少女は何気なく街を放浪していた。相棒のスケッチブックだけを手にして、目的地も無く歩き続ける。見上げる空は

蒼く、手を伸ばせば指先が濡れそうな気がする。

 この空を描くのもいいかもしれない。

 そう思ったのは一瞬の事で、濡れていない指先を凝視してから海を描きたいと思った。海はまだ冷たいだろうが、

実際に触れてみたい。目的地が決まって足は軽くなった。別にスキップしたり、走ったりはしない。今までと同じよう

に、だが心なしか早く歩く。

 信号が少女の軽やかな足取りを止めた。赤から青に変わるまでに時間が無駄に流れていく。ふと、少女は思い出

して空を仰いだ。海と一番近くて、一番遠い場所にある空。思い出したのは少女のいる場所から海までの距離だ。

空と海ほどではないが、昼を過ぎた今から歩いていては確実に陽が暮れてしまう。だが、何故かむしょうに流れる水

に触れたいと思う気持ちが消えない。

人の波が動き出す。信号が色を変えたのだ。左右を知らない人達が忙しそうに通り過ぎていく。この流れに乗っても、

少女が望む海には行けない。小さな身体が川の中で流れを変える岩のようにびくともしない。

 ―――川?

 自分の中で考えた例えがヒントとなって答えになる。流れている水に触れるなら別に海じゃなくてもいい。川も同じ

だ。

 青が点等し始める。それに気付いて少女は駆け出した。この道は海には行けないが、川には行ける。スケッチブッ

クを握り締めて記憶の地図を広げる。川まで走って数分といった所だろうか。裏路地に入ったり塀を跳び越えてい

けばもっと早いかもしれないが、都内のど真ん中でそんな事ができるはずがない。しぶしぶと、だが胸を高鳴らせて

走る。耳や尻尾がうずうずしてきて少しでも早く川を見たくなる。

 いくつかの信号を渡り、いくつかの角を曲がり、道が大きく開かれた。今まで空を隠していたビルが消え、蒼い天

井と床に包まれた。感嘆が自然と漏れる。

 風は優しく髪を撫で、気を緩めれば暖かな日差しの中で寝てしまいそうになる。しかし、今は寝るより絵を描きた

い。

 土手沿いに歩くと多くの人が川辺で遊んでいるのが目には言った。日曜日だけあって幼稚園に入っているかどう

か辺りの子どもを連れた大人の姿が目立つ。小学生ほどの少年がサッカーボールを追いかけ、野球ボールを打

ち、中には川に足をつけている者もいる。ここまできて、今度は人物画を描くのもいいかもしれないと思い出す。

 川辺に続く階段を見つめて下へと下りる。縁を白、中を青やピンクという淡いパステルカラーのタイルがはめ込ま

れている段は、それだけでも芸術的に綺麗だと思った。ここで腰をかけて描こうかと立ち止まるが、幅が狭い事と

視界の隅にもっといい場所が見えたので再び歩き出す。

 ボランティアの人達が片付けてくれているのだろう。雑草は短く、足にまとわりつく事なく、触れると小さく揺れた。

 大きな木が一本、子ども達を見守るように立っている。その木陰が気持ちよさそうで、少女は適当な場所に座り

込んだ。目の前に広がる世界には描きたいものが全て揃っている。白いページをめくっても、目移りしてしまって握

り締めた鉛筆はピクリとも動かない。

 どうしよう。

 可愛い顔を曇らし、空を見上げる。一番最初に描きたいと思ったのだから素直に描けばいいのだが、よく見れば

雲一つなく、鉛筆一本で描くには難しい。なら川はどうか。海の次点で描きたいと思って来たのだから描きたいに決

まっている。だが、何故だか今は触れたいとも描きたいとも心の底から思えない。できるならば、このまま風に吹か

れながら見つめている方がいい気がしてきた。

 でも、何か描きたい。

 鉛筆の頭を唇に押し当て、帽子の下から覗いている目を元気に走り回っている子ども達に向けてみる。人物画

は別に嫌いではない。大学の授業で毎日と嫌というほど描いているのだから、逆に嫌いだったら問題だ。何にし

ろ、折角の休みなのにも関わらず絵を描こうとしているのだから、たまには別のモノを描きたい―――

「―――?」

と思ったのだが、つくづく自分の気の変わりの速さに驚いてみたりする。視線のずっと先、川辺から一メートルほど

離れた場所に、少女と同じように腰を下ろした青年の姿があった。黒い帽子をかぶり、黒ぶちの眼鏡をかけ、ノート

に忙しそうに何かを書き込んでいる。絵を描いている少女だからこそ分かったが、彼の手は文字を書く動きをして

いた。当たり前だが彼が何を書いているかまでは分からなかったが、面白いように彼は周囲の子ども達とは違っ

て動こうとはしなかった。それはまるで、授業のモデルさんのように。

 気がつけば手は勝手に動いていた。滑らかな曲線を描き、少しずつ離れた彼を手元に作り出す。少女が描いた

彼は、とても優しそうな表情を浮かべていた。

 

 次の日は平日。唯一昨日と変わっていない蒼い空の下で少女は走っていた。今日の授業は午前中に終わり、荷

物をまとめると白いページが多いスケッチブックを抱きしめて学校を飛び出した。目的地は昨日と同じ大きな木の木

陰。見覚えのある道を走りぬけ、再びあの蒼い世界に飛び込む。

 川辺に見当たる人影は少なく、仕事に行った父親の変わりに子どもを遊びに連れてきた母親が井戸端会議など

をしている。そこから少し離れた位置に、彼は昨日と同じ場所で鉛筆を動かしていた。

 少女は会談を下り、静かに揺れる木陰の下に腰かけた。前方には青年がノートから顔をあげずにいる。

 昨日描いたページを抜かしてめくり、白い用紙に光を反射させる。

 少女は彼を描きながら、彼が一体どんな人なのか考えてみる事にした。年はいくつなのだろうか、学生なんだろう

か、社会人なのだろうか、浪人生なのだろうか、フリーターなのだろうか、一人暮らしなのだろうか、家族と済んでい

るのだろうか。一枚一枚絵を描きあげていきながら、何も知らない彼の想像を広げる。

 青空の下で、2人は時間を共にした。

 

 その生活は毎日続いた。授業が午後からある時は朝から行ってみた。早すぎると彼の姿はなかったが、木陰で

待っていると鞄を背負った彼がいつもの位置に座るまで一部始終見る事ができた。絵を描いて、時間ギリギリまで

動こうとしない。

 彼を描く事が自然と日課になっていた。毎日毎日彼に会いたくて、白黒だった生活に絵の具がぶちまけられた。

だが、楽しみは天気によって打ち砕かれようとしていた。

 

「―――雨―――」

 最後の絵を描き終えた辺りから、空が暗くなってきたのに気付いてその日は少し早めに帰宅する事にした。そし

て、家に着いてまもなく空は騒ぎ出し、大粒の涙を流した。

「あ、洗濯物っ」

 最初のうちは降り出した雨を見つめていたが、ふとベランダに干しっぱなしだった洗濯物を思い出して駆け出す。

 女の子の一人暮らしという事で戸締りだけは忘れずに鍵をかけ、靴を揃えず脱ぎ捨てる。玄関は台所と繋がって

いて、奥のドアはリビングに続いている。バイト代で購入したソファに荷物を放り出す。後は寝室からベランダに出

るだけだ。

「あぁ。最悪」

 窓側の洗濯物はなんとか無事だったが、代わりに盾となってくれた服達は半分ほど湿っていた。今晩はこの洗濯

物と一緒に寝なければいけないようだ。籠に濡れたのだけ放り込み、室内に入り込もうとしている雨に追われなが

ら窓を閉めようとする。

 そして、思った。

「明日、いるかな?」

 この雨は明日も続くかもしれないと天気予報で言っていた記憶がある。空は暗いまま、太陽は現れず水のカーテ

ンを閉めたまま。そんな中、彼はいつもと同じように来るだろうか。別に彼と約束していたりするわけではないが、

気になってしょうがない。

 てるてる坊主が、窓辺で揺れていた。

 

 次の日。それは、初めて彼を見た日から丁度一週間後の日曜日だった。

 カーテンの隙間から差し込む光は眩しく、珍しく目覚まし時計が鳴る前に眠りから覚めた。

「―――あれ?」

 寝ぼけている思考回路が光を解読して天気を思い出そうとする。雨が降っている日に光は差し込むだろうか。

「嘘っ!?」

 布団を蹴り上げ、スリッパを履かずにベランダへと続く窓のカーテンを開ける。カーテンレールにぶら下げておいた

てるてる坊主がゆっくりと揺れた。

 雨が降った次の日ほど綺麗な空は無い。雲一つない晴天を見上げて少女は思った。

「晴れた!」

 つい大声を出し、まだ朝早い事を思い出して口を押さえる。

 胸が高鳴った。

 青空を目の前にして落ち着く事が出来ず、笑みを浮かべながら急いで外出の準備を始めた。寝癖のつく事のない

髪に櫛を通し、タンスから適当な着替えを出して着替え、冷たい水で顔を洗ってやっと頭が回り始めた。雫をタオル

でふき取って鏡に映し出されたおかっぱの少女の顔を見つめる。

 彼は、いるだろうか。

 昨日は雨が降っていたから来ないかもしれないという風に思っていた。いくら毎日来ていたからといって、雨の日

まで傘をさしていちいちあんな所にいるはずがないと。だが、今日は晴れた。雨雲など見当たらず、太陽が胸を大き

く広げて地上を照らし出している。

 湿ったタオルをタオルかけにかけて洗面所を出る。

「あそこ、濡れてるよね」

 朝ごはんは食パン。トースターに一枚入れてオートボタンを押す。

 川辺ほど水はけの悪い所はない。朝露が草を伝って流れるのは綺麗だが、雨の雫は冷たいだけだ。

『今日は昨日の雨がまるで嘘のような晴天―――』

 テレビをつけると天気予報士が晴れた都心の空をそう説明していた。

 コーヒーメーカーの主電源を押して赤いランプをつける。

 朝食が出来るまでの短時間。少女はソファからスケッチブックを持ち上げると、今までに描いた彼の絵に目を通し

た。どれも同じ場所で描いたのだから背景は皆同じだ。なのに、彼の構図は全て似ているようで何処か違っていた。

例えば体育座りだったり、胡座だったり、足を伸ばしていたり、片膝だけ折っていたり。彼はまるでこっちの事情を

知っているかのように、丁度一枚描き終わると体勢を変えた。

 トースターがベルを鳴らしてパンが焼けた事を告げる。

 テレビの時計で時間を確認すると、朝食を食べてから今日も行ってみようと決めた。

 

 お気に入りの帽子をかぶって、スケッチブックを握り締めて。アパートを出ると見事な水溜りがまだところかまわず

点々としていた。最初は避けて歩いていたが、次第にうずうずしてきて小さな水溜りに飛び込んでみた。水が王冠の

形となって飛び散る。

「キャハハっ」

「あーっ。冷たい〜」

「あははは♪」

 公園の傍を通り過ぎると、長靴を履いた子ども達が楽しそうに跳ねていた。親の姿は見当たらない。多分、雨が

止んだのに気付いて近所の友達を引き連れて遊びに来たのだろう。

(誰か、いるかな)

 空を仰ぎ、先週の川辺を思い出す。あの時は子ども連れの親達で溢れかえっていた。今日もその人達は来ている

だろうか。

「あーっ。遅刻、遅刻だよっ」

 騒がしい声が聞こえて振り返る。

「スギっ、もっと早くこげないのっ?」

「無茶だよ。てゆーか、そう思うんなら自転車降りて走って!」

「どうしてっ?」

「二人乗りとか、重いんだよっ」

「僕が走るよりはまだ早いも〜ん」

「なら文句言わないで。これで精一杯なんだからっ」

 二人乗りの自転車が横を駆け抜けていく。タイヤが水溜りに入ると大きな曲線を描いて塀の色を変えた。ステップ

に足をかけた少年がばいしこ〜と言っていたのが聞こえた。

 交差点に来ると車はいつも通り行き来していた。雨はドブへと流れていったのだろう。傍を走っているというのに

水はかからず、道は乾いている。

 街が雨の匂いに包まれている。雨が止んでも水が流れても、匂いだけは染み付いてまだここにいる。

 ライトが青になって歩き出す。川が近くなってくる。耳を澄ませばせせらぎが聞こえてきそうで、子ども達が走り回っ

ているのが目に浮かぶ。そして、青年がいつもと変わらず川辺を見つめながらノートに文字を書きなぐっている。

(だけど)

 土手まであと少し。そんな所で足が止まってしまった。

(彼がいなかったら、何を描けばいいんだろう)

 別にモデルとなる物は山のようにある。あそこには空も川も人も花も。望むモノは全て。それを描かないのは、た

だ描く気がないからだ。

(ボクが描きたいのは―――)

 耳が動く。現実がどうなのか知りたくて鼓動が高鳴る。スケッチブックを握り締める指に力が入った。帽子の下で伏

せていた顔をあげる。

 地面を蹴り上げ、階段を一気に駆け上ると土手の上に出た。そこから川辺一帯が見渡せた。

 蒼―――最初にそう感じた。空は雲一つ無く蒼一色で、下で空を反射さてせいる川も同じ蒼を映し出している。大

きな蒼い幕を広げたようで、実際にあるはずの町並みは一瞬かき消されていた。

(そうだ。彼はっ?)

 輝く川に魅入られていた目を数回瞬きさせて、見えてきた緑の大地に視線を下ろす。やはり雨が降った翌日だけ

あって親子の数は減っていた。地面が濡れていて野球もサッカーも出来ないと思ったのか、少年達も見当たらない。

(いない?)

 動揺しているせいか、彼の定位置を探すのに時間がかかった。雨のせいで川は増水し、心なしかいつもより違っ

てみえる。それでも、あの大きな木を基準にするとすぐに見つけ出す事ができた。いつもより数歩後進しているが、同

じ帽子をかぶって背中を向けている彼の姿を。

 水はけの悪い土手を走り、タイル張りの階段を滑らないように駆け下りる。土に足を下ろすと乾ききっていない地

面は靴を汚した。足が飲まれる感触に顔を顰める。一歩一歩確実に歩いて自分の定位置につくと、彼がいつもより

近くにいる事に気付いた。

 空を鳥が横切って飛んでいく。

 いつもは腰かけている木の根も今日は湿っていて、仕方が無く立ったまま模写を始める。今日の彼はビニール

シートを敷いて座っていた。

(良かった。いてくれて)

 彼がいなければ輝く川も、澄んだ空も全て白黒同然になってしまう。知らない内に彼が自分の中で大きな存在に

なっている事に少女は気付き始めていた。

 一枚目を描き終わり、ページをめくってから軽く肩を回してみる。慣れない格好で描いたのもあって、関節が面白い

ように音をたてて鳴った。

 同じように彼も動いた。首を傾げてからぐるりと回し、腕を大きくあげ―――

「あわわわっ!」

 その声はよく響いた。バランスを崩した上半身は一瞬の努力も空しく引力に引き寄せられた。大の字といった風に

倒れ、頭を押さえてもがく。

「あっ!」

 事態を把握するのに時間を使ったが、足は思うより早く動いていた。とっさの事でスケッチブックを握り締めたまま

倒れた彼に駆け寄る。

「大丈夫ですかっ?」

「え……ま、まぁ」

 よいしょっと言いながら手をついて身体をあげると、その弾みで帽子が転げ落ちた。

「あっ。これ」

「え?あ、ありがとう」

「―――あのっ」

「ん?」

 帽子をかぶり直してから彼は少女を見上げた。眼鏡越しに二人の視線が重なる。

 少女は話し掛けてから何を言っていいものだか悩んだ。頭の中が真っ白で、文字という文字が浮かんでこない。尻

尾が気持ちを表すようにくねくねと動いた。なんとか単語で文を組み立ててはみるが、

「そのっ……ここらへん、濡れてるから、危ない…ですよ」

そんな事ぐらいしか言えなかった。隠れた耳まで真っ赤になるのが嫌でも分かった。彼の顔をまともに見る事が出来

ない。次には笑われるだろうと思いながらスケッチブックに爪をたてる。

「うん。確かにそうなんだけどね」

 澄んだテナーボイスが言葉を奏でる。

「けど。いつも君、僕をあそこで描いてたでしょ?だから、突然場所とか変えたら悪いかなって思って」

「!」

「あっ、ごめん。今のは僕が勝手に思ってだけだから。あのっ、変な思い込みしてて、そのっ」

「―――ふふふふっ」

 手を左右に振って慌てて訂正しようとする。そんな彼を目の前にして少女は笑わずにはいられなかった。スケッチ

ブックで口を隠してはみるが、はっきりと肩が上下してしまう。

「ごっ…ごめんなさい。だけど…ふふっ。そのっ、バレてるって……思わなかったから。ふふふっ」

「え?と言う事は」

「ふふふっ……本当に謝らないといけないのはボクの方。勝手に貴方の絵を描いてたんだから―――」

「別にいいよ」

 俯いた顔を覗き込むように彼が視線を合わしてくる。

「だって。僕、嬉しかったし」

「!本当、ですか?」

「嫌だったら、今日来てなかったと思うよ?」

 川に反射する光を受けて彼の顔が照らし出される。彼の笑みは太陽よりも眩しくて、つい帽子をもっと深くかぶっ

てしまった。

「僕の名前はヒグラシ―――君は?」

 天照皇大神は外のざわめきが気になって天戸の岩から顔を出した。彼の名前は、そのざわめきに似ていた。

「―――睦月―――」

 帽子のつばを掴んだままそう答える。頭元で彼が小さく笑うのが聞こえた。

「睦月ちゃん?いい名前だね」

「あっ……ありがとう、ございます」

 尻尾が動揺と同時にくねくねと動く。

「あ。そのスケッチブックだよね?」

「え?」

 いきなり話が変わり、顔を上げる彼の視線は小脇に抱えていたスケッチブックに向けられていた。

「ほら、僕を描いてたスケッチブック」

「え、あ、はい」

「よかったら見せてもらってもいいかな?」

「そんなっ。見せれるほどのじゃないですよっ」

「……そうなの?」

 少し残念そうな表情を浮かべる。そんな顔をされると、睦月はどうすればいいか分からなくなった。実のところ、この

スケッチブックだけは誰にも見せないつもりでいた。自分だけの秘密の日記帳のような物で、ページが埋まったらお

蔵入りにしておこうと思うくらい。友達は愚か、モデルの本人などもっての他だ。しかし、その本人は今、目の前でしょ

んぼりとしている。相当見たかったのだろう。

(だけどこれは―――)

「そうだ!」

 何を思いついたのか。ぽんと手を叩いて膝の上に乗せていたノートを差し出す。いつも彼が何か一生懸命書いてい

たあれだ。

「これと交換じゃ駄目かな?」

「え?」

「だから、僕のノートと君のスケッチブック。交換して見せ合うっていうの。あ、ちなみに僕はいつもここで詩を書いてた

 んだ」

「詩、ですか?」

「正しくは歌詞なんだけどね。大抵はなりそこねの詩になるんだ。これでも大学生しながら歌手やってるんだけど。ほ

 ら、シンガーソングライターってやつ。まぁ、まだ全然有名じゃないけどね」

 頬を掻いて苦笑する。

 自然と睦月はノートを見ていた。ヒグラシがスケッチブックを見たいというように、睦月もそのノートの中身が気になっ

ていた。見れるものなら見たい。

「いい、ですよ」

 お蔵入り予定だったスケッチブックを素直に差し出す。

「本当に?あ、もし嫌なら嫌って言っていいんだよ?僕も無理意地はしない―――って。さっきの交換条件の時点で

 無理やり頼んでる?」

「いいんです。ボクもヒグラシさんのノート、気になってたし」

「そう?じゃあ」

 ノートとスケッチブックを交換する。スーパーなどで五冊か十冊でセットで安く売っているような大学ノート。丁寧に扱っ

ているのか、表には汚れや破れも見当たらない。逆に言えば飾りっけがないとも言える。

「詩を書いてるなんて恥ずかしいでしょ?」

 表紙を凝視していた睦月に優しく問い掛ける。

「だから、他のノートと見た目が同じようにしてあるんだ」

 見事に心を読まれた。唯一名前だけ書かれた表紙をめくる。すると、丁寧に書かれた文字が目に飛び込んできた。

思った事をそのまま書き込んでいるらしく、間違えた文字は消しゴムを使わず線をひかれただけだ。書いては消し、

書いては消しを繰り顔した文字は柔らかな詩となっていた。

(―――綺麗―――)

 絵描きのさだだろうか。読んでいる詩が自然と脳裏で風景として映し出されてくる。その景色はとても眩しく、鮮やか

で、心が和んだ。詩を書いていないにしろ、同じ芸術を扱う者として素晴らしいと思った。

「凄い。これ、みんなあそこから描いて―――」

「遠くで響く夏のかけら」

 詩のある一文を口にしてみる。

「約束はしていないさ、まだ。だけど窓開け放ったら」

「それが旅立ちの合図、出かけよう」

 睦月の言葉を繋ぐようにヒグラシも詩を声にした。しかし、彼は睦月のようにただ読むのではなく、音をつけて歌とし

て歌いだした。

「今すぐに、さあ。退屈な日々、あやふやな気持ち、すべて壊して飛び越えるのさ。さよならは意味も無く、消えては浮

 かぶメロディー。今ならきっと誰かが、世界の何処かで待ちわびる。さよならに隠された、不意に溢れるメロディー。

 さよならで始めれば、答えはすぐ見つかるはず」

 歌いきると彼は目を細めた。

「それ、僕のデビュー曲なんだ」

「デビュー曲?」

「うん。ちょっとしたパーティだったんだけどね。そこに呼ばれた時に音をつけた、自分の中で一番好きな歌」

「ボクも」

 ノートを見下ろしたまま呟く。

「ボクも、この歌……好き、です」

「ほんと?そう言ってもらえると嬉しいよ」

「あの。他には、ないんですか?」

「他に?それじゃあ、新曲を特別に発表しちゃおうかな?」

 まるでこれからイタズラをするような子どもの笑みを浮かべるヒグラシに、睦月はつられるままに微笑んだ。


やっと書き終わりやした(汗)。

うん、楸に書かん?ゆわれて書いたヒグ睦。

ここでもしつこくゆいやすが、

うちの睦月は女の子っス。

よい?

オフィシャルは男の子でも、うちは女の子。

ん?

どうしてって?

その方が可愛いっしょ?せやから。

さて、時々睦月君台詞かんでますが、これは敬語をつけて喋る事が少ないからッス。

せやから気分的にはため口で話したいんやろうね、つか、それが日常的ゆーか。

次のを書く事があったら、その時には口調変わっとるかも(笑)。

02.12.15

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