大又索道
備後川・大又林道・佐渡林道、塔谷林道


2012.6.1 大又索道駅・竹ノ平駅・修練道場跡 Tさん 管理人さん kzo
2019.12.14 大又索道駅・風呂の谷駅・長瀬谷線・竹ノ平駅・ナル谷出合 管理人さん にしみやうしろさん Nさん kzo
2020.5.17 竹ノ平集落・風呂の谷駅・池ノ宿林道・長瀬谷線 kzo
2021.3.20 大又索道No.49鉄塔 kzo


【2012.6.1】
熊野の山奥にある大又国有林内にかつて建設された、大又索道・軌道の痕跡をみてきました。
現在は軌道は撤去され、大又・佐渡林道になっています。



新宮営林署OBの方(Tさん)にお話を聞ける機会ができ、
こんなことはめったに無いので、管理人さんと佐渡林道に向かいました。
用意していただいた地図で今日一日の説明をしていただき、
早速ゲートを開けていただいて佐渡林道へ。



Tさんは山を降りてからも、しばしばこの辺りの案内をされているそうです。
ご親切に、今日はどこが見たいの?て聞いていただきました。

今日の目的は…

・Tさんの現役時代のお話
・この林道の前身である大又森林鉄道について
・官営索道の起動所(駅)の場所
・竹ノ平事業地にあった、大又森林修練道場の場所
・せっかくなので林道が現在どこまで行けるのか

です…僕は何も知らずに管理人さんについて来ただけですが。
と、今日の目的をお願いしている内に、佐渡峠まで到着。
広い峠には「トチノキ街道」の看板がありました。
保色山へはここからが楽に行けるらしいです。
(今は鍵がかかってるので歩きが大変だけど)

【2019.12.14】

もう一度見に行こう!と決心してはや7年(笑)
秘境中の秘境のような場所なのでなかなか条件が揃わず、やっと行くことができました。
今回のメンバーは、
史料文献のエキスパート
森林軌道&技術のエキスパート
登山技術のエキスパート
…運転手の私(笑)という最強かつ濃いメンバー。
もう何があっても対応可能な体制で突入しました。
途中の区間の道が悪く、帰りは備後川林道で池原ダム経由。



大又発電所





【2012.6.1】R42から大又川を挟んだ対岸、
ゲート手前の山腹に水力発電の水路があるということで、見に行きました。
まだ巨大な水圧鉄管など無い時代、石垣でできた用水路。
灌漑用みたい。



水路の先に、発電所跡地がありました。
年月が経って、苔むして森に飲み込まれていますが、
放水口だけきれいに残っていました。



【2019.2.17】熊野古道センターで開催中の「熊野のダム」展に行きました。
いつものマニアックな調査で、大変参考になります。
大又発電所も出ていますね〜



大又索道駅





【2012.6.1】見事なトチノキが花を咲かせていたのを見て、
しばらく撮影タイム。



官営索道の大又索道駅の場所に行きます。
トロッコの起点でもあるわけですね。
教えていただいた場所は…草むらでした。
「ちょっと厳しそうやのー」とここで場所だけ見て再び車に。



【2012.6.1】Tさんのご案内が終了した後、
お礼を言ってお見送りをして…

我々だけで第2部に突入します。
大又索道駅の場所がゲートからそう遠くないので、探してみることにします。
谷に降りて、ウロウロしていると…
山の中にそれらしき遺構が!



横にもなにかあります。
間髪入れず「ここにモーターがあって…」とか、
「ここまでシャフトで動力を伝達して…」とか説明される管理人さん。
てか、ここの設計図持ってる管理人さんスゴイです。。。



周囲は立派な石垣の土台が築かれていました。



2019.12.14】前回のおさらい兼ウォーミングアップのつもりで
大又索道駅へ。場所を把握しているので、ほぼ迷わず再訪できました。
7年経ってもほぼ変化なし。



早速、索道駅から土場への搬出路があるはず、との指摘が入り、
周辺を探すとそれらしい石垣が残っていました。
路盤を追ってみましたが、痕跡薄れ確定には至らず。
最初から深追いすると時間が無くなるので、
路盤が右岸に移る所まで確認して、次のポイントに移動しました。


大又索道
No.49鉄塔





大又索道は大又索道駅から賀田の港へ木材を出荷した路線ですが、
途中のNo.49鉄塔は高さ54mもあり、
現在の御在所ロープウェイの白鉄塔(61m)とほぼ同じ高さ、
しかも上半分は木製!この目で見たかったです。。。
下半分が鉄骨製なので、基礎はしっかり遺ってるはず!という事で、
場所の検討をつけて見てきました。



【2021.3.20】国道42号大又トンネル東口です。
監視カメラの真ん前に駐車し入山。



左岸に石垣のある道とピンクテープがあります。
鉄塔の巡視路?昔からの道かもしれません。
道は九十九折れになっていたのがわかります。



炭焼き窯もありました。
できた炭を楽に運びたいですが、索道ははるか上空…



小さな抜けがちらほら出てきましたが、
ピンクテープやトラロープが整備されています。
どうも先客がいるようです。



思ったより楽に目標到着。
基礎だけ残っていました。
鉄骨も残っていたら良かったのですが…
基礎は4箇所確認できました。



鉄骨はボルトオンだったようですが、
規模の割にはボルト4本だけ?しかも接近しているような。



外したボルトもそのまま。
金属部材はこれだけでした。


佐渡峠より
保色山





佐渡峠東側より保色山へ向かう林道を歩いてみます。
ここも現在使われてなくて、前に聞いた「車で行ける」はできませんでした。
途中、大木が出てきました。尾根も途中から片側が自然林になり、
展望効く場所も出てきて、退屈ではありませんでした。



林道を結構歩いて、保色山到着。
山名プレートがいくつかありました。
皆どこから登ってくるんだろう?


風呂の谷駅



【2020.5.17】前後の駅の位置が確定したので、
風呂の谷駅の位置もほぼ特定できました。
前回探した地点とあまり離れていないですが、
索道駅は山の中ではピンポイントでないと見つけられないですね。



高い石垣が見えてきました。お城の様です。
これで間違いなさそう。近づいてみます。



上部は台地になっていました。2〜30坪位?
コンクリートの基礎、切られた鉄骨、小さな穴、碍子がありました。
事業所への物資運搬が目的の駅だった様で、ここへの木馬道や軌道は
見つけられませんでした。


朴の木谷事業地





林道沿いにある、大きな台地が朴の木谷事業所跡だそうです。
何か残っていないか確認しますが、綺麗に無くなっています。



ほとんど収穫無しですが、ドラム缶焼却炉と、
木枠に付けられた集材用?のローラー。
インクラにしては、でかすぎる気がする…
…詳細不明です。


長瀬谷線





【2019.12.14】支線の長瀬谷線の跡を探します。
林道から比較的新しい石垣が見えたので登っていきます。



登山エキスパート氏はどんどん進んで行き、私は必死で追いかけます。
残り2氏は林道で待機。
「見えたぞ!」の声があり、追って行くと石垣がありました。



軌道跡は砂防ダムへと続いていました。
ここまでしか追う事はできませんでしたが、
軌道の存在と位置を把握できただけで大成功!


竹ノ平 索道・軌道駅





【2012.6.1】峠を越え、備後川流域に入ります。
しばらく進んだところで、竹ノ平索道・軌道駅跡に到着しました。
残念ながら駅だった場所は、林道から一段下の平地に立地していたのですが、
土砂崩れの残土捨て場になっていて、殆ど埋もれていました。
「もっと広かったはずなんだけどのー」とTさん。

*  *  *

【2019.12.14】今日の調査のメインはここ。
前回「埋もれてしまった」と聞いていたので調べなかったのですが、
どうも遺構はまだ残っているらしい。または、もしかして場所が違う?
土捨て場の端っこに向かうと、それらしいものが残っていました!



斜面を降りていく登山エキスパート氏。
何かあるのがわかると早い早い(笑)



コンクリート柱が並んでいます。
石垣で囲まれた台地もちらほら。
すぐ近くまで捨てられた土砂が迫っています。



近くには長瀬谷方面への軌道跡も確認できました。
林道からだいぶん下になっていますが、標高差をどう解決したのでしょうか。



索道の車輪とレールも置かれていました。
この遺構が竹ノ平索道駅であることは間違い無いようです。


竹ノ平事業地





【2012.6.1】林道から脇道があり、そちらへ進むこと30m程で…



下に降りる道がついています。



集落跡がありました。
ここが竹ノ平事業地だそうで、分校や診療所があったそうです。
こんな山奥に…すごい話ですね。



学校の校庭横から更に下へ進む道があります。
竹が生えている場所はかつて人が住んでいたということだそうです。
竹って便利ですもんね。



沢の横を降りていきます…が、Tさん早い!



沢を渡っていた橋は腐りながらも残っていました。



橋の横にはトングレールが。
ここまで転がってきたんでしょうか。



ここに大又森林修練道場だそうです。
大阪営林局の若手がここで林業について学んだそうです。
戦後ちょっとまであったんだとか。
営林局長も度々ここを訪れたそうです…こんな山奥なのに。


竹ノ平集落
備後神社





【2012.6.1】帰りはゆっくり、各ポイントの説明で進みます。
林道から備後川を挟んだ向こうは奈良県上北山村、
大きな杉が生えていますが、あそこが狭義の「竹ノ平」だそうで、
田畑や民家の跡が残っているそうです。
平家の落人が住んでいたかもしれないそうです。
でも今ではそこに人が住んでいたという
事自体が信じられない…
あの大きな杉は根元にある祠の御神木だそうです。

*  *  *



【2020.5.17】備後川を渡り、見に行ってみました。
場所によってはかなり厳しい備後川本流の渡渉ですが、ここは簡単です。



小さな谷(塔谷?)を挟み、両側に緩斜面が広がっています。
まず東側から見ていきます。



ここからどうぞ!とばかりに
石段があります。ここから登ってみます。



水車の石垣も確認できました。田畑があったというのは、ここの事でしょうか。



大きな台地があり、植えられた杉が大きく育っています。
段々畑の様に石垣が何段か設けられています。



道の様なものが続いています。
行ってみると小さな谷に出ましたが、そこから奥は判りませんでした。
東側は大体見たので、小さな谷の西側へ移ります。



集落の入口の様な場所に石塔の様な物があります。
表面を見ましたが、何も書かれていない様です。なんだろう?
この裏の道を進むと分岐があり、登って行く道を選びます。



祠が見えてきました。てか祠サイズでなく神社ですね。
しかし横の杉のデカさ!3本株立ちですが内宮のスギの2倍位の太さ。
なんだこれは。周りの木がモヤシに見える(笑)



写真にすると判り難いな。
デブいおっさんが中に立つと細く見える(笑)
すごいでしょ?上方の枝が普通の木の幹の太さ。
お社も普通にあり、中を覗いてみると、「備後神社」の札がありました。



神社の近くに山小屋が見えました。
この秘境になぜか1軒だけ残っています。



外壁が崩れ始めています。
林業の作業小屋だったんでしょうか?



昭和38年と昭和41年の記録が壁に書かれています。
何年頃まで使われていたんでしょうか?



小屋を出て、更に奥へ進みます。
こちらも棚田の様になっていますが、東側に比べかなり広いです。
立派に育った木が間引かれてそのままになっています。



石垣のある水平道がありました。
何だろう?西方向へ追ってみます。



所々崩れていますが、集落西端の尾根手前まで
追うことができました。その先は傾斜が出てきて痕跡も不明瞭で続行不能。
少し下に小さなアップダウンのある、道ができていました。
上の石垣水平道は何だった?再び集落跡に戻ります。



集落に戻ると水平道をまた見つけました。
標高は先の道とほぼ同じ、繋がってるんでしょうか?
今度は東へ追ってみます。
道は集落の中の小さな尾根を巻きますが、小さな切通しがある!
これとは別に杣道?が切通しを通らず、尾根を巻いて降りていきます。
切通しの向こうは不明瞭になっていましたが、備後神社への参詣道で
クロスする所は確認できました。
痕跡薄いですが、何かあった様な気がします。
谷水を引いていた可能性もありますが、集落の端を越えていくのが
よく判らない…水を通す溝も確認できないし…


心中橋





【2012.6.1】この橋、かなりの高さに架かっていますが、
昔ここで作業されていた方に戦争の召集がかかり、
失意の果てに彼女と心中があったところだそうで、心中橋と呼ばれていたそうです。
橋の下に木橋が残っていました。


軌道トンネル跡





【2012.6.1】さらに進みます。林道脇にトンネル跡が。
この路線は殆ど林道化の際に拡幅されてしまって、トロッコの痕跡が少ないので貴重です。
草むらから細いレールも飛び出していました。



反対側は拡幅工事で崩されていました。
端部のみコンクリートで補強されていたようです。


林道分岐点





【2012.6.1】佐渡林道、塔谷林道(備後川林道)、大又林道との3叉路に着きました。
時間がもう少しあるので、もうちょい先の池の宿洞門まで行くことにします。

【2019.12.14】今日はR42号〜風呂の谷あたりまで
出荷作業中。普通に車で走れましたが、風呂の谷あたりからここまで
長く誰も通っていない様子。落石や倒木を除去しながら走りました。
で、ここからはまた道が良くなっています。
どうもここから池原ダム方面に出荷しているみたい。
※林道の通行は営林署の許可(鍵)が必要です


池の宿洞門





【2012.6.1】少し走ると、池の宿洞門に到着です。
こちら側は林鉄時代そのままのオリジナルだそうです。
この小さいトンネルが林道になってから木材搬出のネックだったので、
途中まで断面拡幅を行ったのですが、途中で断念になったそうです。
営林署によるとこの先崩落で通行止らしいので、この先今日はここでUターン。



【2019.12.14】帰りに大又林道が使えるか調査。
…トンネルの向こうの景色は全然無理の感じ。残念!
トンネル東側はこんな感じで断面が小さくなっています。
コウモリもちらほら。


池ノ宿線





【2020.5.17】池の宿洞門の向こう、見に行ってみました。
林鉄マニアがなぜ池ノ宿線について語らないのか、行って判りました。
完全に林道化されてるんですね。舗装もバッチリ!
ほぼ痕跡無いですが、ちらほら過去の物が確認できました。
これはおくど?なぜこんな場所に?



落ち葉が積もっていますが、綺麗に舗装されています。
拡幅されていて、軌道の石垣等は見付けられません。



切通しを通過します。
昔の地図にはトンネルが記載されていますが、ここなのか?



手すり付きの橋には名前が付いていました。



このまま問題なく行けるのかと思っていたら、
倒木ゾーンに。ここから徒歩になりました。



林道の分岐がありました。
樅木平林業専用道だそうです。



周辺はなだらかな地形で、遠くに石垣も確認できます。
集落があったのかも。



先を進むと開けた所に橋が架かっていました。
左岸にいかにも、といった空き地があり、
見てみると昔の橋台がありました。



トガサワラ林の説明板。
林道から離れた所の様です。
ここには周囲21尺(約6m強)の巨木もあるそう。
残念ながら倒れているらしいですが、一度見てみたい!



谷底が近くなってきました。
綺麗な多条滝を見ながら進みます。



谷は穏やか、見事なナメ床が続きます。
南紀の沢の雰囲気。小さなアマゴが泳いでいます。



林道脇に小屋の跡が見えました。
細いレールが1本ありました。
てか、この辺り轍がしっかりしてるから、何も歩いて見る事ないんじゃない?
今日はここで戻る事にしました。



【2012.11.25】ここから先は以前大杉谷自然学校のイベントで、
文政スギを見に行くツアーに参加して、歩いてました。
この辺りの杉は文政(1818-31)の時代に植えられたそうです。
誰が何のために?は判ってないそうです。



大又隧道には隧道の説明板が付いていました。


この区間、林道沿いに見どころが盛りだくさん!
新たな発見もまだまだ出てくる可能性が濃厚。
ダート林道や保色山、文政スギ、トガサワラ、
平家落人伝説や木地師などの切り口で訪れても話題豊富な所です。
遠いのと許可制なのがネックなのでめったに来れませんが、
急峻な地形の中で大規模な森林開発を行う知恵が大変興味深いです。
記録に無い軌道跡もあるらしい…??



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