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礫浦のサイン

【 郵便番号 516−0117 】
【 市外局番 0599(64) 】


【歴史】
小石が多い浜辺ということで、「さざら」という地名が付いた。ここは、古くから人が住み始めた所で縄文時代に使われた石斧、平安時代の土器などが見つかっており鎌倉時代には伊勢神宮の荘園でもあった。町内で最も古墳の多い地区。中でも日和山古墳が有名。
【産業】
ハマチ、タイの養殖が最も多い漁業の地区。特に養殖のタイは黒っぽくなりがちだが、ここでは養殖技術を駆使して、ピンク色の美しいタイを育てている。


【潮騒に雨情の詩碑がたたずむ】

300戸の漁家が密集する集落で養殖業が盛ん、背後には相賀浦に続く湾内随一の海蝕海岸が南北に伸びています。うばめがしなどの照葉樹林帯の深い緑と、岩を噛む白波のコントラストは、旅の思い出のひとつ。
『野口雨情の詩碑』昭和11年7月、近代詩歌の巨星・野口雨情は、五ヶ所湾小唄作詞の際当地に宿泊、その時礫浦にも足を延ばしてこの詩を詠みました。昭和59年7月、有志により詩聖誕生102年を祝い、詩碑が建てられました。

【南海展望公園】波静かな五ヶ所湾と茫々たる熊野灘
礫浦から相賀浦に抜ける旧道の途中にある海浜公園。湾奥五ヶ所浦から湾口対岸の宿・田曽浦、その奥の隣町浜島まで一望できる。眼前の熊野灘はあくまでも広く紀伊半島に続く南島の山並みも見事です。相賀ニワ浜を始め海蝕海岸、大池が目下に見下ろせるこの公園は絶好の撮影ポイント。 南海展望公園から浜島方面を臨む

【旅館 ニューはまぐち屋】 64-2052  雄大な太平洋の眺め

五ヶ所浦から車で20分余り、湾の中央に突き出た礫浦は鯛、ハマチなど魚の養殖が盛んな所。岸壁には出荷を待って銀色の大きな保冷車も停っています。
ニューはまぐち屋は、港から相賀浦へ通じる坂道を登ってすぐ、緑濃い岬の先端に海を見降ろして建っています。増改築オープンして間もないちょっとお洒落な白い二階建て。創業は明治初期、若主人の片出正嗣さんは四代目という老舗の宿です。
客室からは五ヶ所湾が一望のもと、正面に大島灯台と太平洋の水平線が開け、左右には奥行の深い入江が広々と続いて眺めは最高です。「うちは五ヶ所湾の端っぽにあって、3方が海ですから、全室それにお風呂からも海が見渡せましてね。お湯に浸かりながら雄大な夕陽の海を眺めて頂いています。夜になると対岸の宿田曽の町の灯や、車海老漁のいさり火も見えますよ。」と若主人。料理は旬の新鮮な魚介づくし。「冬の時期は伊勢海老、それに関西のお客さんに好評なのが熊野灘でとったクエの鍋です。5月からはお座敷天麩羅、活きた海老を目の前で揚げて召し上がって頂きます。」

民話・むかし話 【五手の石】

礫浦にある八幡神社には『五手の石』と呼ばれる御身体が祀られている。
それは5本の指の形の付いた石で、この石にお祈りすると、天候が悪い時でも魚が獲れると謂われ、昔から船乗りの信仰が厚かった。それにこの石には、不思議な言い伝えがある。
あるとき盗人が、『五手の石』の御利益を聞きつけ、自分のものにしようと舟で礫浦へ乗りつけ、石を盗んで運びだそうとした。ところが舟に石を乗せた途端、舟が全く動かなくなった。いくら漕いでもいっこうに動く気配はない。盗人は必死になって漕いだ。「許して下さい、もう二度と盗みははたらきません。」と言うと、石を海の中へおもいっきり投げた。そうしたらどうだろう、盗人がひと漕ぎすると、舟は何事もなかったようにスーと海の上を動き出した。
またこんな話もある。やはり石を狙った盗人が石を舟に積み込み、沖までなんとか無事に逃げてきた。ところが、沖まで来ると舵をしっかり握っているにもかかわらず、舟は途端に後ろ向きに進み出した。引っ張ろうが押そうが、足をバタバタさせようが、舟は何かに憑かれたようにどんどんもと来た港目指して戻っていく。「この石にはやっぱり不思議な霊力が?このまま石を舟に乗せていると恐ろしいことが起こるかもしれない。」そう思った盗人は、「五手の石さん許して下され、二度と石を動かしたりしません。」と言うなりクルリと舟の向きを変え、港に向かって進み出した。そして、石を元の場所に返すと一目散に舟に乗込み、夜の海を逃げていった。