「父のアルバム」(父の出張)井上氏作(No.86〜No.91)

画像 説明
父のアルバム 2004.01.16  ◆ 父のアルバム   投稿者:井上   名人 86  父の出張 1/6  私の父は職業柄、東北地方へ出張が多く気仙沼や仙台、女川(おながわ)、塩釜や石巻等へ出かけたのを覚えています。それは水産試験場の調査船が各港に入港するのに合わせての出張でした。左の写真は気仙沼港でたくさんの鰹が水揚げされていて側に立っているのが私の父で、85の少年時代の写真と比べると頭も薄くなりその変わり様といったら…。  右の写真は気仙沼市街とのことです。現在とは相当おもむきが異なっていると思いますが、左端の商店にはマルミツ洋服店、婦人子供紳士作業服一式仕立等の看板が読めます。この写真は浜島とは直接関係はありませんが、浜島出身の方で東北地方に居住している人が居るかも知れませんので選びました。また父は気仙沼のことを「けせんぬま」ではなく「きせぬま」と言っていました。何時かこの写真を持って同じ場所を尋ねてみたい気もします。  父は出張に出かけると必ず土産を買ってきてくれました。私には毎回とも江戸川乱歩の少年探偵団の全集を一冊ずつ買ってきてくれ、全部で十冊以上あったと思いますが、50年も昔のことでもあり今はもう処分されたのか、実家を解体する時に探しましたが見つけることが出来ませんでした。  明智小五郎と小林ヨシオ少年(漢字は忘れた)と少年探偵団、怪人二十面相の闘いは痛快このうえありませんでしたが、ある時父が買ってきた同じ江戸川乱歩作の「緑衣の魔人(緑衣の鬼?)」は、子供には少々刺激の大きい作品で、父も「これは間違えた」と思ったかも知れません。そうそう作者の江戸川乱歩は三重県名張市の出身で、その数多くの作品は土蔵の中で蝋燭の光を頼りに書き上げたと聞きました。
父のアルバム 2004.01.17  ◆ 父のアルバム   投稿者:井上   桑名人 87  父の出張 2/6  この写真も86と同じく気仙沼市と書かれていますが、市内の名勝でしようか私には皆目わかりません。  以前、このわいわい広場で気仙沼についての投稿がありましたが、投稿された方には何か参考になるでしょうか。 また2003.5.4.に投稿された東北人さんは山形に引っ越す前に気仙沼にお住まいだったそうですが、86,87の写真の場所はご存知でしょうか。ご存知でしたら教えてください。 浮見堂 (気仙沼市HPより)  内湾の景勝地・神明崎を囲むように海上を通り、魚浜公園と魚町を結ぶ浮見海道(うきみかいどう)。その途中には、滋賀県琵琶湖にある近江八景のひとつである浮御堂を模した浮見堂(うきみどう)があり、内湾を散策する際にははずせないスポットとなっています。夜はライトアップされ、いっそうロマンチックなムードをかもし出しています。  と気仙沼市HPに紹介されていますので、浮見堂だとおもいますが…
父のアルバム 2004.01.20  ◆ 父のアルバム   投稿者:井上   桑名人 88  父の出張 3/6  父のアルバムの写真説明では塩竈(しおがま)市内となっています。  私はこの写真を見て始め浜島の風景と勘違いました。説明書きがなかったら昔の浜島と思ったかもしれません。昔、元地の畑(浜島小学校の運動場入口位置)から東を見ると風景がこのような感じで、手前の入り江は那都可志から浦の浜で手前の町並みは丸山地区、遠く海の向こうは大崎半島にそっくりに見えます。しかし弁天島がありません。
父のアルバム 2004.01.24  ◆ 父のアルバム   投稿者:井上   桑名人 89  父の出張 4/6  杜の都、宮城県仙台市の駅前風景だそうで、正面の大きな建物は百貨店でしょうか未だビルの数も少ないようで、丸みを帯びたバスや乗用車に時代を感じます。私は生憎仙台へは行ったことがありませんので、これが本当に仙台駅前なのかわかりませんが、現在の駅前は東北随一の大都市であり伊達六十二万石の城下町は大変な変わり様だと察します。  そこで下の写真は、  http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/2146/  上記ホームページ(写真@仙台02年11月)に掲載されている仙台駅前バスプールの写真で、転載可能とのことですので一緒に貼り付けました。方向も場所も違うと思いますが、ビルが建ち並び五十年の時代の変化は見て取ることが出来ると思います。 私の趣味のひとつで城址を写真やビデオに残すのを四十年近く続けてきて、最初は津城で東京(江戸城)より南の主な城址は殆ど廻りましたが、それより北は日光へ二度行った以外は訪ねたことも無く全くの空白地帯です。暇は充分過ぎるほどありますので体調を整え、少しずつ廻ってみようと考えています。 子供のころ好きだった鯨望荘の屋根が黒レザー張りで、ボディーがこげ茶色のツートンカラーの自動車は、二台並んだ手前の車のような形をしていたと思います。Uさんどうでしょうか。 写真ではわずかに旅館とか青柳の文字が読み取れます。
父のアルバム 2004.01.27  ◆ 父のアルバム   投稿者:井上   桑名人 90  父の出張 5/6 栃木県日光中禅寺湖の遊覧船乗り場。   http://www6.ocn.ne.jp/~sirakaba/  上記URL、日光中禅寺湖レストラン・民宿 白樺さんのホームページに良く似た桟橋の写真が掲載されているのを見つけました。(ワンちゃんをクリック)しかし撮影位置、方向も違うため同一場所と断定は出来ません。
父のアルバム 2004.01.31  ◆ 父のアルバム   投稿者:井上   桑名人 91  父の出張 6/6 福島県・飯坂温泉  左の建物には「芳喜旅館」の看板を見ることができます。飯坂温泉のHPで街の中央を摺上川が流れていると知りました。写真の川は摺上川でしょうか、観光用のボートが客待ち顔で繋がれています。また飯坂温泉を検索し「芳喜旅館」を探しましたが、見つけることは出来ず写真を写して50年の間にこの旅館は無くなったのでしょうか・・・  そう云えば私の実家も父が定年後に両親で細々と旅館と食堂を営んでいましたが、時勢に勝てず客足も減り何時の日だったか廃業してしまい、想い出の残る建物も一昨年建替えのため解体し今はもうありません。父は逝き母は寄る年波には勝てず最近風邪をこじらせ肺炎になり昔、私が浜島病でお世話になった高砂に何度目かの入院をしました。  ここでひとつ訂正です。以前に高砂=日赤志摩病院と書きましたが、現在は県立志摩病院と名前が変わっています。  父はどこかの旅館の窓際からどんな感慨で温泉街を写したのでしょうか。  伊達政宗の側室「飯坂の方」は、この地の出で伊予国宇和島10万石の藩祖、伊達秀宗の生母とのことです。秀宗は政宗の長子として生まれましたが庶子のため仙台62万石を継ぐことが出来ず、徳川家康より宇和島を与えられ名君であったと伝えられています。したがって正室(三春、田村氏)から生まれた次子の忠宗が仙台伊達家を相続しました。