北畠具教卿・小原国永歌のやり取り

 「羽林詠草」中、具教卿と歌人・小原国永の歌のやり取り等を抜粋してみました。

 

永禄2年 国永の飼う鹿について

国永 

思ひきやきみかたなれのをさしかの こゑきく秋にあわれんものとは

具教卿返歌

聞人のつたへしを又つたへきく ことのはなれやをさしかのこゑ

 

永禄5年

具教卿、松月院死去によせて

妻思ふなミたハわれもをとらしを ひとりなりとやをさしか之こゑ

国永

をさしかのこゑのうちにも涙落ち たへぬめさめはさそなかなしき

 

永禄7年

松月院三回忌に国永に「歌そあるらん」と依頼

身をかへてこころのままにゆく月の名をはうむへき雲たにもなし

 

425

具教卿一続御興行

 国永2

さきましるまかきのきくの上におけはうつろふままの露の品々

いそのかみふかきを思ふ心にはしからみもなき袖の浪哉

 

永禄9年

六角ご母堂遠行

くるしみのうみをはなれし四の時やかへりと説のりはたのもし

いにしへの面かけそへてみる人の袖にやうつる秋のよの月

 

元亀2年

具教卿吉野へ花見、国永10首送るさらに10

 最初の10句より

よしの山見なれぬ雲の朝たつは またれし花(の)梢成けり

追加10句より

みよしのゝ花をかたれはへたれきし 人に恨そ残るともなき

天正2年

具教側室死去

 くらからしかかくる法の灯にけふ七をぬる六のちまたも

 

天正3年

2月10日

具教卿

花にをく霜もなミたや染めぬらんむかしのはるを偲ぶおもひに

 国永返歌

花をのみもてあそふてふ君が方に心をやがてくらす春かな

人もさそ花に昔を忍ぶらむと思ふ心こころてにかすめて

 

天正4年

2月中旬

具教卿

むかしかたり今ひとたひと思ふ身のあすをもしらぬ世をいかゝせむ

国永返歌

 あるまでのむかしかたりとたのまれずけふをかきりもしらぬ老も

11月晦日(国司家滅亡の月)

国永

空にのみふる年見えて庭の面はさりげなきかも今朝のはつ雪

 

天正5

1125

具教卿一周忌に国永30首和歌を追善(抜粋)

 普賢経

めくみさへ朝日とならはつみとかも 露霜のこときへさらめやは

 

天正10

具教卿7回忌追善の歌(抜粋)

般若心経

おほ空にかよふ心の道もたゝ 目わたる鳥やしるへ成らん