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田曽浦のサイン

【 郵便番号 516−0222 】
【 市外局番 0599(69) 】


【歴史】
中世の城塞跡が残るなど、その頃から次第に発達してきたと思われる。江戸時代には、鰹船、捕鯨で栄え、田曽の高良神社には鯨の骨の御神体が祀られている。
【産業】
宿浦と同じく遠洋漁業の盛んな所で、町内の百トン以上の漁船のほとんどがここの船籍。また、貝や海草類の採集も行われており、1月から8月まではアワビやサザエ。10月からは伊勢エビが捕れる。田曽の素潜りは有名で海女ではなく、海士(かいし)と呼ばれる男が海に潜る。

【一望の熊野灘と優美な白浜】

宿浦とともに遠洋漁業では日本屈指の港。大型漁船が七つの海を目指して出航するときの見送り風景には、胸迫るものがあります。田曽岬の絶景と対照的に白く穏やかな白浜。ここは毎年9月になると遠い潮路を運ばれて椰子の実が流れ寄る詩情あふれる砂浜です。

【田曽白浜いそやキャンプ場】 69−2546

田曽白浜海岸沿いにあるキャンプ場で、収容人員数150名の持ち込みテントのみ。海岸沿いなので釣りやマリンスポーツを楽しみたい人にはもってこい!

【伝統の本節づくりを訪ねる】

田曽浦は湾の東の入口。すぐ隣りの宿浦とともに遠洋漁業の盛んな港町です。
細い路地に軒を連ねる家々はブルー、ピンク、緑、黄と色とりどりのペンキで塗られ、町全体が明るい雰囲気。何となく異国の匂いも感じられます。
今回お訪ねしたのは、港から少し奥に入った食料品店『川善』のご主人、河口博さん。
店の隣には鰹節の加工作業場が続いています。「今はねぇ、鹿児島で作って仕入れているんですわ、製造を止めたのは10数年程前、昔は宿に40軒、田曽に22軒。4・5月から夏にかけて鰹節づくり、盛んだったんですがね。」現在は、田曽に2、3軒が加工場を残しているだけとか。「何しろ手間がかかるんでね、まず3枚におろした身を大釜で1時間ほど煮て、骨皮を取ってからセイロに並べて木を焚いて燻し燻製にする。それも一旦冷まして15から20回繰り返します。水分が抜けたら箱に入れて表面にカビを付ける」夏場だけの作業では採算が取れなくなったのが衰退の原因。「それに、今は原料はどこでも南方モノですよ。脂がのっている近海モノは旨いが鰹節には向かない。だから例えば田曽の漁船が静岡の焼津へ揚げた鰹でも、鹿児島で原料が足らんとなれば陸送していく、そして1年中鰹節を作っている。そういう時代なんですな。」作業場には鰹節削りの機械が2台。円盤が回って、みるみるうちに花鰹の淡いピンクの山ができていきます。「うちでは、燻製したものの表面を削り落として血合の部分も取って削る。だから黒いところないでしょう。」と河口さん、削る前には125度Cの熱を30分程かけ、殺菌するとか。味と品質をかたくなに守っていられることがお話からも窺えました。1尾の鰹を4つ割りにして作った『本節』一本の重さはおよそ150グラム。もとの鰹は3、4キロもあるそうですから、水分を抜いた鰹節はいわば蛋白質の塊り。その上、カビつけすることによってさらに旨味が加わっているのだとか。作業場には、カビつけ中の節を入れた木箱。そして完成品を保管する大きな冷蔵庫。「これはね、今から神宮に納めるものです。」見せていただいた箱の中には、形の揃った本節がどっさり、もう30年以上も毎月祭典にお供えの品を納めていると伺い、かつての名産地の伝統ここに残ると思ったのでした。

【えび網干し】

熊野灘に面した島の伊勢エビ漁は10月1日解禁。夕方漁場に網を仕掛け翌日未明に
巻き上げる刺し網漁で、昼間の浜辺にはすだれ干しの赤いえび網が色鮮やかです。

【田曽浦の岩礁】

優美な女性的な白浜とは対照的に熊野灘に突き出た岩礁は男性的。休日になると県内外の太公望が石鯛や回遊魚を狙って磯に渡ります。