その日は、気持ちいいほど天気がよかった。

 

 多摩川の土手を歩く人影が2つ。1つは大きく、1つは頭1つ分ほど小さい。

「いい天気ですね」

 定番の台詞を呟き、腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしている猫に「良かったね、晴れて」と話し掛ける。

「すみません。せっかくの休みなのに」

 申し訳なく俯くと、謝れた相手は苦笑を浮かべて彼女の頭を数回叩いてやった。

「別にいいって。俺もこいつも、丁度散歩に行きたかった所だしさ」

 こいつとは勿論、猫の事を指している。

 ベルは頬を赤くすると、小さく頷いた。

「さて。そろそろ下りるか?」

「そうですね」

「おい。滑るから気をつけろよ」

「大丈夫ですよ、ぉ、あ、キャーっ!」

「ったく」

 注意した傍から滑る彼女は彼女らしいが、助ける方は心臓に悪くてしょうがない。舌打ちすると同時に駆け出し、彼女

が大きな怪我をする前に抱きかかえる。

「大丈夫か?」

「―――はい」

「お前の事だから絶対にやるとは思ってたけどよ」

「―――ごめんなさい」

「ま。無事だったからいいけどさ」

 坂をおり、地面が平らなことを確認してからベルを下ろす。

「次は絶対に階段だな」

 髪に引っかかった草を払ってやり、意地悪げに笑ってみせる。

「そいつ、そろそろいいんじゃねぇの?」

「あ、そうですね―――ほら、行ってきなさい」

 滑った時にでも抱きしめていた猫をやっと腕から下ろし、草の上に座らせてやる。すると猫は嬉しそうに尻尾を動か

し、一目散に走り出した。

「ふふっ。楽しそう」

「俺達はどうする?」

「そうですね……せっかくですから歩きますか?」

「―――そうだな」

 青いつなぎを着た男と、赤のハイネックにチェックのスカートをはいた少女という不釣合いな2人が歩き出す。

「学校はどうだ?」

「楽しいですよ。最近、なんとか友達もできましたし」

「そりゃよかった」

「―――KKさんのおかげです」

「ん?」

「だって、KKさんが教えてくれたんじゃないですか。友達を作るには、まず自分から話し掛けないと駄目だって」

「別に。俺は思った事を言っただけさ」

 ベルに向けていた目線を前に向ける。すると、『掃除屋』である彼の眼でなければ、この距離で見る事はできなかった

だろう。近づく2人の姿を確認した。

「あれは―――」

「どうかしたんですか?」

 呟くKKの声に反応してベルも視線を同じ方向に向ける。

 

「いい天気っスね」

「―――あぁ」

「いくら太陽が嫌いだって言っても、たまには日光を浴びないと体調崩すっスよ」

「私はその日光で体調を崩しそうなのだが?」

「全ては気のもちようっス!」

「――――――」

 久々の外出がそんなに嬉しいのか、笑顔を振り撒く色黒の男の足取りは軽やかだ。そのおかげでもう1人の機嫌が

あまりよくない事にはこれっぽっちも気付いていない。

「それにしても大丈夫なんスか?」

「何がだ?」

 変装+日よけ用のサングラス越しに相手を見上げる。

「スマの事っスよ」

「あぁ」

「いくら1人だけ詩が出来ていないからって、カンズメにするのは可哀相っスよ」

「―――安心しろ、馬鹿犬」

「バっ!?」

「あいつの事だ。今頃抜け出して遊びにでも行っただろう」

 そう言い捨て、歩を進める。馬鹿犬と呼ばれた男は立ち止まったままだ。

「ん?」

 銀髪を帽子で隠した男は、眼の前にいる2人の人間を見つめ、珍しい出会いがあるものだと内心呟いた。

 

「よっ」

「久しぶりだな」

 KKは現れた男と挨拶を交わす。

「あ。Yuliさん」

「ベルか」

「お前達も散歩か?」

「馬鹿犬に無理やり付き合わされてな」

「Ash君も」

「ベルさん。それにKKさんも」

 遅れてアッシュが3人に合流する。

「という事は、お前達も同じ散歩だという口か?」

「えぇ。まぁ」

「クロが散歩に行きたいって言ったもんでさ」

「クロ?」

「あたしの猫の名前です」

「猫、か」

 1度アッシュの方を向き、意味深な笑みを浮かべてから前を向き直る。

「犬より可愛げがありそうだな」

「ユっ、ユーリっ!?」

「―――冗談だ」

「あ。ベル、そういえばクロは?」

「え?あ、あれ?そういえば―――」

 言われてからでは気付くのに遅し。周囲を見回しても黒猫らしい姿は何処にも見当たらない。

「あれぇ?」

「可愛く言っても、どうもならんぞ」

「―――ごめんなさい」

「ったく……しゃあねぇな。散歩がてら捜すか」

「はい」

「―――あれなら私達も手伝おうか?」

『えっ?』

 驚きの声を上げたのはベルと―――何故かアッシュ。

 冷たい紅色の眼が犬を睨みつけたが、瞬き1つして言葉を続けた。

「どうせ私達も暇をしていた所だ。猫捜しを手伝う事ぐらい何でもない。そうだろ?」

「え?あ、はっ、はいっ。そうっス」

「という事だ」

「でも……」

「言葉に甘えとけ、ベル」

 ポケっトから煙草を取り出し、1本咥えて火をつける。

「人手が多い方が見つけやすい」

「そうですね……すみません。お願いします」

 金髪をなびかせ、深々と頭を下げた。

 

「いい天気だと思わないか?京極」

「―――別に」

「何だ?何か不満でもあるのか?」

「有々」

 仲が良いとは決してお世辞でも言えない2人が川辺を歩いている。

「今日はゆっくりしていたかったのに」

「たまには外出しないと身体が鈍ってしまうではないか」

「別に鈍っても構いません」

「それでは僕が困る」

「―――どうしてですか?」

 意味の無い質問だと知りつつも問い掛けてしまう。

「段々身体が衰えて中年太りになってしまう君の事を考えると、僕は恐ろしくて夜も眠れないよ」

「―――榎さん」

 飽きれてものが言えないとはこの事を言うのだろう。額を押さえ、深い溜息をつく。しかし、残念ながら榎木津自身は

さっぱり気付いていない。

「まったく―――あれ?」

 ふと視線を下ろすと、1匹の散歩客が日光浴をしていた。よく手入れされた黒い毛並みが緑色の光沢を放っている。

「ん?ノラかい?」

 京極の肩越しに榎木津が顔を出す。

「いえ。違うと思います」

 榎木津を1人その場に残して歩きだす。ある程度近づくと気配を感じたのだろうか、猫が耳をピクピクと動かし、顔を

京極へと向けた。大きな瞳に光を取り込み、可愛らしいく首を傾げてみせる。

「多分、飼い猫です」

 手招きをしてやると猫は尻尾を動かし、警戒もせずに京極の手に近づいた。

「人懐っこいですし。第一に、ノラならこんなに毛並みがいいわけがありません」

「そういうものなのか?」

「そういうものです」

「そのわりに、石榴は僕に対して冷たい気がするが?」

「嫌われているんじゃないですか?」

「京極〜」

「嘘です。石榴は私以外には興味無いんですよ」

 小さな身体を抱きかかえてみるが、別に抵抗はされない。首元を見てみたが、首輪はなかった。

「じゃあ、飼い猫ならどうして?」

「逃げてきたか。それとも―――」

 もう1つの考えを口にしようとして京極は顔を上げた。

 

「クローっ」

「居たか?」

「いいえ」

「こっちには見当たらない」

「いないっス」

 ベルを中心に男達は頭を抱えた。周囲の川辺を調べ、それこそ草の根分けて探したが、クロの姿は何処にもなかっ

た。

 微かに目に涙を浮かべ、口を手で覆う。

「どうしよう。もし見つからなかったら、あたしっ」

「バカ。すぐ見つかるって」

「―――KKさん」

 力強い彼の声に元気を与えられる。

「そうっスよ。まだ諦めちゃ駄目っス」

「まだ探しきらずに諦めるのはよくないな」

「アッシュ君……ユーリさん」

「ほら、行くぞ」

「……はいっ」

「あれ?ちょっと待って下さいっス」

 気合いの入った彼女を止めるようにアッシュは口を挟んだ。眼を閉じ、ピクピクと耳を動かす。

「どうした?」

「鳴き声が聞こえるっス」

「鳴き声?」

「猫っス」

 一気に全員の視線が周囲に散った。草むらに、川に、土手の上に、そして互いの背後に。

「ん?」

 何かを見つけたユーリは綺麗な眉を釣り上げた。

「どうかしたっスか?」

「あれではないのか?」

 眼で『あれ』を示し、彼を除いた全員の顔が同時に同じ方向を向く。

『あ』

 視界に入ったのは着物を着た黒髪の男と、茶髪が目立つ普段着っぽい男の姿。彼らが前に店に来た騒がしい客だ

と覚えているのはKK1人ぐらいだろうか。視線は男達から座り込んだ着物の男に制限され、彼が抱き上げている何

かに集中された。

「クロっ!」

 1番に反応したのは勿論ベルだった。自分が泣いている事を忘れる勢いで走り出す。

「クロっ、クロっ!」

「―――はい」

「あぁ。クロ……よかった。無事で」

 差し出されたクロを抱きかかえ、呼吸が荒いというのに力1杯抱きしめる。

「やはり飼い猫だったんですね」

 京極は立ち上がり、小さな飼い主を見下ろした。

「はい。ありがとうございました」

「いえ。私はたまたまそこで昼寝していたその子を見つけただけですよ」

「昼ね―――そうですか。遊び疲れたんだね」

 腕の中に戻って来たクロに問い掛けると、ニャーと一声鳴いて黙り込んでしまった。

「どうやら安心して寝てしまったようですね」

「えぇ。あのっ、本当にありがとうございました」

 ベルは深々と頭を下げ、踵を返した。

 遠ざかっていく少女を見つめ、京極は榎木津に振り返った。

「帰りましょう」

「え?どうして?」

「石榴が気になったんです」

 すっと彼の横を通り過ぎる。

「駄目ですか?」

「―――ま。君がそういうなら帰ろうか」

「あれなら、うちに来ます?」

 その言葉には何が含まれているのか。

「喜んで招かれよう」

 2人は来た道を戻った。

 

「良かった」

 クロを抱いて戻って来たベルにKKは優しい言葉をかけた。

「はい。さっきの方が昼寝をしていた黒を見つけてくれたんです」

「よかったっス」

「本当だ」

「お2人には御迷惑かけました」

「そんな。別にいいっスよ」

「私達が勝手に手伝った事だ。気にする事はない」

「でも―――」

「アッシュ」

 何もない方へ振り返り、名を呼ぶ。

「帰るぞ」

「え?あ、はいっス」

「失礼する」

 背中で別れの言葉を告げ、歩き出す。

「それじゃあベルさん、KKさん。さようならっス」

「またな」

「さようなら。あのっ、本当にありがとうっ」

 ベルの声に、走り出したアッシュは振り返らず、ただ手だけを振った。

「―――俺らも帰るか?」

 2人の姿が見えなくなる前に問う。

「そうですね」

 来た道を振り返り、また川辺を歩き出す。

 少し傾いた太陽は、家に向かう6人を等しく照らした。


ひさぎに誕生日プレゼントとしてあげた小説。

なんか気分的にupしてみた。

ほら、これって一種の続き物っしょ?

せやから。

それにしても、ベルちゃんが少しおドジっぽく感じるのは俺だけ?

いや、別にそれはそれでよいのやけどね。

02.10.11

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