大河内決戦録

 

永禄12年(1568)。木造城主、木造具政は家臣の進言により伊勢国司であり実兄である北畠具教に反旗を翻した。具教は見せしめに人質を磔刑に処し、木造追討を命じた。

「良し、これで伊勢は貰うた!あの狸をあやつの好きな刀の錆にしてくれよう!」

前年、将軍家を再興し天下に号令せんとする織田信長は好機到来とばかりに5万の大軍を発した。信長が伊勢を執拗に狙うには訳がある。もちろん己の領国尾張美濃の後背に敵を抱えないためではある。しかし、近江を支配するためにはどうしても伊勢を領国にしなければならなかった。南の六角は滅ぼした。北の浅井は妹のお市を嫁がせて縁戚だ。しかし、浅井には朝倉という後ろ盾がある。かててくわえて浅井が北近江を支配したときにそれを支えたのが伊勢国司家であった。浅井を膝下に屈させるためには北畠と朝倉は邪魔以外の何者でない。朝倉不可侵は義弟・長政との約定だ。ならば、北畠をつぶせるうちにつぶしておこう。それが信長の考えであった。

一方「織田軍、南下!」の報を聞いた具教は自ら大河内城に入城、領域全土に戒厳令を布告。来るべき決戦に備え、軍議を開いていた。

「みな、忌憚なく申せ。」

「大御所様、我が軍は寡兵にして孤軍。城に篭るよりは乾坤一擲の勝負を挑まれましては?」

一番の武闘派・日置大膳が口火を切る。

「ならぬ。わざわざ死地に赴くようなもの。むしろ篭って織田の疲弊を待つが上策」

軍師鳥屋尾石見守が篭城論をとなえる。

「それでは我が方の負けになる、と申して居るのだ!」

「野戦にて敗れれば、後がなくなる。」

「しからば、織田をどのように負かすというのだ」

「我らが負かす必要などあるまい。あのような異常な領国拡張、必ず破綻する。」

「兄上、野戦じゃ!」

「長野を失った汚名回復させてくださいませ!」

次男具藤と三男親成が口々に叫ぶ。

具教は横に座る息子具房を見た。なんとも頼りない。軍議をまとめようとする気配もない

「ご本所、どの様にされるつもりじゃ。」

「大御所さまのご随意に」

「・・・・・・。そなたが総大将ぞ!」

「はぁ。」

「もうよい!皆者、篭城じゃ、ただし織田にすきあらば何時でもうってでる。この篭城織田をあせらせるためと心得よ。」

全員平伏、衆議一決。

その夜、具教は、鳥屋尾を呼んだ。

「満栄、武田と将軍家に使者を出せ」

「武田家は盟友ゆえにわかりますが、将軍家にも?織田の傀儡ではありませんか」

「今の大樹は幕府再興に目を輝かして居る。政治を執らんと必死じゃ。」

「それとこれとは何の関係が」

「こう申すのじゃ、『これは織田と北畠の私戦なり。将軍家以外止める方は居らぬ』とな。」

具教は微笑むとこういった。

「うつけも己の木偶に止められるとは不本意であろうがの。」

いよいよ、勢・濃激突は近い。

8月、ついに信長はやってきた。続く諸将は滝川一益、池田信輝、木下秀吉、稲葉一鉄、氏家ト全ら

総動員である。近江の蒲生の嫡子もこの戦が初陣であった。しかし、信長は不機嫌であった。阿坂城では、秀吉は負傷。今も本田や天花寺の将兵が後方から攪乱戦法をとる。しかも、国司は城にこもり出てこない。

「この大軍では狸も穴からでてこれぬと見える」

そう強がってみても、篭城戦は時間がかかる。ここに戸惑っては、何時三好や朝倉が動くや知れぬ。ましてや後背には武田を控えているのだ。

「申し上げます!ただ今池田様の軍、北畠方と開戦いたしました。」

国司方の猛将日置大膳が打って出たのだ。戦闘は数刻に及び、両軍兵をひいた。

「あれしきの兵に勝てぬのか!」信長が怒り狂ったのと対照的に大河内城では日置が歓喜の声に迎えられた。

「大御所様、池田が首を取れませなんが残念にござる。」

「あれくらいでよかろう。囲む兵は減り、信長の頭にも血が上る。」

「今度は某が行きとうござる!」

「わしもじゃ!」

口々に叫ぶ家城主水や長野左京を制し具教はこう告げた。

「機会はたんと作ってやる。うつけはわしの事を『穴に篭った狸』というて居るそうな。穴に居ると見せ掛けて化かしてやろうかの。」

城内は爆笑に包まれる。

 その翌日29日、信長は大河内を囲んだ。篭る城兵は一万にも満たない。こんな小城一つ落とせないでは天下の笑いものだ。なんとしても落としてやる。

「申し上げます!」

「何用か!」

「氏家様の陣所、本田勢に打ち負かされ壊滅状態とか!」

「このたわけが!!!!」

信長はいない氏家ト全の猛将とはとても思えない顔を思い出した。これでよく「後詰はお任せを」などといったものだ。まだ会戦もしていないうちに後背が空になった。

「サル、なんとしても・・・・」

「ハ?」

「なんとしても狸を引きずり出せ!」

野戦なら、野戦なら鉄砲が使えるのだ。あのこしゃくな狸親子を我が手で撃ってくれる。

城中では鳥屋尾が積み上げた兵糧を見上げていた。

「これらは草木とともに煮込め。たとえ大御所様でも同じ者を供せよ。」

兵が粥をすすっても城主が馳走を食っていたのでは士気が落ちる。篭城戦では士気を落とさぬ事が肝要である。

 緒戦が終わって以来、この日まで両軍は小競り合いを繰り返すだけだった。信長は策を変えた。

池田、稲葉、丹羽の3名に命じ搦め手からの攻略を命じたのだ。おりしも放った斥候が近々北畠軍が打って出るという情報を手に入れてきた。ここで決着をつけてやる。

その夜、三大将はひそかに兵を城中に進入させ、本丸あたりでときの声をあげさせる。城中が混乱すると同時に攻め入る策である。やがて、城中が混乱した声をあげだした。

「よし、かかれ!」

丹羽の声で兵たちが突っ込む。しかし、搦め手門で待っていたのは自軍の兵ではなかった。

「池田殿、この間はすまなんだの」

「日置!貴様」

「織田殿の策、見事ではある。しかし、不寝番を立てておらぬとお考えか?伊勢武士を馬鹿にするのもたいがいにせい!」

「我が大御所を狸と申したそうじゃな。その罪軽いものではないぞ!」

長野左京、家城主水が槍をしごいた。

   ・・・乱戦の結果、織田軍は敗退した。信長の眠れぬ夜は続く。

 

その後、滝川一益に魔虫谷から攻めさせたものの、理あらず。本拠多芸を焼き討ちし国司父子の妻女を人質に取ったが効果なし。逆上させようと具房の太っている事をからかわせたがその者を射殺され、かえって向こうの武名を挙げてしまった。信長はあせり、内応者を出そうと動き出した。

「左近」

具教は野呂左近将監を軍議の場に召し出した。

「その方、最近織田のものとよう会っているそうな。」

「そ、それは、よき条件で撤退させようとの策でござりまして。」

「本所は誤魔化せてもわしは誤魔化せぬぞ。いくらで我らを売る!」

進退窮まった右近は抜刀して具教に斬りつける。しかし具教の敵ではない。野呂の遺骸に目もくれず具教は言った。

「野呂左近将監、内応の疑いをかけられたとは恥辱なりとして自害した。さよう心得よ。」

 

信長が打つ手を全て失敗し苦りきっていたころ、京より使者がついた。

「和睦せい、じゃと?」

「大樹様、御父信長様と名門国司家が戦うのは見ておれんと申されます。ここは一刻も早く和睦し私を支えてくれとの仰せです。」

今一息、今一息で狸が倒せるのに、ここでよりにもよって和睦せいというのか、あのばかは!

「大樹のお気持ちもっともなれど・・・」

「兵をひかれぬのなら天朝さまにお願いするとも」

「朝廷を!」

ここに来ては進退窮まる。信長はうなづかざるを得なかった。

使者が退出した後、信長は太田牛一にこういった。

「国司家がわびてきたゆえ、和睦してやるのだ。こう記録に残せ。」

 

ついに戦闘は終わった。親成ら強硬派を退け、具教は和睦に踏み切った。和睦の条件は2つ。伊勢国内の臨時城郭はすべて破却。信長の次男茶筅丸を具房の養子にする事。臨時城郭といってもすべて、織田軍のもの。養子と入っても実質は人質。事実上の国司家勝利であった。

後伝  具教・信長初顔合わせ

あの大河内城での手痛い敗北以後、織田信長は北畠具教のことを「伊勢の狸」といって忌み嫌っていた。一方、北畠具教は「美濃のたわけ」と呼んでその施策を危険視していた。鉄砲をこよなく愛した信長、剣を極めた具教。自らの姓すら怪しい信長と、名門当主の具教。どうやってもこの両者に共通点は見つからない。この両雄が会見したのは勢濃一和の後、京・足利義昭の館落成の観能宴である。信長は将軍の横に侍し、具教は離れた位置に座る。

「あれが信長か・・・」

具教の見たところ神経質そうな顔をしている。喜怒哀楽の激しい男だ、と聞く。あれでは家臣も苦労するだろう。具教は横にいる弟・木造具政に尋ねた。

「具政。そなたの見立てどおりの男か?」

「いや、あれほどきつそうな男とは思っておらなんだ」

一方の信長も具教を見て憮然とした。

「わしはあの男に勝てなんだのか」

確かに剣豪であるだけに体は大柄で強そうではある。しかし、公卿ぶりの気品のある顔が気に入らない。あの顔のどこにあの戦が出来る才があるというのか。信長は義昭に尋ねる。

「大樹、伊勢の国司殿のことはご存知か」

「兄上の兄弟子であった方でございましょう。上洛された際に兄上に引き合わされたことがある。なかなか気品のあるよいお方じゃった。」

信長は具教を見る。具教も信長を見る。二人の目が合う。

「こやつ、危険じゃ。生かしておいては将来の禍根になる。」

双方ともに、相手を害さんと欲したのはこのときである。真剣に相手の首が欲しいと思った。以後の信長・具教の勢州覇権抗争は皆様周知のとおり。この後、具教は三瀬の変で倒れ、信長は天下一統へ驀進する。

ただし、具教が三瀬で殺されていなかったとしたらどうなるか。当然、信長打倒を狙うだろう。まだまだ死ねない。幼子まで殺され領土を兵火に巻き込んだ信長を許さない。一方の信長も具教の首を見たわけではない。最後まで一抹の不安を抱えるはずだ。かくしてここでは、二人が再び合い見える。

時は天正10年6月2日、場所は紅蓮の炎に包まれた本能寺・・・・

続きは次回!