具顕、大御所とともに高野山を攻めること
「おい、高野山行くぞ」
まぁ、いきなりどこかに行こうと言い出すのは、親父殿のいつもの癖ですが・・・・・・、高野山とは(笑)
というわけで、行ってまいりましたよ。霊山、そして戦国武将の墓が並び、その後ろには弘法大師が今なおおわします、日本一の聖地へと。
行きの行程は知りません。寝てましたからね。しかし、あっけなく九度山で起こされてしまいました。
「おい、ここは紫式部がいたところか?」
この人は何をどう覚えたんだろうか。九度山といえば「真田幸村」でしょうがよ!!!!!!!!!!!紫式部は石山寺だってば(笑)
さて、そんなこんなで、グネングネンの山道を登りきるといよいよ、高野山の寺院に到着します。
まずは大きな山門がお出迎え。
でかすぎて入んないんですよ、どこまで下がっても(笑)
また、これからどんどんおくに入っていくんですな。そして突き当たったところが、空海和尚いまだ存命といわれる高野山の聖地『奥の院』です。
二つ入り口があるんですが、こちらは一番奥の入り口です。ここから、どんどんとお墓が列挙されていきますので(笑)変なものが写っていても知らないふりしましょう(爆)
さぁ、行きましょうか、日本全国お墓の旅。
豊臣家のお墓。
太閤の栄華も、あの世に行けば何の価値もない、まさに夢のまた夢。 織田信長と筒井順慶が仲良く日向ぼっこしております。
寂しいですな。静かなものですよ。史跡になっているので線香を上げに行くこともできない。 ちなみに父が以前来たときの写真には謎の怪光線がたく
さん写っております。
菩提寺が大谷派の我が家ですので、当然 制外の家、越前松平氏家祖・秀康の墓。 忠臣蔵の元になった浅野長矩の墓。
親鸞聖人のお墓には参ります。 豊臣でも徳川でもない秀康にせめてもの慰めか 士の慰霊塔もあります。
一番立派に見えましたね。
甲信に覇を唱えた武田晴信、勝頼親子の墓。 その宿敵、不識庵謙信の廟。彼だけが「廟」
寺に来て、なお「我、毘沙門天也」と主張しているようです。
さぁ、メジャーなお墓はみんな回りました。このほか大戦犠牲者、災害犠牲者、企業の墓などもたくさんありました。
そして、奥の院につきます。
いよいよ奥の院に入っていくのですが、この橋からは写真撮影厳禁。なのでここまでです。神社にしろ、お寺にし
ろ、奥まで入って公開しようとしちゃいけませんよねぇ。聖性ってのは意地でも守られなきゃ。
中は当然、大師のご廟と供養の灯篭がたくさん並んだ地下室ですね。
素敵ですね。みながここを聖地として認め、守ってるのですね。
続きまして、ここで金剛峰寺をご紹介します。
山門です。奥に見えるのは本堂が屋根の葺き替え 本堂です。かかってない部分(玄関と、庫裏) お寺といえば鐘楼です。
しているためにかかってる幕です。 のみの写真です。
六時の鐘。福島正則寄進の鐘楼。 金堂です。でかいし地味だ(笑)
石垣が崩れかけて修理中でした。
中央伽藍の塔です。あまりに綺麗に塗ってあるので、
親父殿は「絶対、コンクリート製だ」と言い切りました。
木造ですよ、間違いなく。
お昼を食べ、土産に今話題の高野薪を購入し帰ろうとしたのですが、親父殿が突然暴走。「橿原神宮を見に行くのだ!!!」
ということで、橿原へ直行。
皇祖神武天皇をお祭りし、背後に畝傍御陵もおわします。
父いわく「伊勢より立派なのに、何で橿原の人は伊勢に来るのだろう?」
以上が、今回の日帰り高野山です。6時出発20時着。正味3時間いただけですが、ゆっくり見学できましたよ。