それは、一本の電話から始まった。
携帯の着メロが鳴り響く。滅多に聞く事の無い『はばたけザ・グレートギャンブラー』だ。
「はいはーい、今でるよぉ」
見ていたビデオを停止し、机の上に見捨てられていた携帯に手を伸ばす。これがどうでもいい相手からの電話
―――その中にバンドメンバーも含まれる―――なら完璧に無視するどころか、五月蝿いの一言で携帯を破壊
しかねない。それをしないのは電話の相手が大切な人―――もとい、電話の内容が大事な話のはずだからだ。
着信相手を確認せずに電話を繋げる。
「どもぉ。須馬でーす♪」
『あ。須馬さんですか?』
聞こえてきたのは顔見知りのとら●あなの店員。
「やっほ。どうしたの?珍しいじゃん。あ、何かいいもの手に入った?」
『えぇ。本当に、とてもいい物ですよ』
「え?何々?」
話が長くなると予想してテレビとビデオの電源を落とす。
『取れたんですよ』
たったそれだけの単語。それだけでスマイルには何が取れたか意味が分かった。
頃は11月半ば。少し秋風が冷たいと感じ出した、季節。
それの戦いは、始まる。
『頼まれていた、冬●ミのスペース♪』
「ユーリっ!」
騒音を待ち散らしてリビングのドアを開ける。
場所はメルヘン王国。ユーリの住まう城。
「どうした、一体。騒々しいぞ」
見ていた新聞から顔をあげて不機嫌そうな表情を浮かべる。
「そうっスよ、スマ。転んでもしらないっスよ」
お盆にコーヒーを乗せたアッシュが台所から出てくる。多分、ユーリに頼まれたのだろう。
「ヒヒッ。大丈夫だって」
「それで。一体どうしたんだ?」
「あ。そうだった。ね、ユーリ?」
「だからなんだ」
「修羅場用のマンション、少し借りていい?」
人気爆走中のヴィジュアルバンド『Deuil』。忙しい時はメルヘン王国に戻ってくる暇などもなく、その為に仮の住居
としてあるマンションの一室を借りている。
湯気のたつコーヒーに口をつけ、喉を潤してから喋りだす。
「別に今は忙しい時期ではないからいいが」
「ほんと?ありがとう♪」
「だがスマイルっ」
受け皿にコップを戻す。
「一体、何に使うつもりだ?」
「そうッスよね?当分はCDを出す予定はないッスし」
「別に人間界に行かなくても、お前にはちゃんと部屋があるだろうが」
「ん〜。だけどね」
はぐらかす笑みを浮かべて空中に『の』の字を書いてみせる。
「ちょっっっっっっっっっっと、私用ってヤツでね」
「私用?下らない事じゃないだろうな」
「下らなくないよっ!」
そのとたん、スマイルの声が変わった。
「僕にとってはいっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちばんっ、大切な事なんだからっ。下らなくなんか
ないよ全然っ、うんっ」
「スッ、スマ?」
「じゃ、ちょっと当分の間は向こうに住み着いてるから。何か連絡があったら携帯にかけてくれる?ま、時々必要な道
具取りに戻ってくると思うけど」
早口に説明し、閉めずにいたドアに手をかける。
「それじゃぁね〜♪」
ばたんっと音をたててドアが閉まる。
嵐が去った後は、どうしてだか必要以上に静かになる。
「――― 一体、何なんスかね?」
お盆を手にしたままアッシュが呟く。
「さぁな。どうせまた、オタクの祭典でもあるんじゃないか?」
「え?なんか言ったっスか?」
「―――いや、何も」
全てお見通しのユーリは、静かにコーヒーを啜った。
思い立ったが吉日。
スマイルの行動は無駄なく進んだ。荷物をまとめ、その日のうちに修羅場用アパートに移住。その日からは修羅場
は始まった。最新機種のPCが休むまもなく動き続ける。
彼女に会いに行ったのは、次の日の出来事だ。
「やっほぉ♪」
「あ、須馬さん」
肌色の肌をした彼は、ただの一般客を装ってとらの●なを訪れた。
時刻は、十時半少し過ぎ。
「元気してた?」
「えぇ、勿論。あ、これ」
簡単な挨拶を交わして目的の物を取り出す。
「どうぞ。ほんと、取れてよかったですよ」
「ありがとぉ♪ゴメンね。申し込み、頼んじゃって」
「いいんですよ。家の都合で家に送れないんでしょ?これくらい朝飯前ですよ」
冬コ●のサークル入場券が入った封筒を受け取って笑みを浮かべる。
「ちょっと複雑な事情があってね」
「気にしないで下さい。あ、あと原稿の方は?」
「さっそく取り掛かってるよ。ほんと、こんな遅くから初めて大丈夫なのも、全て君のおかげだよ♪」
脳裏を横切るのは外出の為に休みにやっと入れた可哀相なPCの姿。
「そんなっ。私も感謝してるんですよ。小さな印刷会社だから、いくら都会でも相手にされる事は無くて」
「こういうと失礼かもしれないけど、そのおかげで僕は助かってるよ。冬●ミギリギリ前でも余裕で印刷してくれるんだ
からさ」
「須馬さんはうちのお得意様ですよ?出来るだけの事はさしてもらいます」
「ん。じゃ、そろそろ僕帰るね」
「はい。じゃあ、頑張って下さい」
「来月ぐらいには原稿持って行くからねぇ♪」
受け取った封筒をヒラヒラさせて階段へと降りる。
「さて―――」
誰も見ていないのをいい事にスマイルは姿を消した。目的地は、修羅場用マンション。
「スマ、どうしてるっスかね」
「さぁな」
「さぁなって、ユーリ」
二人しかいない食卓で交わされる会話。
「気にならないんスか?」
「気になるもならないも、定期的にある事だろ?」
「そ、それはそうっスが」
スマイルが突然修羅場用マンションを貸して欲しいと言い出すのは決まって夏と冬に入る前。
「一体何があるんスかねぇ」
「だから言っているではないが」
「え?」
「―――オタクの祭典だ」
窓を叩く風が秋から冬に変わった事を告げている。
北風が激しく鳴いた。
「ワ〜ルド〜クのやぼ〜おぉ〜。く〜だ〜くた〜めぇ〜♪」
フル音量のコンポが唸り、フル音量で対抗するように歌うスマイル。修羅場用マンションは兼練習場所だけあって、
しっかりと防音はされている。だからこそ出来る技だ。
「ん〜。ダダ〜ダダダダぁ♪」
口と一緒に手もよく動く。タブレットを動かして画面に表示されている絵に色を塗っていく。
「にゃは〜。僕ってカッコイイ?」
などと口走りながら色を塗っているのは彼自身のイラスト。
「さーって、早くこの表紙を完成させないとなぁ」
ふと視線を横に向けると分別された書類が一列に並んでいる。
「便箋用イラストは出来たでしょ?ちなみに両面フルカラーのとシンプルに一色片面。それからぁ、無料配布の袋の
イラストに、ちょっと早い福袋用イラスト。新刊の中身は出来てるしぃ」
印刷された原稿から顔をあげると、眼の前には自分の部屋から持って来たギャンブラーZカレンダーが視界一杯
に広がった。毎日毎日バツをつけ、今日は十二月最初の日。
「冬●ミまで、あと四週間―――って所か」
完成している分だけでも、一度印刷してもらうのがいいかもしれない。そう決断するが早いか、スマイルは携帯の
短縮ダイヤルを呼び出して彼女に電話をかけた。
「―――あ、もしもし?須馬だけど」
『あ。どうも、こんにちわ。どうですか?調子は?』
「うん。まずまずだよ。それで、そろそろ先発隊だけでも印刷してもらおっかなって思って」
『分かりました。じゃあ、明日にでも持ってきてもらえますか?』
「分かった」
『ちなみに、今度の印刷予定は何なんですか?出来るだけ早く仕事に入れるように準備しておきたいんで』
「えーっとね、ちょっと待って。便箋が両面フルカラーのと一色片面のが一種類ずつ。それとB五とA四の袋も一種類
ずつ♪」
『袋がB五とA四、と。分かりました』
メモっているのだろう。電話の向こうでボールペンのノック音が聞こえた。
「あと、第二部隊はB五の本を数冊とカレンダーの予定だけど、大丈夫かな?」
『任せて下さい。なんとしてでも間に合わせてみせます』
「ありがと。じゃあ、明日ね」
『はい。おやすみなさい』
「おやすみぃ♪」
彼女の言葉に合わせて休みの挨拶をするが、それまでスマイルは時間がいつの間にか夜になっている事に気付
いていなかった。確認するように窓の外に視線を送らせる。
暗い。
「あ〜あ。もう夜じゃん。今日はもう寝よっと」
PC君にも無茶させてるし、と呟いて描きかけの画像を保存してPCを落とす。
「さってと、っと」
スマイルは立ち上がらず、その場に横になった。足元には朝蹴った布団が丸まっている。
「お休みぃ」
布団を首元まで引っ張り上げて瞳を閉じる。朝になれば、また修羅場が待っている。今月一杯続く、悪夢の修羅場。
それでもスマイルはそれを楽しむかのように明日が訪れるのを待った。
悪夢の終わりまで、あと一週間。
「―――やっほ」
「おはようござい、ま、す……須馬さん?」
今月に入ってスマイルが彼女の家に訪れるのはこれが二度目だ。肩から下げた鞄から大切に保管していた原稿を
取り出す。
「これが、最後、だから……お願い、ね」
「は、はい。分かりましたけど」
受け取ってから彼の顔を覗き込んでみる。別に顔色は悪くない。眼の下にクマも見当たらないが、スマイルはこれ
以上となく疲労のオーラを身に纏っていた。
「大丈夫ですか?なんだか、とてもつらそうですけど」
「え?あ、あぁ。大丈夫だって。あははは」
力無い笑みを浮かべて手をヒラヒラさせる。彼自身、自分の疲労がマックスに達しようとしている事には十分気付い
ている。ただ、だからといって今倒れるわけにはいかないのだ。冬コ●まで、あと一週間なのだからだ。
「ほら、顔色だって別に悪くないでしょ?」
「え、えぇ。そう、ですけど」
「だから大丈夫だって」
顔を塗っているのだから顔色が悪いわけがない。勿論、クマが出来る事も無い。
「それじゃあ、当日に、また会おうね」
「はい―――須馬さん。少しは眠った方がいいですよ?これから一週間は、私達に任せてくれればいいんですから」
「ん…そう、だね。そうするよ。あはは」
再び笑みを浮かべてみせる。
冷えた青空の下、都心はクリスマス一色になっていた。
「ユーリっ」
「放っておけ」
「そうっスけど」
「じゃあなんだ?」
ぬくぬくしたリビングで二人、暇を潰すように自分達が出ているミュージック番組を見ている。
「まだ、帰ってこないんスかね」
「もう帰ってくる」
「―――本当っスか?」
画面には今では懐かしいとすら感じてしまうスマイルが映し出されている。ただし、いつも彼等が見ている馬鹿っぽ
い顔ではなく、真面目なステージの表情だが。
「嘘をついてどうする?」
「そっ、それはそうっスけど」
「大丈夫だ。それに、そろそろ紅白の時期だろ?」
「え?あ、はい。そうっスけど」
「なら帰ってくる。あいつが今までに一度でも仕事を蹴った事があるか?」
「―――いえ。ないっス」
「なら大人しく待っていろ。まぁ、リハには来れるかどうかは分からんが、その時は―――アッシュ」
「はいっス」
「なんとかしてスタッフを誤魔化せ」
「―――はいっス」
ザワザワと聞こえてくる人々の話し声。眼の前を忙しそうに行き来するスタッフの姿。トラックが入ってくる道路。
そう。とうとうこの日がやって来たのだ。
「ヒッヒッヒッ。この日を待ってたよ」
そう呟くスマイルは長机の内側にあるパイプ椅子に腰掛けてそれらを眺めていた。目の前の机には完成したグッ
ズが綺麗に並べられている。
『頑張って下さいね』
印刷物をここまで運送してくれた彼女は、仕事があると言って行ってしまった。
「ほんと。あの子に感謝しないと」
長い髪が揺れる。今日のスマイルはいつもと違った格好をしている。外出の時は決まって肌色に塗り替える肌は
いつも通り青。左眼を隠しているのは眼帯だが、何故だか血のようなものが付いている。そして、問題なのは着てい
る服。眼帯同様血が目立ち、所々切り裂かれたようなあとがある。オプションは千切れた血まみれの兎の人形。包
帯が今日は身体を露わにする為ではなく、傷を隠すようにしているようにすら見えてくる。
「あのっ、すみません」
話し掛けてくる声に顔をあげる。
「はい?」
「あの、カレンダーとこの本下さい」
「ありがとうねぇ。えーっと、千五百円だね」
手際よく指定された商品を袋に詰める。
「はい、どうぞ」
お金と商品を交換して交渉設立。
「あのっ。スマイルのコスプレ、ですよね?」
「あ、分かってくれた?オリジナルだからどうかなって思ったんだけど」
「いえっ、そんなっ。凄く似てますよ」
「あはは。有難う」
軽く会話を交わすと女は人ごみに流されていった。
儲けを箱に入れて笑みを浮かべる。
「ん〜。自分で自分のコスプレするのって、なんか変な感じだよね」
誰にも聞こえないほどの声で呟く。
ジャンルは芸能。サークル名『Devil』は今日も大儲け。
「ほら、よく『Deuil』って『Devil』って読まれない?」
ぎゃはーっはっはっはっはっ。
とにかくいっぺん死んでこい自分っ!!
―――はい。
調子こいて書いてみました、オタクスマ2作目。
とうとう冬コ●ッスよ、冬●ミっ。
ちなみに自分、行った事ありません。
せいぜい愛知のコミケに行ったのが一番の遠出さ。
はぁ、悲しいね学生さん。
ついでゆーならオフ便箋すら作った事ありません。
そこらへんが人気爆走中ヴィジュアルバンドのベースのスマさん。
金持ちはやる事が違うよ、まったく(口調壊れ中)。
さてはて、今になって思った事は、いまだにと●らのあなの店員さんに名前が無い事。
次を書く予定があれば名前がつく―――かもしれない。
02.11.17