その日は一人だけオフだった。

 

 特に目的もなくフラフラと街をうろつき歩く。それがどれほど危険な行為かは分かっていた。しかし、せっかくの

オフだというのに朝からカンズメ状態で次のCD用の作曲を続けていれば、外の空気が恋しくなるのは仕方のな

い事だった。

 変装とはお世辞でもあまりいえないが、いつだったかファンの子にもらった帽子を深くかぶって目立つ耳と翠

の髪を隠す。

 さて、これからどうしよう。

 と、とある店の前で男は足を止めた。なんてことのない、少し古ぼけた書店だ。その店に何故か心惹かれ、細

い隙間を開けたままのドアをくぐる。

 店内は少しこじんまりとした、親しみやすい感じの雰囲気を漂わせていた。

 近くの本を手にとって見る。読めない文字が筆記体という形で書き綴られている。しかし、その言葉を何処か

で見た事があった。そう、確か彼の部屋にある本が、大抵この文字で書かれていたはずだ。そして文字は読め

なくても何が書かれているかは写真でなんとか分かった。料理の本だ。異国の国の料理はまだそう作った事が

ない。自分は読めないが彼が教えてくれるかもしれないと思い、その本をレジへ持っていく。

 カウンターの向こうには一人の少女が熱心に本を読んでいた。自分が持っている、そして周囲の本棚に並ん

でいる本と同じ文字が表紙に書かれている。あまりにも集中して読んでいるので、声をかけるのがとても迷惑

に感じ、

「―――すみませんっス」

と呟くしかできなかった。

 それでも少女は気付き、すっと頭をあげた。綺麗な金髪がなびき、男の髪と同じ翠色の瞳がしっかりと男を見

据える。

「あっ。すっ、すみません」

「いっ、いや、別にいいっスよ。こっちこそ読書を邪魔してすみませんっス」

 カウンター越しに本を手渡す。

「これですね―――二千円になります」

「二千円っスね……はい。これでお願いしますっス」

「はい。丁度頂きますね」

 少女は年齢的にアルバイトだろうか。それでもその働きぶりは正社員並にも見えた。

「ありがとうございました。またお越しください」

「ありがとうっス」

 丁寧に包装された本を受け取り、ニっと微笑む。すると、少女は何かを考え出し、綺麗な顔をしかめた。

「―――Ash君?」

「え?」

 尻尾があれば、ピンと伸びただろう。

「やっぱり。Ash君じゃないかしら?Deuilの」

「あっ、えっ、はいっ、そっ、そうっスけど」

 バレた。

 『Deuil』―――今ちまたで有名なヴィジュアル系バンド。男はそのバンドのドラムで、名前をアッシュと言った。

今では有名人となってしまい、街中で下手にファンの子に見つかると追いかけられてまくのだけで疲れてしまう。

 やはり今日は出かけるんではなかったと胸中思い、素直に答える。

 すると、少女は肩を震わせて笑みをもらした。

「大丈夫。私はファンの子ではないわ」

「えっ。じゃぁ」

 はっきりそう言われると少し悲しかったが、追いかけられない事に安心した声を漏らす。

「覚えてない?」

「覚えて?――――――あっ!」

 覗きこむように彼女の顔を見ると、その金髪に、翠色の瞳に見覚えがあった。脳裏を横切る澄んだ歌声。

「お久しぶりね、Ash君」

「ベルさんじゃないっスか!」

 受け取った本を落としてしまいそうになりながら声をあげる。

 彼女とか過去に一回だけ会った。

 第五回ポっプンパーティ。主催者はMZD。参加資格は何か一曲持ち歌を持ってくる事。アッシュはそれが数回目

の参加だった。その時に彼女とは出会った。聞いた事のない異国の曲を歌っていたが、あの綺麗な歌声は今でも

忘れる事ができない。

「お久しぶりっス」

「ふふっ。元気そうね」

「はい。でも、最近次の作曲作りで徹夜続きなんっスよ」

「へぇ。また新曲を出すのね」

「といってもアルバムに入れるリミっクスのようなものなんっスけどね」

「そう―――」

 アッシュはベルがそれから少し顔を曇らせた事に気付きはしなかった。苦笑しながら頭を掻く。頭の中に浮かん

でいるのは、ほったらかしにしてきた仕事の山。

「ねぇ、Ash君?」

「何っスか?」

「これから暇?」

 意外な言葉に帽子の中で耳をピクピクさせる。

「え?あ、はい。今日はオフっスから暇っスよ」

「あぁ。せっかくのオフなら邪魔しちゃ悪いかな」

「いやっ、いやいや、そんな事ないっスよ。どうせこのまま戻ってもまた作曲作業に戻るか何か作るしかしないつも

 りなんっスから」

「そう?―――なら、少しお話しない?」

「いいっスよ」

 その言葉に躊躇いなく答える。

「良かった。なら少し待って。もうそろそろバイト終わるから、そしたら何処か外で話しましょ」

 少し駆け足でベルは店の奥にへと消えていった。

 

「ごめんなさい。少し待ったかしら?」

「いえっ。そんな事ないっスよ」

「じゃあ行きましょうか」

「はいっス」

 店の裏口から歩き出す。そろそろ夕日がビルに隠れようとする時間帯だけあって、道を歩く人は多い。

 自然と帽子に手を伸ばし、十分隠れているというのに目元までおろす。と、横でベルが声を殺して笑っている

事に少し遅れて気付いた。

「ん?どうかしたっスか?」

「いえっ―――なんでもないわ」

「そうっスか?」

「ふふふっ……あ。あそこの店よ」

 名前だけ聞いた喫茶店を彼女は指差し、進路を変更する。少し大通りから離れた小さな店。オープンカフェと

いうのだろうか。昔からこういうところには来た事がないのであまり分からない。

 カランと涼しげなベルの音が響く。

「すみっこにしましょうか?」

「あっ、そうしてもらえると嬉しいっス」

 帽子の下から片眼だけを出し、ファンっぽい子がいないか念の為に確認する。そしてそのままこそこそと、逆

にこっちの方が目立つような動きでベルの後を追った。

 その少し変わった光景を、カウンター内にいた男は見逃しはしなかった。

「―――あいつら」

「おいっ。誰か今の客に水もってってくれ」

「あ、それなら俺行きます」

 男は不精ヒゲを触りながら仕事にとりかかった。

 

「いい店っスね。いつも来るんスか?こういう所」

「ううん。一緒に来る人もいないし、滅多に来ないわ。前にお客さんに勧めてもらったの、この店」

「そうだったんスか」

「久しぶりだな、お前ら」

 二人の会話を遮ったのはさっきの男だった。印象的な低い声に、アッシュは相手の顔を見ていないというの

に誰だか分かった。

「KKさんっ?」

「よっ。元気にしてたか?二人共」

 KKは場所に合った店の制服を着ていた。前に会った時が青のつなぎだったせいか、ギャっプに少し驚く。

「お久しぶりです、KKさん」

「今日もまた客、連れてきてくれたんだな」

「はい―――というか、ここ以外に話をできるような場所を知らないので」

「ははっ。まっ、こっちとしちゃどうでもいぃけどよ。お前が連れてきてくれた奴らがわりと来るようになったから、

 バイトのくせして店長に気に入られたっぽいからさ」

「それはよかったです。あ、私コーヒーで」

「それじゃあ俺も」

「了解。ま、ゆっくりしてきな」

 運んできたコっプを机の上に置き、さっさと戻っていく。その後ろ姿を見送ってから、アッシュは話し掛けた。

「いつも来るんスか?」

「いつもってワケじゃないけど。時々みんな店に来てくれるのよ。それで何処か話をする場所はないかと思う

 とここぐらいしか知らないのよ、私。それにここならKKさんもいるし、店の雰囲気も好きだから」

「へぇ」

「よく来るメンバーは、やっぱりあの四人かしら」

「四人って?」

「ほら、隣りの雑貨屋さんにさなえちゃんがいるでしょ?だからりえちゃんと」

「あぁ。スギ君とレオ君っスか」

「えぇ」

 そこまで言って、彼女は小さく笑った。

「でもね。彼ら、今ちょっと立ち寄り禁止令出されてるのよ。KKさんに」

「えっ?どうしてっスか」

「あいつらが五月蝿いからに決まってんだろ」

 いつの間に現れたのか、さっきと同じ盆にコーヒーカっプを乗せてKKが背後に立っていた。

「まぁ、彼らは悪気があったわけでもないんだけど―――」

「悪気があって五月蝿いなら、それこそ迷惑だってんだよ」

「そっ、そんなに五月蝿かったんスか?」

 二人の前にカっプを置き、盆を頭の後ろに回す。

「五月蝿いも何も、あれだけは店長にド叱られたぐらいさ」

 その時の光景を思い出し、肩を竦める。

「ま。店長がその事を忘れるか、それとも店長交代になるまで禁止だな」

「えぇっ!?」

「―――なわけねぇだろ」

 ぽんっと頭を盆で殴られる。

「ベル。そのうちまた連れて来い。ただし、今度は騒ぐなって釘さしとけよ」

「えぇ、分かったわ」

 彼女の声に答えるようにKKは手を振ると、軽い足取りで戻っていった。

 出されたコーヒーに各自クリームや砂糖をいれ、スプーンで軽くかき混ぜる。

 

「そしたらスマイルがやっぱり原因だったんっスよ」

「ふふふ。面白いわね」

「まぁ、話すだけなら面白いっスけど、実際には凄かったんスよ、ほんとに」

 会話は面白いように弾んだ。いつの間にかコーヒーもなくなり、それでも席を立とうとは二人共しなかった。

「そういえば―――」

 突然ベルは今までとは違う表情を浮かべた。真剣な瞳で見えないはずの紅色の瞳を見つめる。

「ねぇ、Ash君」

「何っスか?」

「貴方、『Deuil』が何処の言葉か知ってるかしら?」

「『Deuil』って―――俺達のバンド名の事っスか?」

 周囲を見回し、小声で聞き返す。

「えぇそうよ」

「んー。恥ずかしいっスけど、実は知らないっス」

「じゃあ意味も?」

「はいっス」

「そう」

 アッシュは気付かなかったが、ベルは 少し―――といっても瞬きするほどの時間だが―――目を伏せ、すぐ

に顔をあげた。

「その名前は誰がつけたのかしら?」

「ユーリっスよ」

「ていうと、ヴォーカルの人ね」

「はい、そうっス」

 脳裏を横切る我侭王子。自己中心的で天上天下唯我独尊タイプ。少し不器用なとこもあって一人ではあまりで

きないが多い。食事もその一つに入るだろう。でなければ、食事ができるメンバーなど募集しないだろう。

 自分でも気付かないうちにユーリの名前が出ると同時に、彼の事について語りだしていた。途中で彼女が飽き

れた顔でもしてくれればもっと早く気付いただろうが、同じ笑みを浮かべている彼女を見つめながらでは感覚が

分からなくなっていた。

「あっ、すみませんっス」

「ううん、別に気にして無いわよ―――好きなのね、彼の事が」

「えっ!?」

「変な意味にとらないで。人間として好きっていう意味よ」

「あ。そういう意味っスか。好きっスよ。ユーリも、スマイルも、そしてベルさんもみんな好きっスよ」

 こういう言葉はよくユーリやスマイルにも使う。すると彼らにはいつも「好きってむやみに使うな」とか「そんな事言っ

ちゃ可哀相だよ〜」などと言われる。が、本人はまだその意味が分からない。

「―――ありがとう」

 何に対しての有難うかは分からなかったが、お礼を言われて嫌な気にはならなかった。

 彼女は少しの間溶けていく氷を見つめていたが、ゆっくりと唇を動かした。

「『Deuil』っていうのは、フランス語なの」

「フランス、語?」

「えぇ。私の母国語よ」

「そうなんっスか?じゃあ意味も知ってるんっスか?」

「―――えぇ」

「教えて欲しいっス!」

 知りたかった。自分より何百年も生きているユーリが一体何を考えて『Deuil』という名前をつけたか前々から気

になっていたからだ。しかし、つけた本人は誤魔化して教えようとはしないし、スマイルは根っから興味がないと

言っていた。

 知りたい。これを知れば、自分の知らない彼の数百年を知る事ができるような気がしたから。

 アッシュを見つめたままベルが固まる。答えを聞くのは、さっきの答えを聞くより時間がかかった。

「―――悲嘆。愁傷。死別の悲しみ。死去。葬儀。そして、喪服―――」

 時間が、止まった。

 ただ愕然とし、眼を伏せる。

「ごめんなさいね」

 先に口を割ったのはベルだった。

「こんな話して。気分悪くした?」

「いっ、いえ。そんな事ないっスよ。それどころか―――」

 無理やり笑みを浮かべる。それが今自分にできる最低限度の事だった。

「感謝したいぐらいっスよ」

「!?」

「俺。ユーリの気持ち、何も知らなかったっス―――最悪っスね」

 ハハっと空笑いし、顔を大きな手で覆う。

 自分はまだ生まれてからたって八十年程度しか生きていない。それに対してユーリは、スマイルは何年生きて

いる?多分、年を数える事すら忘れてしまっただろう。自分が生まれた時の事すら忘れてしまっただろう。知り合っ

た人達が自分達より早く死んでいくのだけを見守って、今も生きているのだろう。そして、それはこれから先も続く。

 彼らはどれほどの涙を流したのだろう。本人達に聞いたら涙などもう枯れてしまったと答えるかもしれない。ど

ちらにしろ、彼らは数えきらないほどの別れを叩きつけられてきたのだろう。

『じゃあ自分は?』

 まだ、ない。狼人間は吸血鬼や透明人間ほど寿命は長くないが、人間よりは長生きできる。それでも今まで人

と触れ合うという事をしていなかったから別れというものを知らずに生きてきた。

「―――『Deuil』―――」

 いつもは自分のバンド名という意味で言っていたが、今は悲嘆という意味を込めて呟く。

 やはり、この数百年の溝は埋める事ができないのだろうか。

 

 気付けばベルの姿は目の前からなくなっていた。買った本を忘れずに持ってカウンターへ行くと、暇そうに新聞

を読んでいたKKがいた。聞くとベルは勘定を払ってもう帰ってしまったらしい。今度謝りに行かないとと思いつつ

店を出ようとする。すると、KKは一言、ぼそりと呟いた。それは自分に対しての言葉だったのか、それとも本当

にだたの独り言だったかは分からないが、低いベースは耳に残った。

『世界中の不幸全部背負ったような顔してんじゃねぇよ』

 彼の言う通りだったかもしれない。その時の自分の顔は、見なくても不幸な表情を浮かべていた。

 ドアのベルが、その時は寂しく鳴った。

 夕日がビルの向こうに消えていく。

 異国の本を手にしながら、自分は彼にこの言葉を教えてもらえる資格があるのだろうかと、一瞬考えた。

 


はい、完成しました。

意味―――Ash verです。

それにしてもあんま変わっとりませんな。

いや、ベル編ではただ悩んで終わりやったシーンをアッシュ編でちゃんと書きたい思うて。

こいつらの設定もわりとMy設定あるんでそっちの方を見てくれっと嬉しいっス。

どうだったでしょうか?

自分的には、KKが良いとこ取りしとる気がするんやけど(笑)。

 

02.6.30

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