能見坂峠〜三界坊〜
   日踊山〜鴻坂峠




能見坂峠

林道入口-(0.5H)-能見坂峠-(0.5H)-泉-(0.2H)-行止まり




2003年に新しいトンネルが出来、旧来の能見坂峠道は
使われなくなりました。
何箇所もあるヘアピンカーブ、狭い道、
内壁がボコボコの能見坂トンネルを見る機会が減りました。

1928年にこのトンネルが出来たときも、当時の人々は今の我々のように
「便利になったなあ!」と思ったことでしょう。

では、このトンネルが出来る前は、どこを通っていたのでしょう?



能見坂トンネル(旧)を度会方面へちょっと行ったところに
林道の入口がありました。
ここが当時の尾根越え道かどうかはわかりませんが、入ってみます。



林道は道路から離れていき、どんどん高度をあげていきます。
林道が舗装されている場所の左側が
開けている場所があったので、入ってみます。
林道はそのまま尾根の北側を登っていきます。



かつて賑わいがあったであろう大きな峠道がありました。
両側を石積みで固めてありました。道幅も広いです。
後で偶然聞くことができた古老のお話では、
魚や米や炭を積んだ荷車が行き来したそうです。



南島側は広いスペースがありました。
何があったのでしょう?
道は左(東)方面へ続いていました。



広い道幅が往時の賑わいを語っています。
でも今は木が生え、枯れ、倒れています。



斜面は石積みで固めてありました。
綺麗な状態で残っています。



カーブを過ぎたところの斜面に、ぽっかりと穴が開いていて、
小さい泉がありました。
古老のお話で
「道端に水が湧いている場所があって、そこでよく休んだものだ」
と聞きましたが、ここかもしれません。



この先で展望が得られました。
この景色は当時と同じでしょうか?



今は旧道になった道路が見えました。
ここから道は再び林の中へ入り、
つづら折れの下り坂になります。



このあたりの名物、褶曲した露岩がありました。
反対側足元に新能見坂トンネル南島側出口が見えました。



この先、唐突に道が無くなります。
というか、山ごと無くなっていました。
新しくできた道の切り通しによって、続きの尾根ははるか向こうでした。



新しい道が30m程下に見えますが、つかまるものがないので降りられません。
残念ですが、ここで引き返しました。
この後、舗装道まで安全にもどれそうな場所を探しながら戻り、
強行下山。背の丈ほどのヤブを漕いでやっと舗装道に出られました。

南島側は崖が多く、取付きがネックになります。
下降時は要注意!


能見坂峠〜鴻坂峠

能見坂峠10:42-(0.5H)-401m-(0.8H)-325m-(0.2H)-
 -320m三界坊-(1H)-385m日踊山-(0.2H)-鴻坂峠13:08




能見坂峠を越えました。早速、炭焼釜跡がありました。
この後、植林と自然林の間を通ったのですが、歩きにくい!!
見晴らしもないし、ひたすら歩きます。



進路が北になり、どんどん登って401mまで来ました。
三角点がありました。近くに南勢テクテク会さんの山名板がありました。



・・・何と読むのでしょう?・・・



再び進路が東になり、南中村や脇出の集落が見えました。



すぐ、大きな岩の間をすり抜ける場所がありました。
どんどん進みます。

325mには三角点がありました。
「三界坊南峰」の山名板がありました。
ここから進路は北になります。

程なく尾根道に山道が横切って交差点になっています。
尾根道を鴻坂峠目指して進みます。


三界坊(320m)




320mは岩峰になっていました。
「三界坊」の山名板がありました。
南側の景色が楽しめました。



今から進む山並みです。
一旦、鞍部へ降りて、登り直します。



急な下りの最中、至近距離でリスを発見!
すぐ高いところまで登っていきました。



再び交差点です。
こういう小さい峠でも人々が行き交っていたのでしょうか・・・


日踊山(385m)




尾根沿いに北へどんどん進みます。
385m日踊山へ到着しました。
露岩に登る為のハシゴとロープが設置してありました。
登ってみると、景色抜群です。



この後は鴻坂峠目指して進みます。
植林の杉が密生して進みにくい場所もありましたが、
道ははっきりしていました。
程なくゴ〜ル!いや〜今回はひたすら歩く時間が長かったかな。



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