高度を稼いだ軌道はどういうルート取りをしていたのか…
桟橋だらけだろうからトレースは無理だろうし、
右岸か左岸か探しに行くのも相当しょっぱい思いをする筈。
かといってゴルジュの中を片洞門で通り抜けるアクロバティックさが
ここでも発揮されているはず(笑)
ここから奥は沢慣れした方に同行してもらって、いずれ再チャレンジしたいと思います。


布引滝〜夫婦滝
スギ沢





【2020/10/24】その後いくつか情報をいただきました。

・夫婦滝の巻きは、魚は欲しいけど命も惜しい(釣り師)
・夫婦滝の雌滝の巻きは、容易
・スギ沢には石垣や飯場跡、レールもある
・三ノ公から行けば夫婦滝まで3時間

…ほんまかいな(笑)
上2つは矛盾してるやん。秘密の釣り師道があるのかな?
初見で大滝の巻き下りて、今まで成功した事ないけど…
気になったので行ってみましたが、やはり大冒険になりました(笑)



馬の鞍峰よりスギ沢右俣・左俣間の尾根で夫婦滝(雌滝)へ。
確かに落ち口右岸より踏跡が確認でき、巻き下る事ができました。
しかも巴滝・くの字滝・布引滝の巻き下りにも成功、
前回Uターン地点まで来る事ができましたが、
既に膝はガクガク、日帰りでどうやって戻るんだ!
雨上がりなので今回は布引滝は布を引いていました。
くの字滝前の淵、右岸についていたロープが無くなっている?
今回は布引滝の左側斜面より登り、布引滝・くの字滝を大巻きします。



すごい水音がしますので一旦谷底へ降りますが、
巴滝は横を向いていて近づかないと見る事ができない様です。
水しぶきがチラチラ見えていますが、今回は時間と体力の都合でパス。
右岸の巻き道も調べたかったですが、これもパス。



再び巴滝を右岸大巻き、
かすかな踏み跡を辿ります。
巻きの途中、落ち口左岸に石垣を発見。
この立地でトロッコは無いやろ…
一体何の石垣だろう?



大巻きと悪場が一旦終わり、左岸に銚子谷が穏やかに出合います。



左岸に石垣を発見。巴滝落ち口に続き2例目。
でも周辺は絶壁だらけ。トロッコなのかどうか…
そういえば巴滝上の右岸は国有林。でも石垣は左岸…



すぐで夫婦滝が見えてきました。
まさか奈良側から見に来る事になるとは思ってませんでした。
雄滝も目の前ですが時間体力の都合で省略です。とほほ



雌滝左の黒い壁目指し登っていくと、古い黄色いテープが
ついた巻き道を見つけました。
布引滝から雌滝までの右岸巻き道は痕跡薄く高くて危険です。
でもこの道のおかげで今回ザイル使わずに済みました。でもコワいわ
雌滝の落ち口は釜になっていました。



スギ沢の右俣・左俣の出合。明るくて穏やかな雰囲気です。



レールが落ちていました!
左俣にももう1本落ちていました。
地池谷の奥と同様、末端部で部分的にトロッコが使われたのかな?
と思いました。



右俣には左岸に石垣が。飯場跡?
スギ谷も時間足りず、出合付近しか調査できませんでした。



飯場跡?には太いワイヤ、波板や瓶、茶椀の破片が落ちていました。
LIONの瓶は帰ってググったら、戦後製の歯磨き粉の様です。
ここの遺構は国有林だし明治期ではないな。白い瓶も大又で見たぞ
どこかで民営軌道を見失っているはずですが…
確実なのは布引滝下の石段までかな?

16:30に三ノ公駐車地に帰った時は
南朝の落武者の様になっていました(笑)



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