20.具顕上洛報告()

去る8月4日5日に職場旅行で京都に行ってまいりました。久しぶりですね、京都。いつ以来かな?やっぱり暑いね、京都は。脱水症状にならないために水分をたくさん取りました。尤もビール酎ハイ水割りの類ですけどね()。バスの中ではカラオケ三昧。

皆でやいのやいの言ううちに最初に行ったのが♪きょ〜と〜おおはらさん、ぜん、いん、の三千院門跡。本当のところは寂光院に言ってみたかったんです。なんてったって「南無寂光院殿心祖不智大居士」の寂光院ですからね。先日の火事で焼けちゃったんで、行けませんでした、時間もなかったし。そこでお土産になぜか番傘を買いました。だって暑かったんだもん。しかし、荷物になっただけです。競馬に行った時に買ったムチ以来の「この後どうしよう?」というお土産でしたね。お茶はおいしかったな。熱いやつだったけど、つかれているとき(体、特に胃)にはいいですよ。

その後、叡山に上るつもりだったけど時間がなくて予定変更。貴船の川床料理を満喫しましたよ。木漏れ日が差す中、自分の下を流れるせせらぎに心を洗われ、次々に出てくる京料理に舌鼓を打つ。鯉のあらい、湯葉、取れたての鮎の塩焼き、鯨の味噌汁。ン、鯨の味噌汁?なんで鯨なんやろう?ま、いっか。そこでもお酒が弾むはずでした。でも、酒に酔う前に車に酔ってしまいました。酒飲んでても酔う時には酔いますよ、全く。

おなかがふくれた後はホテルに直行。あの京都ホテル(寺ともめたところね。)です。さすがに部屋はよかった。シャワーガラス張りだし。できれば彼女とかといって泊まりたいホテルですね。

それはさておき、夕食まで時間があるので私、なんと怨敵・織田信長の眠る本能寺に行ってまいりました。本堂の奥に総見院の廟所はあります。さすがに立派なものでした。悔しいけれど具教卿の首塚なんかとてもかないません。「あんたと会いたかったんだよ。よくもやってくれたな。」さすがに声に出してはいえないので心の中でひとりごちて、それでも線香を手向け手を合わせてホテルに帰りました。

夕食以後については次回という事で。

21.具顕上洛報告()

さぁ、続きですよ。夕飯までまだまだ時間が余ってます。そこで、フロントに行って「高台寺に今から行って6時に帰ってこられますか?」と訪ねたところ、無茶苦茶美人の女性がとびっきり素敵な笑顔で「無理です。」と答えてくれました。残念だなぁと思っていたところ「今、夜間拝観やってるんですよ。そちらに行かれてはどうですか?」ナイス!ナイス助言だ!思わず手を打って言ってしまいましたよ。何も明日、あの(・・)暑い中、行く事はないな。涼しい夜に行けるのならそれに越した事はない。と思って部屋の帰り一風呂浴びて、いよいよ夕食です。昼ご飯は車酔いであまり食べられなかった。さぁ、食うぞ!ところがバスで行くはずの料亭が徒歩でいけるところに変わってた。バスを1回駐車場に入れると朝まで出せんのですって。なんだかなぁ。しかし、運動しておなかはさらに減った。行った料亭は「がんこ」とかいうところでした。さぁ、食うぞ。ア、その前に乾杯か。乾杯しましたよ。そんなことはどうでもいいのです。たくさんの京料理が目の前に並んで、みんな舌鼓を打っているのかと思いきや、男どもはそわそわしております。なんでか?後数分もすれば今日の目玉がやってきます。田舎者の、いや、全日本の男の憧れ「舞妓さん」がやってくるのです。そして7時、やってきましたよー、舞妓さんが!!!!!!いやぁ、綺麗だったねぇ。今思い出しても綺麗です。芸妓さんも来ました。こちらも綺麗でしたね。最初に何とかいう踊りがあってその後は彼女らがお酌をしてくれます。しかし、私は奥に座ってた。なかなかこない。イライラする。ア、やっと芸妓さん来た。と思ったら「兄さん、『夢芝居』踊るんですて?」ハ?誰がそんなことを。ア、舞妓さんも来た「兄さん、『TSUNAMI』歌うて?」

ハ?なんで歌うの?わかった!!!ここに来るまでにあいつらなんか吹き込みやがったな!なんで、客の俺が喜ばさないかんねん!クソー、やってしもうた。ちょっと落ち込んだ北畠さんでした。

さて、食事が終ってフリータイムだ!私はひとりで行動しました。もちろん、最初に書いたように高台寺の夜間拝観に行って参りました。目的は時雨亭を見ることです。時雨亭はご存知でしょう?知らない?そうか・・・、この間の大河ドラマでありましたけど、高台院がここから大阪落城を眺めたという場所です。豊太閤と高台院の霊舎の参拝をすませて見に行きました。当然時雨亭の二階には上がれませんから、下から大阪方面を眺めてみました。樹ばっかりで何も見えなかったけど。高台院は何を思ったかな?などと考えつつホテルに帰りました。この後寝たんですけど、「飲みに行くぞ」「遊びに行くぞ」という電話がひっきりなしにかかってきて寝られやせん!!続きは次回!

22.具顕上洛報告(3)

さぁ、2日目の朝ですよ。いつものように6時に目が覚めてしまった。何もする事が無い。しょうがないのでいつものとおり2度寝して7時に朝食です。和食、洋食どちらもあったけど当然和食、しかもお粥。飲み過ぎた胃には優しいね。でも今日も飲まなならん。つらい。つらいけど、暑いからビールが美味いんだ。だから飲むんですよ、結局。

さて、朝食もおわり、チェックアウトも近いので先手を打ってロビーに荷物を預け、喫茶店でウインナーコーヒーを味わっていると、携帯電話が。「どっか、行こに」ということでこの暑い中水分補給ナシに歩きましたよ。河原町から祇園まで。八坂神社から清水寺へ行ったらなんと33年に1回の本尊御開帳。いいもんが見れたなぁ、と思っております。

やがて、集合時間の15時になりましたのでバスに乗って出発。このまま終わりかな?と思ったら大間違い!なんと生八つ橋を作りに行ったのです。尤も練ってある奴を伸ばして餡を詰めるだけなんですけどね。3つ作ってすべて妹が朝食に食べました。それなりに美味かったそうですよ。それが終ってやっと帰れた。バスの中は汗とアルコールの匂いだらけ。ああ、えらかった。これで上洛報告終わり!!!ご苦労さん!

78.具顕、大谷主水氏に会い、北畠シンポジウムに行く事

10月28日は日本でも有数の中世都市である多気(たげ)で北畠シンポジウムがありました。そこで、私は同じ「北畠仲間」である、奈良の大谷主水氏と一緒に参加をする事になりました。いわゆる「オフ会」という奴ですな。今まで会った事があるのは「木造関白」先輩と「朱天」後輩君だけでありました。しかも同じ高校の同窓生でありますので、本格的なオフ会というのは初めてでありました。

さて、当日JR「名松線」に乗って会場・美杉村まで行く事になったのであります。「先頭車両で待ち合わせましょう」と言う打ち合わせがあったのですがなんと、車両が一つしかないという(笑)。しようが無いので一番前で座って待っておりましたよ。初めて会う人なので誰だかわかりませんしね。緊張して待っていたら電車が出てしまいました。しかし、まだ会ってない!!もしかして乗ってないのか?いやいや、お互いに見当はつけてたんですけどね、確信が持てなくて近付かなかったと言うのが実際のところです。それにしても北畠ファンは奥ゆかしい事(爆)。電車が動き出したらもうしょうがないと言う事でお互いを確認した後、ともに一時間半も揺られて美杉村に行きました。当初「朝一の電車では送迎バスが無い」などとふざけた返答を当局から貰ってありましたが、行ってみたら来てました、スクールバスが。それに乗って会場まで行くと人が多いのなんのって。今、中世史は伊勢が熱いということです。実際、村民の方だけでなく各地の郷土史家や研究者、考古学ファンから歴史好きまで幅広い方々が集まってきました。会場では大学の先輩にあたる北畠神社の神主さんや橿原で考古学のバイトをしている高校時代の友人とも再会し、私にとってはとっても有意義な一日となりました。中身はって?そりゃ、もう考古学的見地から見たり文献的に見たり一乗谷との比較あり、城郭研究の発表ありで、幸せいっぱい、胸いっぱいの一日でした。

帰りの電車では大谷氏と私は実はよく似た職場にいることもあって、私のほうが若干経験が多いので、諸問題に対するレクチャーをしながら帰りました。

こんなオフ会ならもう一回したいですね。

100.具顕、河内判官氏と会う事

自分でもすっかり忘れていましたが(笑)、5月27日はこのホームページ三周年だったのです。今年は何もしないなぁ(去年はチャットしました)と思っていた矢先、南朝関係の友人河内判官氏からオフ会のお誘いを受けました。場所は笠置柳生方面です。オフ会等はめったにやらない私ですが、これはいい機会かなと思って行ってまいりました。参加者は河内判官氏、橘千剣氏、大谷主水氏、そして私の4人という事になります。

当日、珍しくも5時からおきて朝食を取り、近鉄特急に乗って奈良まで向かいました。何せ電車の類にまるで縁のない生活をしているため特急券の買い方もおぼつかなく(笑)席に着いたらゼーゼー行ってしまいました。天気は台風をも動かす私の力(笑)によりほぼピーカンです。長い間揺られて奈良につき、待ち合わせていた大谷氏と奈良県立図書館で時間を潰します。しばらくすると判官氏と橘氏も到着、判官氏の車でいよいよ出発です。まず最初に着いたのは般若寺、元弘の乱で大塔宮が隠れたとされる唐櫃のあるお寺です。そこでは国宝の山門等を見学。その後笠置山にむかって進発しました。途中笠置の駅に寄ったのですがその道すがら笠置山攻防戦の絵巻風の看板があったのです。が下車した人が見えるように作ってあるため文が左から右に流れているのです。ですから普通に右から読んでしまい全く意味のわからない文章として認識してしまいました。

さて九十九折れの坂道を途中まで車で登り、いよいよ笠置山散策です。さすが後醍醐天皇が比叡山を捨ててまで篭城した山だけあって、歩いてまわるのに大変疲れました。この山はとても岩の多い山です。巨大な岩に彫られた磨崖仏、あちこちに横たわる奇岩の数々。そんな中、後醍醐天皇の行在所はひっそりと叢に包まれていました。

山を下り次なる目的地、柳生を目指して出発です。その途中道を教えてもらったとおりに行ったにもかかわらずループしてしまったというアクシデント(笑)はありましたが何とか柳生に到着です。その途中で渡ると恋の願いがかなう橋というのがありまして大谷氏が渡って実験をしました。結果はどうなるのか?別の楽しみも出来ました。

柳生では柳生家の菩提寺である芳徳寺、柳生一族のお墓、柳生の陣屋跡などを見学、最期に教科書にも出てくる「柳生徳政碑文」のある「疱瘡地蔵」を見学しました。教科書で習ったものが今目の前にある。その感激というのはすばらしいものです。

帰りは天理市でラーメンを食べました。これがまた美味かったのです。空腹は最上のソースだという言葉がありますが、まさにそのとおりでしたね。その後榛原の駅から伊勢にむかって帰りました。

とても楽しいオフ会の機会を与えてくださった皆さんにとても感謝の一日でありました。