極意!

 極意とは物事の核心である。カーネルである。サンダースさんのことではない。その極意を書物に書き示すとする。その書物の名前とは・・・そう、極意書である。極意は物事の核心であるからして、それはそれはしっかりとしたことが書き示されるはずである、っていうかそうじゃなきゃダメじゃん。だって極意だし。

 実は、私の自宅にも極意書なるものがある。極意書といってもぺらぺらの紙一枚だ。しかし、極意とは物事の核心、そんなにだらだらと長いはずが無い。短ければそれだけ濃度が高いことになる。それに、大事なのは書いてある内容である。その極意書には幸せになるための極意が書き示されているのであるが、その内容がありまりいけてないのである。

 その極意書は『これは禍を転じて福となす極意書である。』という言葉で始まっている。この点は非常に親切設計である。「なんだこの紙は。ん、なになに?禍を転じて福となす極意書?・・・(゚听 )つ〃イラネ、ポイッ。」・・・非常に親切である。さて、この極意書が捨てられなかったとして、読み進めて行くと、努力をすることに関する文がある。その文章がまた大体なのである。『人の倍は無理でも2割増くらいは努力する』。つっこみどころがいくらかあるが、まずはやはりこれだろう。人の倍努力するのが無理なら2割増で良いのである。謙虚というか、なんというか・・・。「俺、人の倍努力します!とか言うと絶対に後悔するだろうなー」なんて思いながら設定する目標より低いと思われる。しかも2割増くらいである。くらいだ。大体2割増。およそ2割増。約・・・もういい。では、実際に、人の2割増くらいの努力とは実際にどれほどなのか。これを書いた人に是非聞いてみたいが、残念ながら私は書いた人を知らないので聞くことは出来ない。

 この極意書はなんと、トイレの壁や寝室の天井に張り、繰り返し読み、実行することが推奨されている。こんなものがトイレの壁に貼ってあったなら困りものである。『右を向け。左を向け。後ろを向け。なにキョロキョロしてんだバーカ。』のらくがきよりもある意味困りものである。文章が怪しすぎで落ち着いて用を足すことすらままならない。やはりこの極意書はただの紙切れとして扱われ、捨てられる運命にあるのであった。お尻を拭いて水洗トイレの中に流されて排水溝が詰まる。紙として扱ってもやはり困りもののままである。

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