8.具教青春記

「御高様!千代松丸様はいずこじゃ!」

伊勢国多芸。数名の男と女房達が走り回る。静かな山奥にある戦国の都がにわかに喧騒を帯びた。やがて、数騎の侍が町に走り出す。

「御高様はどこに居られるのじゃ・・・。このままではまたご本所様に怒られる」

頭を抱える男は鳥屋尾満栄。後に石見守と呼ばれ、国司家に忠節を尽くす名軍師として名をあげるがこのときは奉行人になりたての青年侍であった。

「あ、あの、奉行様」

「なんじゃ、水谷。この忙しいときに!」

「申し訳ございません、実は御高様だけではないのです。次郎様も・・・」

「な、なんじゃと!」

「なにやら、大石まで参るとか」

「大石!そうか、みなのもの大石じゃ、早速迎えに参るぞ!」

同刻、大石(現・松阪市)では二人の少年が山上の廃屋にいた。廃屋といっても元は「御所」といわれたところである。

「兄者、ここがおじじ様のお屋敷か?」

「そうじゃ、ここでおじじ様は政務をとられたのじゃ。」

「兄者も知ったような事を言う。おじじ様と会った事はないではないか」

「父上がそう言っておったのじゃ。まぜっかえすな。」

兄は千代松丸。弟は次郎。二人とも当地の領主北畠晴具の息子である。兄はこのとき15歳、弟は13歳。双方とも近々元服し、兄は国司家を、弟は一門木造家を継ぐ。

「次郎。」

「なんじゃ、兄上。」

二人は庭石であったであろう大石に腰をおろす。持ってきた水は渇いたのどを潤す。甘露であった。

「そなた、木造をどう思う?」

「どうもこうも、私にはわからぬ。兄者はなぜそのような事を聞くのじゃ?」

「父上は木造を恐れておる。木造と戦うかも知れぬ、というてな。」

次郎は千代松丸の顔を覗き込んだ。兄の顔は沈んでいると言うわけでも暗いと言うわけでもない。ただ、単々と事実を語っているようだ。

「何ゆえ?一門ではないか?」

「この乱世で一門もクソもあるか。それに木造は一門と言うても同じ格式の別家と言うても良い。」

「それにしてもじゃ、なぜに父上は斯様に恐れる?」

次郎にはそこがわからない。そのような家になぜ我を入れるのか。

「おじじ様のことを思い出されておるのだ。」

「おじじ様を?」

「お前は大叔父に師茂と言う人がおるのを知っておるか?」

千代松丸は次郎に国司家の暗部とされる話をした。明応6年、祖父・材親は父である浄眼寺殿逸方、木造政宗、そして宿敵長野家と戦った。敵は国司への対抗馬として弟右馬介師茂を立てた。戦は材親方の勝利に終わり、師茂は切腹させられた、という。師茂は系図からはずされて現在にいたる。

「そうか・・・。」

「そなたを入れるのは木造家と戦わぬためじゃ。わしも父上と同じじゃ、もし戦う事になれば、そなたと私は敵になる。」

「私も父上や兄者と戦いとうはないぞ!」

次郎は千代松丸の顔を見た。千代松丸も次郎の顔を見る。

「そなたとおじじ様の館に来たのはおじじ様に誓うためじゃ。我らはおじじ様たちのようにはならん、とな」

二人は立ち上がり館の奥に向かって叫んだ。

「おじじ様、我らはおじじ様のようにはなりませぬぞ!」

「私も師茂大叔父のようにはなりませぬ!」

二人は顔を見合わせて微笑んだ。

「御高様、次郎様!どこに居られますのじゃ。」

「満栄ではないか。俊之までおる。」

やっと追いついた鳥屋尾満栄と水谷俊之が大声をあげて二人を探し回っている。

「大石へ、と言うてきたからの。」

「言うて来たのか!抜け目のない奴じゃ。」

「兄じゃとちごうての。」

次郎はそういうと笑いながら走り出した。

「何を!待たぬか、次郎!」

千代松丸も笑って追いかけ、二人の家臣のほうへ向かった。

 

それから27年後、千代松丸は国司・具教となり次郎は木造具政となっていた。

「木造城が謀反、とな?バカを申せ水谷。」

「嘘ではございませぬ。御所様は最後まで何も申しませんでしたが源浄院、柘植の両名に押し切られ・・・・」

「・・・相わかった。下がれ、ご苦労であった。」

具教は使いを下がらせると木造のほうを見た。

「次郎、そなたは本当に裏切ったわけではあるまい。あの日の事忘れておらぬと信じて居るぞ」

木造城でも具政が多芸のほうを眺めていた。

「兄者、許してくれ。誓いを忘れたわけではないぞ。」

二人の誓いは意思に反し一人の鬼に破られた。その鬼の名は織田信長・・・。

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