木梶三滝
(白滝・女滝・不動滝)

2002.10.26
2005.1.23
2005.11.13(野崎さん&川辺さん)


高見山の麓にある木梶三滝を見てきました。
ここは一気にたくさん滝が見られておトクです。
以前は細い山道&急坂でしたが、大変整備されました。
白滝は落口まで行けるようになりました。



白滝



女滝



不動滝


木梶川トロッコ
ベニア板製造工場〜架線場



2005/11/13  Ships木梶三滝ツアー
2015/9/19  飯場跡〜索道場
2016/1/9  ゼエノ谷出合付近〜尾根
その他、空振り多数(笑)


以前木梶三滝探勝ツアーに参加した時、
木梶川にレールが刺さっていたのを見て
この辺でトロッコは珍しいな〜と思っていましたが
その後詳しいデータをいただく機会がありました。

・昭和16年の「近畿の山と谷」(住友山岳会編)にトロッコの記述がある
・架線場からベニア板製造工場まで軌道があったらしい

という情報でしたが、どこにあるのか検討がつかず、
保留になっておりました。
ところが最近存在を発見したというレポート(GさんTWさん)が出、
すぐ私も見に行ってみました。
予想ではもっと高い場所を通っていたと思っていたので、
谷底にある遺構がどんなものか、と
待ってました!という気持ちでワクワクしながら木梶林道に向かいます。



木梶林道支線が木梶川を渡る橋より、右岸に取り付き遡ります。
すぐで石垣の橋の跡があるので対岸に渡り、すぐで飯場の跡に到着します。
レール等トロッコの存在を残すものはありませんが、
トロッコはここからスタートしていたと思われます。
ここがベニア板工場?全く判りません。



写真奥からスタートした軌道跡は…



先程見た石垣を通り、橋で川を渡ります。
渡った先、写真左方向へ進みますが
右方向の支流右岸にも軌道跡らしきものがあります。
先に支流右岸を見に行きます。



明瞭な石垣が残っていますが、
傾斜が若干きついです。トロッコではないのかも。



すぐで飯場跡のような台地に着き、
路盤は不明瞭になりました。ここでUターンします。



先程の合流地点からすぐで林道の開削により
路盤は無くなります。
下を覗きながらしばらく林道を歩きます。



林道が離れると、路盤が復活します。



軌道が現れました。



この場所が今回で一番当時の状況が残っていました。
レールは当時のもの・・・だと思うんだけど。。。



軌間を計ってみると、約400〜500mmありました。
枕木や犬釘が無くなっているので、後年ずれた可能性がありますが
小ぶりのトロッコだったようです。



レールは残っていますが、人為的に曲げられたのか
まっすぐには残っていません。



レールはここで一旦終了します。



路盤も徐々に不明瞭になり、
イバラ付きの倒木の付近で見失います。
その近くで、路盤が二手に分かれていたようです。



2段になった石垣が確認できます。
分岐だったのか、路線の変更があったのかは不明。
不明瞭なのも自然の崩れなのか、人工的な修正なのか、わかりません。
先に下段(青)から見て行きます。



路盤は不明瞭なまま、石垣で谷を越え
コンクリート基礎の残る台地で終了していました。
後述するこの下の路盤と直接繋がる痕跡は発見できませんでした。
ここで分岐まで戻り、上段(赤)の続きを見に行きます。



上段の路盤は標高をキープしたまま、小さい石垣を越えた先、
写真の場所で大きな抜けにより消失していました。
今回は4mお助けロープで抜けを通過します。



抜けの向こうにも路盤は残っていました。



石垣が残り、明瞭に辿ることができます。



レールも復活しました。
トロッコの軌道跡で間違いなさそうです。



この先、路盤が不明瞭になり、場所を見失います。
所々にレールは見えているのですが。。。
いつもは路盤だけでトロッコかどうか判らない場合が多いですが、
ここは逆です。この先でレールも見失い完全に判らなくなりました。



周辺をウロウロすると、50m程下に明瞭な路盤を発見しました。
更に索道場と思われる広い台地と大きな石垣がありました。
どうやらここで終点のようです。



レールやワイヤ、一斗缶が残っていました。
ここまでトロッコが来ていたようです。



末端部は大きな石垣でスパっと切れています。
索道の基礎などは確認できず、位置関係は不明。



尾根の下は白滝、その向こうへ索道は伸びていたと思われます。
水の音は聞こえますが、滝は見えず。



どこかでこの標高まで下ってきているはず。
明瞭な路盤が続いているので、遡ってみます。



レールは残っていませんが石垣が残っていたりして、
とても歩き易いです。こちらの方が年代が新しい?
このあたりの上部にも路盤がある筈ですが、なぜ二重になっているのでしょう?



石垣が組まれた広い台地がありました。
飯場か作業場の跡でしょうか。



小さな沢の法面に石垣が組まれ、水が染み出しています。



車輪か滑車のような物を発見。
ほじくってみましたが、ビクともせず。



この法面は珍しくコンクリートでした。
大きいからなのか、比較的新しいからか…



この台地の先で路盤を見失いました。
谷底も近づいてきて、ここまでだったのかも。
この辺りから上部へ繋がっていたのでしょうか。



すぐ下の谷底には石垣が組まれていて、
水の中にレールやワイヤがあります。
ワイヤは細く、吊橋か何かだったのかも。索道やインクライン用ではなさそう。



周辺を探してみると、上部は往路で見た、
コンクリート基礎の台地の近くでした。
標高差約2〜30mがどうやって接続していたのか、結局見つける事はできませんでした。



あらかた全部の設備を見ることができたと思いますが、
よく判らない謎が残ってしまいました。
こちらは三重県側へ搬出していた様ですので、加賀山山林とは直接関係しないのかも。
他の皆さんの調査レポートを気長に待ちたいと思います。


本当はお世話になってる掲示板に投稿したかったですが、
文章力が無さ過ぎて多量の写真が必要でした。
ツッコミ等の修正も考えて今回は自HPにて公開したいと思います。


加賀山軌道
南タワ〜地蔵谷出合、ゼエノ谷出合付近


2011/4/15  地蔵谷出合〜尾根
その他、空振り多数(笑)


この区間は既に詳しいレポートが何件も出ており、目新しい情報も
持ち合わせていませんので今のところレポートはパス。

ただ、自分の中で何点か解決できていない点があります。

・ 尾根へ「登る」軌道だったのか?あまり聞いたことがありません。
・ 尾根に隧道があったとすれば、短すぎない?現在の様に切通しで良いのでは?
・ 尾根から杉谷へ索道で下していたとの記録だが、航空写真の索道跡と
   場所が食い違っている。尾根から杉谷へはどうやって下していた?
・ 記録にある青田川分水嶺付近への軌道はどこへ続いているのか?
・ 鳴滝下の軌道跡とはどういう関係なのか?

こちらもご存じの方、情報をお待ちしてます!


加賀山事務所(加賀山山荘)

2016/7/2  加賀山事務所(加賀山山荘)跡
その他、空振り多数(笑)


軌道と同じく記述のあった加賀山事務所を探しています。
当初は軌道跡または林道沿いに存在していたと思い、それらしい箇所を探していますが、
「ここで間違いない!」という場所を見つけられていません。



昔の登山地図には「加賀山山荘」の記述があるのですが・・・
鳴滝手前の林道沿いか、高い場所?水が得られる場所?

事務所に行った人から話を聞いた、という方からも教えていただいたのですが、
どうも現地の調査結果と合致しない・・・空振りが続きます。
最近の調査はこんなのばっかり(笑)

そんな中、いつもの管理人さまから追加情報を教えていただき、
現地に赴いたところ、ピンポイントで遺構が見つかりました。
場所は「ハンシ山」の「シ」のあたり。ちょっと地図より高いぞ?



下流側より上流側を見ると、石垣があり、
ここに何かが建っていたことは間違い無さそうです。
谷の水は写真左端を流れています。周りは植林帯。
石垣の上に行ってみます。



薄暗い谷底の水平地ですので、ジメジメしています。
長靴でよかった。建物がどんなだったか、参考になるものは見当たりません。
きれいに片づけられている?



おくどや風呂、土間などの遺構も、レンガやガラス、瓦も無し。
一番目立っていたのはこの、赤玉ポートワインの瓶でした。
他にはキリンビールの瓶、金具の付いた、朽ちた柱が数本。陶製のパイプが1本。
だけです。軌道や索道の部品は発見できず。

かなり豪華なものであったとの事だったので、
ちょっと小さくない?って思ってしまいました。
本当にここなのか?いろいろ聞いた話とちょっと食い違うような。。。



更に登って、台地を見下ろしてみます。
尾根からの谷水はそのままでは台地に流れ込んでしまうので、
谷の右端を流れる様に石垣で小さい堤防が作ってあります。
水車小屋の跡のような感じになっています。
(水量少なく、ここで水車はムリ)

昭和50年頃までは判別できた(?)様ですので、訪れたことがある方もいるかも。
ここが加賀山事務所だった証拠は見つけられなかったので、
もっと有力な場所をご存じの方は連絡ください。



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