彼等は同じ目的で、同じ場所を目指していた。

 ただ、互いの事は何も知らない同士だが。

 

 授業開始のチャイムが鳴る。

 少年から青年の階段を上り始めた彼は、校内に鳴り響く音を背に屋上へ続く階段を呑気に歩いていた。ペタペタと

安っぽい―――実際に安いのたが―――スリッパの音がチャイムに飲まれて消えた。

 別に屋上への出入りは禁止されていない。昼休みになれば昼食を食べに来る生徒がいれば、授業をサボろうと来る

生徒もいる。そして、彼は丁度後者の意味で屋上を目指していた。

 少し錆び付いたドアを開けると眩しい外の世界が視界に飛び込んだ。眩しい。胸の中で呟いて外に出る。

「今日も、いい天気だな」

 サンサンと照りつける太陽を見上げて呟く。

 高校に入学してまだ数ヶ月。なのに彼はもう授業に出る気が無い。正しくは、入学する前から勉強などする気は欠片

としてなかったが。

『授業を受けるもサボるも、それはお前の勝手だ。ただ、卒業だけはしてくれ。それなら俺も母さんも何も言わない』

 無理やり高校入学を余儀なくされて、心なしか反抗してみせた時に言った父親の言葉。確かに今の世の中、高卒で

なければ就職どころかアルバイトすら危うい。それを考えれば、嫌々でも通わなければいけないのかもしれないとその

時は一時的に納得してみた。しかし、いざ入学して授業を受けてみると、自分がやはり器に入れられるのが嫌いなタイ

プと知る。自由奔放に、自分の思った事を自分の思った時にやる。そんな人間に学校はとても不釣合いな場所だと

認識し直した。

 そして、今にいたる。

 頭の方はその気になれば賢い方だと自分でも自覚している。出席日数さえ計算してちゃんと出れば卒業など簡単だ。

先生の機嫌をとって、時たまに出る授業で真面目な格好をしてみせればいいのだから。

「さて。二限目まで時間潰すか」

 中身の入っていない鞄を枕にして寝転ぶ。

 鳥が屋上に巣でも作っているのか、さえずりが一歩間違えれば騒がしい。

「うるせぇ……撃ち落すぞ?」

 だが、そんな人間相手用の威嚇の言葉など鳥には一切通用しない。彼の安眠を邪魔するかのようにチュンチュンと

五月蝿く鳴く。

 サボリ常習犯のブラックリスト入りしようとしている少年は、足を組むと持っていた雑誌を適当に広げて顔にかぶせた。

 

 チャイムが鳴る。

 

 時間的には一限目が終わったところだろうか。少年的にはあと一限分、つまり一時間は寝るつもりで、体内時計もそ

れに合わせてセットしておいた。だというのに、第三者の乱入によってタイマーが鳴るより早く身体が起きてしまった。

雑誌の下で鋭い逆三角の眼を開ける。

(一体誰だ?)

 入学して以来、ここでサボっているのはまだ少年ぐらいしかいない。みんなしていい子ちゃんなのだろう。それか、もっ

と他にいい場所を知っているかどっちかだ。

 人と関わる事は昔から好きではない。それは少年がずっと独りぼっちだった事が多かったせいだろうか。なのにも関

わらず、その時は何故か乱入してきた人物が何者か知りたくて雑誌を退けた。

 今まで闇を見ていた瞳は突然光を取り込むと、あまりもの眩しさに瞳孔を縮めた。雲一つない晴天の空が一拍遅れ

で視界に入る。

(―――あれ?)

 光の中から現れたのは、少年と同じ制服を着た年頃も同じぐらいの少年だった。黒髪だが前、後ろ髪共に少し長く

て男というより女っぽい印象を感じる。色白で、縁無しの眼鏡がインテリらしく見せている。

 雑誌を横に退けて上半身を持ち上げる。

 眼鏡の少年はやっと先客がいた事に気付くと少し驚いた表情を浮かべてみせた。

「どうしたんだ?」

「えっ?」

「ここは賢い坊ちゃんが来るところじゃねぇ。今ならまだ遅刻で間に合うだろ?さっさと教室に行ったらどうなんだ?」

「―――お節介は無用だ」

 冷たく言い放って先客から少し離れて腰をおろす。

 少年は彼を何処かで見た記憶があってすぐに思い出した。確かに、入学式で何か大層な言葉を並べていた入学生

代表だ。そんな成績優秀な生徒がどうしてこんな所に授業をサボりに来るのか。まったく逆のタイプの少年はその理由

が分からなかった。

 視界の隅で彼の行動を観察してみる。特にそれといった動作はせず、ただ壁に背中を預けて青い空を見上げてい

る。

「なぁ」

「構うな」

「―――冷たいなぁ。同じサボリ仲間だろ?」

「お前なんかと同じにしてほしくないな」

「ま。そりゃそうか」

 少年と同じ空を見上げてみる。そうすれば、答えが見つかるかもしれないと思ったから。

「不良と一緒にされるのはやっぱ嫌だよな」

「っ!俺はそういう意味で言ったんじゃっ……」

「何ムキになってんの?」

 冷ややかにツッコミを入れてやると、少年はぴたりと静かになった。

 二人の出会いは完全な正面衝突。どちらも謝ろうとしない交通事故。もう二度と会う事はないだろうと思った、ただの

偶然の出会い。

 しかし、運命とは意外な話に持ち込むのが好きだったらしい。

 

 屋上のドアを開ける。すると、太陽に照らされて伸びている二本の足が見えた。

「またお前か」

 隙間程度しか開けていなかったドアを押すと夏の風が横を通り過ぎる。

 日陰で涼しんでいた少年が顔を上げる。

「よっ」

「ったく。いつ来てもお前が先なんだな」

 嘆息をついてドアを閉める。

 夏の屋上は蒸し暑いが風通りが良くて涼しい。

「それを言うなら、いつもお前が後なんじゃねぇの?」

「―――どっちでもいい」

 別々の日陰に入って時間を潰す。

 互いの名前もクラスも何も知らないというのに、何故か二人は少しずつだが正面衝突の傷を治し合っていった。

「どう?」

「どうって?」

「高校生活ってやつ」

「お前はどうなんだ?」

「ぜんっぜん」

 途中のコンビニで買ってきたペットボトルのジュースを一口飲んで肩を竦める。

「先公は下らねぇし、授業は暇。おまけに可愛い女はいない、と」

「一体何のつもりで来たんだ?高校に」

「親に押し付けられたから」

 ぼそりと呟いた言葉に眼鏡の少年は眉をつりあげた。

「へぇ」

「お前は?」

「俺?」

「そう」

 少し早い昼食をとりながら視線を向かいの少年に向ける。

「俺とは少し違うけどよ。顔に書いてあるぞ」

「なんて?」

「学校に来るなんて下らない」

「―――当たり」

 開けていた本から顔を上げ、珍しく微笑む。

「俺も親に無理やり入れられた」

「ならどうしてこんなちんけな学校なんだ?」

「行きたくないから、入試を全てサボった」

「―――よくやるなぁ」

「なのにあいつら、裏口か何したらしくてさ」

「親をあいつら呼ばわりか?」

「それが一番しっくりくる」

「あ、そう」

 二人の何気ない会話は空の青さに吸い込まれていく。

 もし誰かが見て仲がいいのか悪いのかと聞かれたら、二人して仏頂面で悪いと即答で答えるだろう。だが、二人でこ

う話をしていると、何故かつい最近知り合ったのではなく、もっと昔から―――まるで幼馴染の悪友という感じがしてた

まらなかった。

 

 一学期が、もう終わる。

「成績いいんだな―――意外と」

「悪かったな。意外で」

 定番のように通信簿を交換して、互いが意外と賢い事を確認しあう。テストと授業態度、あとは提出物さえちゃんとす

れば成績など赤を取りようがない。それと、出席日数がやばくなければ、だ。

「それにしても」

「何?」

「出席日数、ギリギリだな」

「お前だって」

「ま。互いに考える事は同じってか」

 受け取った薄っぺらい紙っきれを隅々まで見てみる。一番上に書いてあるのは担任名と、

「―――紫音?」

「ん?」

「いや、名前。合ってるか?」

「あぁ」

 今の今まで名前すら明かした事のなかった同士。初めてクラス名や名前を知る。

「それにしても、下の名前は珍しいな。何?なんて読むんだ?これ」

「ショウ、だ。それとも何?ヨイとでも読んだか」

「わりと」

「ま。昔からよく間違えられたから別にいいけどさ」

 眼鏡にかかる長い前髪をかきあげて、相手の名前を読む。

「そういうお前の名前も……なんだ?ホタルでいいのか?霧志摩ホタル」

「馬鹿。ケイだよ。霧志摩蛍」

「互いに珍しいと思うぞ」

「そうだな」

 見終わった通信簿を交換し直し、ふと視線が合って二人は笑みを零した。

 

 夏休みに入って、次に二人が顔を合わしたのは二学期の始業式をサボった屋上だった。

 

「何、珍しいんじゃないか?」

「は?」

「それ」

 ウォークマンを聞きながら自習していた宵は蛍が本を読んでいるのを見て目を丸くした。

「お前がここで勉強するなんてさ」

「別に」

「どうした?なんか面倒な宿題でも―――って」

 何かの教科書かと思って覗き込むと、そこには普通なら見る事の無い文字などがずらりと書き並べられていた。

「何の本?」

「国家試験」

「国家試験っ!?」

「―――そんなに意外か?」

「あぁ」

 即答で言い返されて少し虚しくなる。

「悪かったな……ったく」

「誰も悪いとは言ってないだろ。それにしてもどうして?というか、何になるつもりなんだ?」

「警官」

 二度目の信じられない事で今度は言葉が出てこない。

 静かになった宵に蛍も何も言わない。

 季節は秋。そろそろ屋上も北風が吹き込んできていづらい季節になってきた。それでもここ以外の場所を知らない彼

らは今でも同じように屋上に集まる。

「意外、って言いたいんだろ?」

「あ、あぁ」

 二人の間を冷たい風が吹き抜ける。

「―――俺の親が、両方警官なんだよ」

 沈黙を打ち破ったのは蛍が初めて語る身の上話だった。

「イマイチ細かい事は俺も知らねぇけどさ。なんか偉いさんらしい」

「それで?」

「まぁ。ガキの頃から心なしか親父達のようになりたいって思ってたわけさ。そういうのってあるだろ?自分の親がすっ

 げぇカッコよく見えるのって」

「―――まぁな」

「俺もそうでさ」

「そのわりには」

 話が長くなると予感して膝の上に広げておいた教科書を閉じる。風に乗って微かに鼻を突く匂いに苦笑を浮かべてみ

せる。

「煙草の匂いがするのは気のせいか?」

「気にするな。薬やってるわけじゃねぇんだしさ」

「じゃ、酒は飲んでるってわけか」

「ははっ。よく分かってるな」

「予想はできる事だ。それで?親と一緒の警官になりたいから今になって勉強をしだしたのか?」

「んーっ。ちょっと違うな」

 秋空を見上げて、雲から雲を飛び交う渡り鳥の姿を目で追う。

「何が?」

「親に反対された」

「は?どうして」

「さぁな」

 腕を頭の後ろで組む。

「やっと俺がその気になって俺も警官になるって言ったら、間髪入れずに駄目だだぜ?それも駄目だの一点張り。った

 く、やってらんねえよ」

「両親両方共か?」

「あぁ。理由不明で止めろって言われたら―――やりたくなるのが人間のさだってやつだろ?」

「それを言うなら、ガキの考えじゃないのか?」

「悪かったなガキでっ」

「―――将来の夢、か」

 喰いかかる蛍を軽く流して、ぽつりと呟く。

 えらく空気の重い宵の言葉に蛍は眉をひそめて相手の顔を覗き込んだ。

「蛍は、何があっても警官になるつもりなのか?」

「勿論……どうした?お前も、何か反対されてるとか?」

「あぁ」

 今まで聞いていたヘッドホンを外して蛍に差し出す。蛍はそれを素直に受け取った。何処にでも売っているようなタイ

プで、コードの先は宵の鞄の中に続いている。

「これを、聴いてほしい」

 そう言って宵は本体のリモコンを操った。その間に蛍はヘッドホンを耳にあてた。

 聴こえてきたのは、テクノ系の音楽。

「聴いた事のない曲だな」

 だが、悪くない。

 そう付け足して言うと宵はこれ以上となく嬉しそうな顔をしてみせた。

「それ。俺が作った曲なんだ」

「まじかよっ?」

「俺は、ミュージシャンになりたいんだ」

 真表情のまま呟き、指先でリモコンをいじる。

 曲を聴きながら、蛍は空を仰いだ。最近の曲にないメロディがあって、何処か新鮮に感じる。

「でかい夢だな」

「だから、俺も親に反対された」

「本人は高校に行かずそのまま歌をやりたかったが、親がそれを許さず無理やり高校に行かせた、か」

「……お前には全てお見通しか」

「別に。ただそう思っただけさ」

「いや。本当にその通りなんだ」

 なびく邪魔な前髪をかきあげて自分でも聞き取れないほどの溜息をつく。

「俺は、お前が羨ましい」

「俺が?どうして?」

 宵の言っている意味が分からなかった。こんな不良の何処が羨ましいというんだ。あまりにも深刻な話をしすぎて頭の

ネジでも一本抜けたかと胸中で呟く。

 視線を蛍に向けると、力なく笑った。

「反対されていても、絶対になってやろうっていうその意気込み。俺は、それが羨ましい」

「お前は?」

「俺は……駄目なんだ」

「何が?」

「俺は、親を裏切るわけにはいかない」

 遠く近いところでチャイムが鳴り響く。何限目かは忘れたが、あの長い授業がやっと終わったのだろう。同時に教室

から生徒達の話し声や笑い声が聞こえてくる。

 二人は、ぴくりとも動かない。

「―――なんだよ」

 ヘッドホンを荒っぽく外すと宵の胸元に捨てた。

「蛍」

「見損なった」

 冷たく言い放った言葉に感情は無い。荷物を急いでまとめると、鞄を背負ってまだ座り込んでいる宵を見下ろす。

「お前って、そういうやつだったんだな」

 宵は弁解の言葉を口にしようとしなかった。それが逆に蛍の神経を逆撫でした。

「一生親の言う事聞いてろっ!」

 一瞬、世界から音が無くなったように感じた。その沈黙の中、蛍の声は嫌と言うほど響いて、宵の頭の中でエコーを

かけて消える事はなかった。

 重い鉄の扉が閉まる。

 まだ聴こえてくる生徒達の声。

「―――俺、だって」

 奥歯を噛み締めて呟く言葉は、胸の奥に突き刺さった。

 

 それから二人が顔を合わす事は、無かった。宵が行けば蛍はおらず、蛍がいけば宵はおらず。まるで狙ったかのよ

うに二人は出会わない。

 それでも時間は流れる。

 気付けば冬休みに入り、二度目の通信簿交換は行われなかった。

 名前やクラスは知っているも、住所や電話番号などを知っているわけではない。連絡手段のない二人は違う場所で、

違う時間を生きた。

 そして、三学期が訪れた。

 二人は、やはり当たり前のように屋上を目指した。

 

 屋上に響く、何かが撃ち出される音。

「―――ふぅ」

 硝煙の出ない銃口を吹いて、その息に溜息も混ぜてみる。

 長くて短い冬休みの間、宵との喧嘩を完全に忘れたわけではなかった。何度か自分の中で考えてみた。何度か自分

の言い方が悪かったのじゃないかと考え直した。何度か、やっぱりあいつが悪いと思ってみたりした。結局は三歩進ん

で三歩下がるの進歩のない状態。そんなこんなで冬休みはあけてしまった。

 気持ちいい風を切る音と同時に壁に当たったBB弾がはねる。

 それに紛れてドアの錆びた部分を壊しながらゆっくりと、開いた。

「――――――」

 今日、蛍が陣取っている場所は貯水タンクの上。つまり、普通に入ってきた人間の視界には欠片として入っていない。

だが、逆に相手の姿は見れるという事で本人的には好きな場所であったりする。見下ろす先には、予想していた通り、

宵の姿があった。右を見、左を見、何かを探しているように見えて、それが何か蛍はすぐに察しがついた。

「―――……―――」

 小さく唇が動く。

『―――蛍―――』

 読唇術ができるわけではないが、偶然そう読めた。

(ったく。何しに来たんだ、あいつは)

 銃を構え、人差し指を引き金にかける。

 撃つ事に躊躇いなどしなかった。

「―――うわっ!」

 耳元をかする何かに声をあげる。少し遅れて視線を背後に向けると、足元を転がる音に視線をそのまま下ろした。そ

こには、コロコロと転がる一つのBB弾。何かと確認すると、完全に秋空を過ぎて冬になりかけている空を見上げた。

「―――蛍」

「何しに来たんだ」

 まだ怒りを帯びた声。

(違う)

 銃口を宵に向けたまま、胸の中では言葉と違う感情が騒いでいる。

「親のすねかじってるやつは、大人しく授業に出たらどうなんだ?」

「っ!蛍っ、お前本気で言ってるのかっ?」

「あぁ、勿論さ」

「―――分かった―――」

 宵の口から漏れた言葉は、意外なものだった。

「だけど。これだけは言わせてくれ」

「何だ?最後のあがきか?」

「……もしかしたら、そうかもしれないな」

 苦笑し、逆光で眩しい蛍から視線を外す。

 耳にはいつものヘッドホン。

「俺、家を出る」

「あっそ―――って」

 つい握り締めていた銃を取り落としそうになる。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ?」

「だから。あの親から離れるって言ってるんだよ」

 頬をかきながら、恥ずかしくて赤くなっている顔を隠すように俯く。

「お前に言われたあの日から、俺なりに考えたんだよ。それで、もう一度あいつらに言ってみる事にした」

「そうしたら―――?」

「勘当だってよ」

「それで家を出るってか」

「だけど、そのワリには授業料は出すっていうんだから、面白い話なんだけどな」

「強制的にでも高校は卒業しなきゃいけねぇのか」

「親の世間体ってのがあるんだろ?ま。したい事ができるなら、高校ぐらい嫌じゃないさ」

 この言葉に蛍は笑わずにはいられなかった。喉まで込みあがっていた笑いが一気に吹き出る。

「はーっはっはっはっはっはっ。はははっ、ひっひひひっ。あーっ、腹痛っ!」

「何笑ってるんだ」

「っひひ。いや、別に?」

 などと言いながら、まだ笑いは止まらない。

「ったく。俺はこれで行くからな」

「おいおい、ちょっと待てよ」

 広げていた荷物をまとめて宵と同じ場所に下りる。危険な銃はもう鞄の中だ。

「どうして行くんだ?」

「お前が言ったんだろうが。親のすねかじってるやつは、大人しく授業に出たらどうなんだ?―――て」

「根に持つ奴だなぁ、お前は」

 二人の身長はそう変わらないが、心なしか蛍の方が高いだろうか。ポンポンと宵の肩を叩いて止まったはずの笑いを

再び漏らした。

「俺とお前の仲だろ?」

「悪友が何言ってんだか」

「自分で言うか?」

 三学期が始まるチャイムが鳴る。

 結局、二人はまた始業式をサボるのだった。

 

「それにしてもさ」

「ん?」

「何持ってきてるんだ?エアーガン……いや、ガスガンか?」

「当たり」

 宵に向かって撃っていた銃を取り出して、今日は教科書ではなく譜面が並んでいる膝の上になげてやる。

「早く本物撃ってみてぇ」

「日本じゃ無理だろうな」

「やっぱ?だーっ、面倒だなぁ」

「ま。今はこれで我慢してればいいじゃないか。何?射撃には自信あるのか?」

「勿論。あれなら的になってみるか?頭の上に林檎でも乗せて」

 笑いながら言う蛍に何処までが本気かどうか分からず首を横に振る。

「遠慮しとく。万が一って事があると嫌だからな」

「けっ。俺の腕を信じてないな」

「誰が信じるかっ」

 

 どれほど時間が経とうとも、二人が会うのはやはり屋上だけで、誰も全然住む世界が違うように見える二人が知り合

いだなんて知る事はなかった。

 月日は流れ、冬が過ぎて春が来た。そして夏が来て、秋に入った頃にそれは起きた。

 

 一人暮らしを初めてもう少しで一年になるだろうか。朝起きて、最初にする事は昔からの日課である新聞を読む事。

ドアのポストに入っている新聞を取り出して、眠気眼を擦りながらページを広げる。

(何?また株価暴落?)

 学生らしくない場所を見てページをめくる。すると、でかでかと書かれた記事に宵は何故か視線を奪われた。

『本日未明、●×工場に二人の死体が発見されました。身元は△■警察所属、霧志摩―――』

 

 高校生活二年目の二学期。

 恒例のように、宵は蛍を待つわけではないが屋上で始業式をサボっていた。しかし、初めて蛍は屋上に現れなかっ

た。心なしか拍子抜けというか、驚きがあったが、生徒達が体育館から出てくるのを見計らって宵も教室に戻る事に

した。

 教室には冷えた体育館からやっと戻ってこれたと騒ぐクラスメートで溢れ返っていた。その中で宵は一人、誰とも話し

をせずに窓の外を眺めていた。日当たりのいい、午後の授業だと眠りを誘う席。

(下らねぇ)

 教室の誰も知らない優等生らしくない口調でぼやく。さっさとLHRを終わらせて、もう一度屋上に行きたい。もしかし

たら蛍がいるかもしれないと思ったからだ。

(暇だ)

 ふと視線を黒板上の時計に動かす。話の長い担任が来るまであと数分といったところだろうか。

(いっその事、このままふけるか?)

 しかし、それではせっかくの出家気日数の計算が狂ってしまう。思いとどまって、頬杖をつきながら嘆息する。どうせ

担任の話など右から左に聞き流せばいい。それだけで単位がもらえるのだから、楽といえば楽なのだから。

(暇)

 再び呟く。

 視線は、何故か前のドアに向けられていた。

(―――あ)

 多分、相手もそう胸中で呟いただろう。

 開けっ放しのドアの向こうに、蛍の姿があった。

 一瞬だが、視線が重なった。だが、二人が口を交わすのは屋上だけで、教室に戻れば名前も知らない同士―――

のはずだった。

「宵っ!」

 呼び止められて宵は顔を上げた。同時に教室内に嫌な空気が流れる。それもそうだろう。今時こういう言い方も何だ

が、不良で有名な蛍が優等生の宵を呼んでいるのだから。

「ちょっと来い」

 一般生徒の頭の中では『ちょっと面貸せ』と勝手に単語変換される。そして視線は宵に向けられた。

「…………」

 呼ばれて宵は何も答えなかった。目で文句を言ってやろうと思ったが、それより早く蛍はドアの前から姿を消した。目

的地は言わなくても分かる。いつものあそこだ。

「―――はぁ」

 溜息をついて長い前髪をかきあげる。ここまでされたら行くしかないだろう。教室から出ようとすると、痛い視線を身

体中に感じた。痛い。これ以上となく痛すぎる。

(まぁ。出席日数計算、今度し直せばいいか)

 廊下に出ると、秋の風が少し冷たかった。

 

「こら。この馬鹿野郎」

 ドアを蹴り上げて屋上に姿を現した彼に、もう優等生の影は無い。

「いるんだろ?さっさと顔を出したらどうなんだ?」

「お前、最近口悪くならなかったか?」

 声がしたのは頭上で視線を空に向ける。

「馬鹿と煙は高い所にのぼる」

 給水タンクの上で日向ぼっこをしている男に聞き取れない程度に呟く―――だが。

「誰が馬鹿だって」

「やっぱり聞こえてるか」

 肩を竦めてドアを閉める。

 呼び出した相手が来たのを確認すると、蛍はやっとそこから下りた。前のボタンを一つもしていない学ランが風にな

びいて揺れる。

「お前のが移ったんだろうな」

「何が?」

「口の悪さ」

「けっ。よく言うよ」

「それで?」

 遠くで鳴ったチャイムを聞きながら問う。

「一体何のつもりなんだ?教室で、それも生徒の前で俺を呼ぶなんてさ」

「嫌だったか?不良の俺なんかに呼び出されて」

「俺は別に。ただ、その場にいた奴らが先公に何て言ってるか」

「どう見ても『面貸せ』だからな」

「分かってんのかよ」

「勿論。つか、少し狙ったし」

 最初のうちは蛍も笑っていた。だが、次第にその笑みも風に吹かれた蝋燭の火のように消えた。

「俺。学校止めた」

「―――は?」

 突然の出来事に、いまいち事態が読めない。

(何だって?学校を、止める?)

 やっと自分の中で意味を理解すると、事の重大さに頭がおかしくなりそうになった。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ?」

「そこまで驚くか?」

「驚くに決まってるだろっ!」

 意味が分からない。如何して今になって止めるなどと言い出すか。

「どうして止めるんだっ?お前言ってただろっ?高校卒業して、国家試験受けて、警官になるっ―――」

「もう、警官にはならねぇよ」

 ゆっくりと動いた唇は、今までの蛍からは信じられない言葉を紡いだ。

 その言葉が信じられなくて、宵はただ呆然とするだけ。

「警官じゃ、駄目なんだ」

「―――何が?」

 俯いた顔をあげる事ができない。あれほど警官になりたいと言っていたというのに。その彼が突然ならないと言い出

す理由が分からなくて話すら聞く気になれない。

「何が駄目なんだ?警官の、一体何が」

「全てだっ!」

 この声は静かな中庭に響いただろう。だからと言って誰か暇な先生など来ない。

 蛍は拳を握り締めて宵を睨みつけた。鋭い、獣の瞳。

「警官じゃ敵討ちは出来ねぇんだよっ!」

 敵討ち。

 普通なら口にする事の無い単語に宵は眉をひそめた。

「おい。敵討ちってなんなんだよ」

「新聞とか、ニュースを見てねぇのか」

「いや。新聞を見るのは日課―――!」

『本日未明、●×工場に二人の死体が発見されました。身元は△■警察所属、霧志摩―――』

 思い出したのは、今朝見たとある小さな記事。

「霧志摩って……もしかして、あれはっ」

「俺の親は、殺されたんだ」

 今まで自分を育てていた親が死んだ。中退の理由はこれかとすぐに納得できた。だが、どうしても敵討ちの答えだけ

は見つからなかった。

「でも、殺されたって」

「親父達はちとヤバイ裏の組織を潰そうとしてたんだ」

 毎晩徹也しては、集めた情報を整頓していた。そこまで潰したい組織が何だったかは知らないが、正義感溢れる両

親は死ぬ気で頑張っていた。そして、問題の日もいつもと同じように家を出て行った。いってきますと、笑みを浮かべ

ながら。

「口、封じか」

「多分そうだろうよ。だから俺はそいつらを許さねぇっ!」

 叩きつけた拳が軋みをあげる。

「その為の敵討ちか―――どうするつもりなんだ?これから」

「天涯孤独になったんだからな。やりたいようにするさ」

「天涯?爺さんとかいないのか?」

「親父達は駆け落ちしたらしくてさ、爺さん達が生きてるかどうかも知らねぇ」

 ま、それが今では好都合なんだけどな、と付け加えて笑えない笑みを浮かべる。

「お別れだな」

 宵は何か言わなければいけないと思った。彼を引き止める言葉か、励ます言葉か、何でもいいから言葉をかけてや

らないと思った。なのに、喉は全てを拒否して声を出さしてはくれない。

 鞄を背負った蛍が横を通り過ぎる。

「俺の代わりに夢、絶対に叶えろよ」

 すれ違いざまの最後の言葉。

 チョウツガイがサビを落として叫ぶ。

 ドアが静かに閉まると、屋上には宵一人しかいなくなった。

 

 あれから十五年の月日が流れた。

 

 今日の仕事は、久しぶりに気が向かなかった。別に掃除に飽きたわけではない。場所が嫌いなだけだ。そして、本

当に嫌いなのかといえば嘘になる。嫌いというより、そこは鬼門にもなりかねない場所だからだ。もしかしたら数十年

ぶりの再会をしてしまうかもしれない、危険な場所。

 耳を澄ませば聞こえてくる、スタジオから漏れた曲。

 掃除しているすぐ傍のスタジオには、今人気のショルキーというミュージシャンがとある音楽番組の収録中らしい。

「KK、済んだか?」

「あ、あぁ」

「じゃあ次に行くぞ。はやく荷物を片付けろ」

「了解」

 五月蝿い上司に言われるがままにバケツとモップを両手に持つ。

 聞こえてくるのは、昔に聴かせてもらった曲と同じもの。

「さっさと行こうぜ。どうもここは嫌いだ」

「ふぉふぉっ。ほんとに珍しい奴じゃな。芸能人が入り乱れるスタジオが嫌いとか」

「五月蝿いっ。G、次は何処だっ?」

 背後で防音設備がしっかりしたドアが開く。どうせスタジオ内のスタッフが出てきたのだろうと、KKは思った。

「次はこの下じゃ」

 聞こえていたはずの曲が止まっている。

「じゃあ行く―――」

「蛍?」

 名前を呼ばれた気がして、一瞬時間が止まる。もう誰も呼んではくれない、昔に捨てた名前。

「KK。どうした?」

 珍しく固まった部下に眉をひそめるG。彼の声にやっとKKは現実に戻って来た。そう、今の自分はKK、ただの掃除

屋だと言い聞かせながら。

「いや、なんでもねぇ。ほら、早くっ」

「蛍だろっ?なぁ、はっきり言ってくれよっ」

 昔を思い出させる声に頭痛がする。思い出させないでほしい。過去を、あの時の思い出を。

 足は全てを無視するように動き出した。バケツとモップを握り締めた手にも無意味に力がこもる。しかし、その行く手

をGが塞いだ。

「あっ」

「―――行ってこい、この馬鹿野郎」

 掃除道具を奪うとGはさっさと廊下の向こうに消えてしまった。

 廊下に、2人だけが残される。

「―――蛍」

 初めて出会った頃にとっくにあいつは声変わりをしていた。だから、今も昔も同じ声で聞き間違える事は無い。

「久しぶりだな」

 そう言われてどう答えるべきか悩む。この十五年間、彼とは違い、裏で生きてきた自分はどういう言葉をかけるべき

か分からないからだ。

(だからって逃げるのか?)

 昔の悪友から、そして昔の自分から。それはできない、いやしてはいけない。

 何かが自分の中で砕けたような気がした。吹っ切れるとは、この事をいうのだろうか。

 口元に笑みが漏れる。

「あぁ」

 たまには昔の自分に戻るのもいいかもしれない。

「久しぶりだな―――宵」

 振り向くと、そこには自分と同じように昔とは似ても似つかない宵の姿があった。


いやぁ、やっと書き終わったさ。

うん、KKとショルの出会い小説。

長いね、うん、長い。

つか長すぎ?

あははははは……ごめんなさい(汗)。

ま、うちの2人はこんな感じっス。

いやぁ、凄い話になってんねぇ。

以上、逃走させて下さいっ!(逃)

02.12.25

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