約束の日は、今日。
その日は互いに胃がキリキリする状態から始まった。
「―――おはよう。アイス君―――」
「―――あぁ。おはよう、ミミさん―――」
付け加えるならば、頭まで痛い。
「どうしたの?随分疲れてるようだけど」
「そういうミミさんこそ」
顔を見合わせ、重い嘆息を漏らす。
「昨日、ニャミちゃんの自棄(ヤケ)酒に付き合わされてさぁ」
「ミミさんも?僕も同じだよ」
「タイマー君に付き合わされたの?」
「当たり。こっちは泣き上戸だから、もう面倒で面倒で」
「それはそれでまだ楽だと思うよ。怒り上戸で絡まれるより絶対」
互いに脳裏に泣き叫ぶタイマーと、怒鳴りつけてくるニャミを思い浮かべてもう一度嘆息を漏らす。
場所は某スタジオ。今回の問題の根源であるプロモーション撮影が行われるのは、このスタジオの四階。そして、運
悪くミミニャミがゲストで歌う事になった曲の収録も、同じこのスタジオの四階で行われる。
「僕はまだ見てるだけだからいいとして、ミミさんは大丈夫?ほら、今日は収録だったよね?」
「んっ……んんっ。大丈夫だと思うよ」
「無茶はしない方がいいよ。薬は飲んだ?」
「一応、ね」
それでもまだ頭痛が続くのは本人だけが知る事。
「だけど。よりにもよって約束の日に同じスタジオで収録があるなんて」
「運、悪いよね。僕達」
「ほんと」
飽きずにまた溜息が漏れた。
「そう言えばタイマー君は?」
「タイマーならもうスタジオ入りしてる。ニャミさんは?」
「タイマー君に同じく」
一階のロビーにある自販機で買ったコーヒーが胃を宥めてくれる。一息入れると、中を空にしてニャミが立ち上がっ
た。ゴミをゴミ箱に放り投げてちゃんと入ったのを見送って小さくガッツポーズをする。
「あたしはもう行くね」
「頑張って」
「アイス君もね。あたしはぁ……ま。ほどほどに頑張るよ」
ぱらぱらと手を振ってエレベーターへと向かう。
ミミの姿が壁の向こうに消えると、アイスもコーヒーを一気に飲み干し、重い腰を上げた。
「じゃあ、タイマーさん。もう一回いきまーすっ」
「はーい♪」
スタッフの言葉に笑顔で答え、最初に指定されたポーズを取る。
折られていく指で数を数え、グーになったと同時に『芸能人のタイマー』の仮面をつける。だが、
(―――ニャミちゃん―――)
何処か心の奥で『ニャミの恋人のタイマー』の仮面が揺らいだ。その度に動きがあやふやになって、スタッフが頭を抱
えているのが見て分かった。
曲が止まった。
「―――あ」
「タイマーさん。ちょっと休憩入れようか?」
「―――すみません」
「いいって。じゃあ十分間休憩入れまーす」
タイマーを一人スタジオの中心に残した状態で照明が落とされた。言葉の通り休憩に入ったり、道具などの設備の
確認などにスタッフが散る。
(―――また、やっちゃった。駄目な自分―――)
奥歯を噛み締め、未熟な自分に悪態をつく。ポケットにすっと手を伸ばすと、外からは膨らみも見えないほどの物体
に指先が触れた。
「タイマーっ」
「!」
名前を呼ばれた瞬間、口から心臓が飛び出るという感覚に襲われた。振り返ると、そこには予想通りの人物があ
まりすぐれない顔でこっちを見ていた。
「―――アイス」
「また、やったの?」
「――――――ごめん」
「いいよ。ほら、折角の休憩なんだから少しは休まないと。そうしたら少しは上手くいくって。ね?」
「―――うん」
アイスに気付かれないようにポケットから手を自然に離し、彼の横を通り過ぎようとする。
空調のせいか、彼の柔らかな黄金色の髪が優しく揺れた。
「そうだ。タイマー、知ってる?」
「え?」
次の一歩を歩きたがっている足を引き戻して振り返る。
「今日。同じ階でミミさん達が収録してるんだよ」
「ニャミちゃんがっ!?―――そう」
ミミの名前だけでニャミの名前を瞬間的に口に出来る自分に少し驚きを感じた。顔一杯に喜びが広がったが、一
拍おいてまた暗くなる。
「だけど、今の僕には関係ないよ。気を使わせてごめん、タイマー」
「―――ほんきでそう言ってるの?」
「え―――っ!」
廊下へ向かおうとしていた身体が無理やりスタジオの方へと引っ張られる。胸倉にはアイスの手が離さないと言わ
んばかりにしっかりとしがみ付いている。二人の年は意外と離れているものの、体格的にはタイマーの方が大きい。
体力的にもタイマーの方が勝っているのは当たり前だ。だが、今はタイマーが気を許していたのもあったかもしれない
が、アイスの計り知れない底力がタイマーを縛り上げた。
「ほんきでそんな事言ってるのって聞いてるのっ!」
滅多に聞かない彼の大声に残っていたスタッフも顔を上げる。
「アイス―――」
「君は分かってないっ。一体どれだけみんなが君を心配してるのかっ。一体、どれだけニャミさんが悲しんでるかっ!」
「っ!―――そ、それは」
「分かってる?分かってないでしょっ?」
「―――分かってるよ」
アイスから視線を外して、床を見つけて呟く。
「僕だって、それぐらいは分かってるよ。だけど―――」
「だけど何っ?」
「―――だけど―――」
言葉が見つからない。
重い空気の中、スタッフが目のやり場に困りながら次の準備にとりかかる。
「―――もう、いいよ」
消えてしまいそうな小さな声。胸倉をしっかりと掴んでいた手を離してタイマーの横を通り過ぎる。
誰もアイスを止めようとしない。
誰もタイマーに声をかけようとしない。
俯いたアイスがスタジオを出るまで、全ての時間が止まったかのようにスタッフは感じた。
ゆっくりと動き出す時間。自由を取り戻した人間が音を生み出し、沈黙に光を射す。
「―――ねぇ―――」
それは誰かに向けて言った言葉じゃない。
「―――教えてくれないかな―――」
助けてくれるなら誰でもいい。
「―――ニャミちゃんがいる、場所―――」
そう、思ったから。
硝子の向こうでスタッフがOKの合図を出す。
『はーい。お疲れ様でしたぁ』
スピーカーから聞こえてくる元気な声が気持ちを軽くしてくれる。
ヘッドホンを外すと音は鮮明に聞こえた。
「んーっ。やっと終わったぁ」
「終わったねぇ」
スタジオにはミミとニャミの二人だけ。
ヘッドホンを楽譜置きにかけてスタジオから出る。
「お疲れ様でしたーっ」
「お疲れぇ♪」
「おっ疲れ様ぁ♪」
交わされる挨拶。スタッフの笑顔が眩しい。
「どうでした?」
「よかったよ。一発OK♪」
「やったぁ!」
「でも、ごめんなさいね。せっかくゲストで歌ってくれるっていうのに、今日はあの子、出てこられなくて」
そう言って頭を下げるのは、ゲストのマネージャー。なんでも今日は風邪をこじらしたとかで寝込んでいるとかで、顔
を合わすはずだった彼女はいない。
「ううん。そんな、別にいいって」
「お大事にって伝えて下さい」
「本当にありがとうございます。その言葉、ちゃんとあの子に伝えておきますから」
人懐っこい笑顔を浮かべ、ぱたぱたとスタッフの方へと走っていく。彼女の姿を見送ってから、二人は顔を見合わ
せた。
「それじゃあ、どうしよっか?」
「もう今日は終わりって聞いたし」
帰宅準備をしながら、これからの話をする。
「何処か寄りたいとことかある?」
「ん〜。今はあるような、ないような」
「どっちだよ、それって」
「―――んー」
唸り声をあげ、ニャミは俯くだけ。脳裏を横切るのは、黒い靄のかかった一人の人間の後ろ姿。
(―――結局、気にしてる―――)
考えては、漏れるのは溜息だけ。
心配してミミがニャミの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「えっ?な、何が?」
「嘘」
つんっとニャミの鼻をつつく。
「顔に出てるよ。おもいっきり」
「だ、だから何って―――」
「タイマー君」
彼の名前が出たとたん、ニャミは動きを止めた。
「ほら、図星だ。気になるんでしょ?」
「そ、そ、そ―――そんな事ない!!」
「―――めいいっぱい否定して。それが逆に心配してるように見えるんだって」
冷たい視線を彼女に送って鞄を肩にかける。
「あたし、先に帰るね」
「え?ちょ、ちょっと!」
「そっれじゃあね〜♪―――あ」
呼び止められるより早くドアを開ける。そして、ぴたりと立ち止まった。
「?どうしたの?」
「んっふっふ〜。そうか。あ〜、そっかそっか♪」
「え?何が?」
問い掛けても、聞こえてくるのは無気味な笑い声と一人で納得した声だけ。
「じゃ、あとは任せたから」
それはニャミに向けられた言葉ではない。ドアの向こうにいる、見えない誰かに向けられた言葉。人一人出れるだけ
の隙間を開けてスタジオの外へと出る。
スタッフがまだ最後の仕事があるのか、背後を忙しく走り回っていく。スピーカーから聞こえてくるのは、自分達の歌
声と、ノリのいい曲。
閉められなかったドアが、ゆっくりと開く。
「!」
そこから姿を現したのは、一匹のウサギだった。
「―――ニャミちゃん」
搾り出す声。背中に隠した拳が小刻みに震えている。
恐い。
また、逃げられるのが。それでも、今日は絶対に逃がしてはいけない。ここで逃がしてしまったら、もう会う事ができ
なくなるような気がするから。
「ニャミちゃん。ちょっといいかな?」
「―――どうして?」
「話が、あるんだ」
「だけど、あたしは話したくないのっ」
鞄をやっと手に持って歩き出す。
「―――ちょっと、退いて」
「嫌だ」
「どうして?」
「僕に、ちょっと付き合って」
「だから嫌ってさっき言ったでしょ?」
「今日は、逃がさないから」
刹那。ニャミは腕に何か掴まれる感触を感じた。
(えっ?)
頭で気付くより早くスタジオから引っ張り出される。
「ちょっ、ちょっと痛いって」
引きずられるがままに廊下を歩く。だが、タイマーは前を向いたまま振り返ろうともしない。ただ、黙々と腕を掴んだ
まま何処か知らない場所を目指している。
「ねぇっ……ねぇってばっ!」
エレベーターは使わない。二人っきりになるのをワザと避けたのだろうか。それは分からないが、階段を使って上を
目指す。
(確かこの先って―――)
目的地が段々絞られてきて、ニャミも素直に引っ張られる。
鍵のかけられていないドアが開く。
「うわぁ!」
そのとたん、ニャミはついさっきまでの出来事を全て忘れるような声を漏らした。
目の前に広がるのは、オレンジ色に包まれたビルの街。
「―――ニャミちゃん。前に見たいって言ってたよね」
「え?」
「ほら、覚えてない?夕日に包まれた街って綺麗だよね、って。だから……一緒に見れたらいいよね、って」
「あっ―――」
彼の言葉に忘れかけていた過去を思い出す。そう、それはいつだったかの事。星の綺麗な夜空を見上げてニャミが
そう呟いたのだ。星が輝く夜も綺麗だけど、夕日が街を包み込むあのオレンジ色の景色も綺麗だよね、と。
(まだ、覚えててくれたんだ)
それは、ニャミの独り言に過ぎなかった。その後に二人で見れたらいいねという言葉も。
「―――タイマー」
「ゴメンっ、ニャミちゃんっ!」
彼のチャームポイントであるウサギ耳が揺れる。
「今日の事忘れててっ。本当に悪かったって思ってる。謝って許してもらえる事じゃないって分かってるけど、聞いてほし
んだっ。ゴメンッ。本当にゴメンッ!」
「――――――」
夕日が、全てを包み込む。それは暖かな光で、今なら全てを許せそうな気持ちになる。
頭を下げるタイマーの前で、ニャミは無言を通した。動かない彼を見下ろし、どうしようかと気付かれないように考え
込む。
(ん〜)
声に出さない唸り声。ゆっくりと歩き出し、屋上端のフェンスに手をかける。ここからだと街が一段と大きく見えた。太
陽がビルの向こう側へと沈んでいく。そして、反対側からはもう気の早い月が顔を出している。
「―――許してあげない」
やっと口が言葉を紡ぐ。冷たい否定の言葉。
「許してあげないんだから」
「―――ニャミちゃん」
「誰に聞いたかは知らないけど、今日を忘れるだなんて……最悪だよ」
「……ゴメン」
「だけどっ」
踵を返し、タイマーの胸へと飛び込む。
「ニャ、ニャ、ニャミちゃんっ!?」
「ありがと」
小さな、小さな、感謝の言葉。
「この夕日、すっごく嬉しい。これを見たかったんだ―――タイマーと一緒に」
「ニャミちゃん」
「許してはあげないけど、ありがとう。だから、これから覚悟してないと知らないからねぇ!」
「そ、それは恐いなぁ。あ、それとこれっ」
ニャミの背中に回しかけた腕を戻してポケットを漁る。探し物は、あのアイスにも隠した物。
「ん?何」
「手、貸して」
「別にいいけど」
貸してと言われて素直に右手を出す。すると、タイマーは左手でそっと手を取った。
「―――気に入ってもらえれば嬉しいけど」
ニャミの中指に指輪がはめられる。宝石はないが、装飾の綺麗な指輪。
「これっ!」
「今の僕にできるのは、夕日の景色とこれだけ」
「―――ありがとう」
自分はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。だって、彼はこんなに自分の事を思ってくれているのだから。
「タイマー、だーい好きっ!」
最後は仲直りのキス。
おまけ。
「無事、仲直りしてよかったぁ」
「本当。そうだね」
「てか、遅かれ早かれこうなるのは分かってたんだけどさ」
「やっぱり、早く済んだ方がいいよね」
「―――だけど、あのバカップルがまた発生するのかと思うと」
「ちょっと、考えを改めたくなるよね」
『―――はぁ』
やっと、終わった。
やっと終わったよ、ママンっ!(笑)
もう根性っした。
てかね、オチがこんなんですんまそん(呟き風味)。
もう、駄目っス。
ま、これはこれでありっしょ?
ちなみに没になったおまけ。
今回の話に介入したゲストキャラみんながタイニャミをいぢめとるor飯奢らせるって話。
ん〜、しかしそれが面倒になったんよなぁ(笑)。
て事で、代表者二人だけって事で。
それも台詞だけ。
―――駄目じゃん、自分。
よく考えれば、この小説書き始めたのが去年の九月。
約七ヶ月かけて書き上げたらしひ(汗)。
よくサボってたんがよく分かる。
前回の話から二ヶ月経ってっし(汗)。
こっちもおまけ。
ミミニャミがゲストで歌ったとかゆーアーティスト。
結局、誰なんしょ?(笑)。
いや、つか、こーゆーの分からんからめっさ適当なんやけど(汗)。
……ま、いか(いや、よくねぇだろ)。
03.3.25