ある家老の死
天正4年12月、伊勢田丸城は目下建設の真っ最中である。
「いやぁ、見事、見事。このように立派な城が伊勢の片田舎に建つというのも、すべては安土のお館様のご威光の賜物。そうは思われぬか、日置殿。国司家などという古臭いものに取り付かれておったままならばいつまでも草深い砦もどきであったろうに、のう、そう思わぬか」
日置大膳はこの男が嫌いであった。津田掃部助一安。人質同然の茶筅丸の肩を抱いて現れ先年、国司職が具豊、後に信雄になった茶筅丸に継がれるまで当主のごとく振舞い続けた男。そして織田出身でありながら唯一、先日の北畠一族虐殺に反対した男。そもそも無骨で口数の少ない大膳はべらべらしゃべるこの男を同じ家臣団であること、彼より上位の存在であることに吐き気がするほどの嫌悪感を抱いていたのである。
「ご本所より津田殿にご命令がござった」
「ほほう、このような場所でご本所の命を聞かねばならぬか、このような土ほこりのたつところで・・・・」
「時間がありませぬ」
大膳は最後までしゃべらせなかった。時間がないというのは大嘘である。自分が早く片付けたかったのだ、誰も引き受けなかった「聞くべきことを聞いた後、この男の首を打つ」という仕事を。
「・・・・聞きましょう。」
「曰く『貴殿を遠国へ流す』と」
さぁ、後はなぜじゃ理由は、とわめき散らす男に命乞いと引き換えに秘密をしゃべらせ、その後上意に逆らう謀反人として斬ればいい、ザット一太刀。楽な話だ、大御所具教様を4人がかりで討ち果たすよりは。大膳は目をつぶった。こんな男の見苦しいさまなど目をつぶっていても・・・・。
しかし、待った騒ぎ声はいつまでたっても聞こえなかった。
「正確に伝えてもらわなければ困りますな、日置殿」
「ハ?」
「『貴殿を流す』がご本所の意向、『遠国へ』は大方忍び崩れの柘植猿か主玄坊主でござろう?」
あわてて目を見開いた大膳の前にいるのはいつも居丈高な男ではなく静かな、あくまで静かな表情を浮かべた男であった。
「・・・・・お判りか」
そう聞きなおすしかなかった。聞き耳でも立てられていたか、忍びでも放っていたか、あの場にいるはずのない男にわかる話ではなかった。
「それにしても、遠国へとは考えたもの。確かに黄泉は遠国じゃ。帰るに帰れぬ島流しカ、フフフフ」
何なのだこの男は。大膳の心がざわりと動く。
「流すというのも大方安土で決めたこと。」
「理由はお判りか」
「先日までの専横、武田と近い、粛清に反対。これだけあれば充分じゃが、強いて足せば・・・」
「もう結構にござる」
もう限界だった。大河内で負けが決まったときも、この城で大御所のお子様方を討ったときもこれほどしんどくはなかった。
「先ほどの話の続きですがな、日置殿。遠国と付け足したは柘植めでござろう」
「何故そう思われる」
「主玄坊主めは、木造御所を出し抜いて家老になったと大喜び。歯噛みする御所をさしおいて家老になったゆえほかのことなど余りかまっておらぬ。それに比べてあの忍び崩れはまだ上を狙うつもりじゃ。大御所を討ったも、「子の敵」などと抜かしておるが自分を押さえつける一番の重石を除いただけのこと。大御所亡き後の邪魔者は織田から来たそれがしのみと目をつけたのであろうよ」
一安は他人事のように分析してのけた。さらに大膳の質問に答えていく。
「この数年の専横はご本所に家臣の恨みの目を生かせぬため。武田と近いのは元々信長様のご命令でそうなったこと。粛清に反対したは、本所が握った北畠家を信長様とは言え自由にさせぬという意味でござる。」
「津田殿、それがしとご本所を信用していただきたい。」
「本題に入りますかな」
一安はおかしげに微笑んだが大膳の顔は真剣だった。
「強いて足そうとしたことでござろう。」
「左様。国司家に連なる御子をお匿いいたしたこと、その居場所を。」
「答えられんよ。」
大膳は焦っていた。このままではこの男を打つ覚悟が鈍って、命乞いをしてしまいそうになる。無骨なだけに真実があると見極めた瞬間に情が湧く。困った癖だ。
「本所も千代御前様も温かく迎えたい、養子にも取りたいと申されておる。頼む津田殿、ご教示くだされ。」
「大御所の子?ハハハハハハハハハハハハ」
一安は大笑いした。そうか、この純で無骨な男をさようにだましたかあの二人は。いまさらながら人の心を突くいやなやつらめよ。
笑いを納めた一安はこう答えたのだった。
「御子は大御所の遺児にあらず。具房様のご子息でござるぞ。大御所のお許しの下、鳥屋尾石見守殿と私とで匿った。今頃は石見殿がそれこそ遠国に逃したはず」
「ナッ・・・」
これでは話が違ってくる。大御所の子なれば、本所が引き取ることにより哀れな子として養われる道もあるだろう。具房の子となれはいわば、北畠の真の嫡流。信雄夫妻の対抗軸にもってこいということになる。あの二人、特に柘植は知ってたに違いない。そして敵意なきように見せて引きずり出しておいて処断する。
大膳はこの命を言いつけた滝川三郎兵衛雄利と柘植三郎衛門保重が心底憎くなった。今この目の前にいる男よりよっぽど悪辣で専横で性質が悪いではないか。
「津田殿、お抜きあれ。貴殿を無抵抗のまま斬る事等でき申さぬ。」
「抜かぬよ。信長様の命ならともかくご本所の命には逆らいたくない。」
「・・・・・。中御所の御子はどこに落ち延びられましたか」
「それも言えぬなぁ。大御所と石見守殿とのお約束じゃ。」
「言わねばこのまま斬り申す」
「・・・・・・・」
大膳は刀を抜き放つと、一気に振り下ろした。抵抗感はなかった。
彼が嫌い続けた口は最後の最後まで結ばれたままだった・・・・・。