きゃら

伽羅
伽羅 多伽羅
伽 羅 高級なものを表す

多伽羅 ≪伽羅≫がたくさん集まる、つまり最上級・
    人気者を表す。
    【香】の中では『最上級』とされるものであ
    り、とても珍しい香である。
    美しい女性を≪伽羅女
きゃらめ≫といい、金銀
    の隠語でもある。

伽羅とは、ベトナムを主とした東南アジアで採れる香木(こうぼく)の一つです。
あまりにも香りが良いことから、伽羅をそのまま小さく割って焚くのが一般的ですが、
高級なお線香にも原料として使われています。

伽羅は、現代でも、どうして出来るのか?わかっていません、謎が多いのも伽羅の特徴です。
一つわかっているのは、木が樹脂化するということです。

これは、日本で云えば、松脂(まつやに)の出来る過程と似ていて、木が傷つくと、木自体が、自分を守ろうと脂を出して固まろうとする性質とよく似ているのだそうです。

伽羅は、沈丁花科のアキラリア科の木の中に、ある種の菌が付き、昼と夜の寒暖の差等の条件によって、木が樹脂化したものだと云われています。
  また、ベトナムなどの特定の場所でしか 伽羅が産出されないこともわかっています。

古くからの一説で、ある種の菌とは虎の引っかき傷。で、虎の爪についた菌が伽羅が出来る過程で必要ではないか?とも云われています。
また、伽羅が成熟する際には、その地域の気候独特の強い風が影響している という説もあります。

★香木と貨幣の関係?

日本は、古くからベトナムとの国交があり、東大寺の大仏様の開眼の儀式の際も ベトナムの特使が日本に来ていたという記述があります。
それほどベトナムと日本は、古くから香木がらみでつながっていました。

ところで、ベトナムの貨幣の単位であるドンの由来をご存知でしょうか?

古くからベトナムとの国交があった日本は、江戸時代、 徳川家康の時代でもベトナムとの貿易が行われており、
ベトナムの伽羅(その他の香木も)と銅が交換されていたことから、今でもベトナムの一部のお金の単位を銅(ドン)と呼ばれています。

※ベトナムの世界遺産にも登録されているホイアンでは、
今でも日本橋と呼ばれる村があるそうです。

★伽羅の香りは作ることができるのか?

様々な香りを作り出すことが出来る一流の調香師ですら、

『伽羅の香りは、神様が創ったもので、
     とても我々人間が作り出せるものではない。』


と云わしめるほど素晴らしい香りです。
現代ではなぜ出来たのかわかっていないので、作ることも出来ないわけです。
  
★伽羅の現在

伽羅は、数年前にワシントン条約の2種に指定され、許可がないと輸出入が出来なくなりました。
ここ数十年で採れにくくなり、価格も高騰しています。

20年前には10gで1万円だったものが、現在では、1gで2万円前後もするようになっています。

なんと20年前の20倍の価値です。ひと昔前は、伽羅と金の価値が同等と云われていました。
 
★伽羅にまつわるエピソード


伽羅の香りに多くの人々が魅了されていきましたが、中でも戦国武将たちは、戦場に赴くとき、伽羅をはじめ沈香(じんこう)と呼ばれる香木(こうぼく)を 兜に焚き染めた。と云われています。

兜についた汗の匂いなどを脱臭する目的と、伽羅の香りを 兜につけることによって精神を落ち着かせたのではないか、と云われています。

また、伽羅は、当時の権力のシンボルともなっており、 戦国武将が競ってコレクションしたことはあまりにも有名です。


中でも、正倉院に保管されている『蘭奢待』は、織田信長・足利義政・明治天皇が蘭著待の一部を切り取ったとされ、紙を張ってそれぞれの切り取り跡がしめされています。

蘭奢待には、もう4つ切り取った後があり、もう一つは、徳川家康ではないか?と云われています。
その根拠は、正倉院を徳川家康が2度に渡って開けさせているという説があるからです。
徳川家康は東南アジアから香木を熱心に集め、中でも伽羅(きゃら)を好んだことが伝えられています。

権力者たちは、正倉院を開けさせて、蘭奢待(らんじゃたい)を切り取り楽しむことがステータスであったようです。
また、蘭奢待は、正倉院に九世紀に納められたとする説が有力で、
蘭・奢・待の各文字に、東・大・寺の文字が潜んでいます。

香木をはじめ伽羅が日本に入ってきたのはいつ頃からでしょうか?

日本書紀によれば、香木が日本に渡来したのは、今からおよそ1400年前の
推古三年(595年)に淡路島に漂着した大きな木が始まりとされています。

当時の島の人間が知らずに薪として火の中に入れたところ、素晴らしい香りが立ち込めたそうです。 島の人々はあわてて火の中からその漂着した流木を取り出し、時の朝廷に献上したそ うです。

その時、聖徳太子は、その流木を見て、『これは沈(沈香木)なり』と言ったそうで 、このとき既に香木の知識・情報があったと思われます。