@ 多気駅 (T12まで相可、S34まで相可口)


(手前は多気駅、奥のビルは伊勢運輸区)
相可村は、伊勢本街道と熊野街道の交わる宿場町として開けてきたが、その交通の要所として参宮鉄道が通り、更に後年、紀勢線が開通するに当たって、その分岐駅となってからは、相可口駅も参宮・紀勢の接続駅として、重要な役割を果たしつつ栄えて来た。(s12年定員18名、s46年44名)・・・・(思い出に残ること)・・・・
・ 駅は、ヤード的役割が色濃く、紀勢線から出てくる木材、鮮魚等行先雑多の貨車を仕分けて、参宮線
の列車を組成するという作業は大変な仕事であった。その入替作業では、殉職事故や、入替事故の
前歴を持っているので、みんなが真剣で、力を合わせて日々の業務を完遂した。その当時がなつか
しい。
・ 手小荷物、新聞雑誌の中継作業も一苦労であった。小荷物では、広島から尾鷲への「カキ」のホーム
中継、その重さと、悪臭!また、小口貨物では、生木枝(サカキ・シキビ)や、マグロの代用車から代
用車への積替作業(線路越え)、その量と、重さ! 等々汗まみれの必死の作業が忘れられない。
・ このような苦しい作業の毎日も、終列車を無事に送り出したひととき、駅員同士の安堵の懇談は、家
庭的なあたたか味があった。その為か、今でも(相可口)に勤めた連中は、年々集まって思い出を懐
かしんでいる。
・ 一番印象に残るのは、昭和34年の伊勢湾台風である。あの櫛田川が氾濫は筆舌にを越えるもので
あつた。この台風で駅構内浸水、機関車庫倒壊等の被害がでた。
・ 営業活動では、町長が「友の会」の会長となり、毎年全国各地へ臨時列車による団体旅行を実施し
たが、その町長と駅員との楽しい融和の活動も忘れられない。暖かい町民で支えられた駅であっ
た。
・ 多気駅は、開業当時は「相可」といったが、大正12年の紀勢東線開業で、「相可口」と改称し、現在
は「多気」となっている。相可口の当時は、駅の正面玄関の駅名板は、土管製造業の荷主作の大
土管による地方色豊かなものであった。
写真参照

S34年の伊勢湾台風で機関車庫が倒壊した
平成13年10月10日発行 サンクスより |