その日も少女は一人、客の居ない室内で店番をしていた。

 

 都内某所の洋書専門古本屋。その奥のカウンターに少女の姿はあった。肩にかかるほどの綺麗な金髪。細く

白い指が本を優しく包み込み、それを見つめる翠の瞳が光を受けて美しさを増す。

 取り扱っている書物が書物だけあって、店に訪れる客は少ない。それでも店長は洋書にこだわり、時たまに来

る数人の客に満足していた。それは少女も同じで、客がいない時には適当に興味を持った本を選んでは、カウ

ンター内で時間を潰しながら読む。

 洋書と言っても種類は山の様にある。その中に、少女の母国であるフランスの書物は勿論あった。日本に留

学してからそう読む機会がなく、毎日通って立ち読みしているうちに店長にバイトの話を持ちかけられたのだ。

 本を読みながら色々な事を考える。家に留守番させているペっトの猫の事や、お昼ご飯、何か買ってこなけ

ればいけない物は無いかと、頭だけ動いて手は動かない。

「―――すみませんっス」

 ふと人の声がして顔を上げる。すると、滅多に人のこない店内に客が立っていた。一冊の本を抱きしめる手

には怪我でもしているのか包帯が巻かれており、長い爪だけが顔を出している。そのまま目線を上げていくと、

目が隠れるほど長い少女の瞳と同じ翠の前髪がなびいていた。その髪と耳を覆い隠すように少し大きめな帽

子を深々とかぶっている。

「あっ。すっ、すみません」

「いっ、いや、別にいいっスよ。こっちこそ読書を邪魔してすみませんっス」

 彼の言葉は少しおかしいと思った。店員が店番をさぼって読書をしていたというのに、それを怒るどころか自

分が邪魔したと謝る人など、今までここでバイトをしていて見た事がなかった。

「これですね―――二千円になります」

「二千円っスね……はい。これでお願いしますっス」

「はい。丁度頂きますね」

 慣れた手つきでレジを扱い、本を袋にしまう。最後に店のテープを張れば終わりだ。

「ありがとうございました。またお越しください」

「ありがとうっス」

 誰にも見せるような笑みを男は浮かべた。白い歯がちらりと現れ、その中に脳裏に焼きつく犬歯が見えた。

そして、一瞬だけ前髪が揺れて、隠れていた目を見る事が出来た。血のように真っ赤―――いや、紅という

のが相応しい色。

 それらの容姿にぴったりの男を前に何処かで見た事があった。いや、もしかしたらもっと見ているかもしれ

ない。ただそれは実際に間傍で見たのが一回だけという事で、残りは全てテレビや写真という何かを通して

見たということだ。

「―――Ash君?」

「え?」

「やっぱり。Ash君じゃないかしら?Deuilの」

「あっ、えっ、はいっ、そっ、そうっスけど」

 突然動揺しだし、まるで冷や汗を流しているように見える。どうやら自分をファンの子と勘違いしているよ

うだ。

 小さく笑い、言葉を続ける。

「大丈夫。私はファンの子ではないわ」

「えっ。じゃぁ」

「覚えてない?」

「覚えて?――――――あっ!」

「お久しぶりね、Ash君」

「ベルさんじゃないっスか!」

 アッシュは受け取った本を落とす勢いで声を上げた。

 二人は過去に一回だけ顔を合わす機会があった。はっきりいって別の世界に住んでいる者同士で、ベル

自体会えるなど欠片として思っていなかった。なんせったって、相手は只今人気爆走中のヴィジアル系バン

ド「Deuil」のメンバーなのだから。

 第五回ポっプンパーティ。主催者はMZD。参加資格は何か一曲持ち歌を持ってくる事。何故かそれにベル

は招待された。確かに軽く歌う程度には好きだが、所詮は本屋のバイト人。本に囲まれた生活を続けていた

だけあって最近の曲にはうとかった。勿論、アッシュ達「Deuil」を知ったのも、実はパーティが初めてだった

りする。

「お久しぶりっス」

「ふふっ。元気そうね」

「はい。でも、最近次の作曲作りで徹夜続きなんっスよ」

「へぇ。また新曲を出すのね」

「といってもアルバムに入れるリミっクスのようなものなんっスけどね」

「そう―――」

 アッシュに会ってからというもの、できるだけテレビを見るようにした。そして「Deuil」だけは絶対に見逃さな

いようにした。彼らの曲は本当に素晴らしかった。あれなら最近の女の子達でなくなも聞きほれてしまうのは

仕方のない事だと納得できる。心打つ激しいドラム、目立たないというのに浮き出て見えてくるベース。そし

て、絶対に忘れる事の出来ない澄んだヴォーカルの声。ベースの人とは同じパーティで会った。いつもアっ

シュの傍にいてちょっかいばかり出していた。名前はスマイルと言ったはずだ。その日、ヴォーカルはいな

かった。なんでも第四回のパーティには呼ばれていたらしい。名前は―――

(ユーリ)

 胸中呟き、どんな人だったかを思い出してみる。細い銀髪、突き刺さるような紅眼、いつも黒が主のコート

やスーツを着込み、作り物なのかどうかは知らないがよくできた紅色の羽が背中にある。あの容姿に惚れた

女の子達はそう少なくないと言う。だが、ベルはそういう気にはなれなかった。確かに彼らは全員男だという

のに綺麗だとも思った。だが、何処か寂しさを背負っているように見えてならなかった。

(―――Deuil―――)

 バンド名を呟き、これが寂しさの元凶だと考える。

「ねぇ、Ash君?」

「何っスか?」

「これから暇?」

「え?あ、はい。今日はオフっスから暇っスよ」

「あぁ。せっかくのオフなら邪魔しちゃ悪いかな」

「いやっ、いやいや、そんな事ないっスよ。どうせこのまま戻ってもまた作曲作業に戻るか何か作るしかしな

 いつもりなんっスから」

「そう?―――なら、少しお話しない?」

「いいっスよ」

「良かった。なら少し待って。もうそろそろバイト終わるから、そしたら何処か外で話しましょ」

 少し駆け足でベルは店の奥にへと消えていった。

 

「ごめんなさい。少し待ったかしら?」

「いえっ。そんな事ないっスよ」

「じゃあ行きましょうか」

「はいっス」

 店の裏口から歩き出す。そろそろ夕日がビルに隠れようとする時間帯だけあって、道を歩く人の数はいつ

もより多く感じた。

 ふとアッシュを見上げると、ファンの子を恐れているのか、帽子を一段と深くかぶっていた。そんな彼に笑わ

ずにはいられなかった。

「ん?どうかしたっスか?」

「いえっ―――なんでもないわ」

「そうっスか?」

「ふふふっ……あ。あそこの店よ」

 名前だけ出しておいた喫茶店を指差し、進路を変更する。少し大通りから離れた小さな店だが、意外と上手

いといつだったかの客に聞いた事があった。そして、ここにも顔見知りが一人いる。室内と屋外と選べ、少し大

人っぽい内装というのがいいのか、やはり若い子達が友達と駄弁る為に好んでやってくる。

 カランと涼しげなベルの音が響く。

「すみっこにしましょうか?」

「あっ、そうしてもらえると嬉しいっス」

 人目を気にしながら前を歩くベルについていく。

 その少し変わった光景を、カウンター内にいた男は見逃しはしなかった。

「―――あいつら」

「おいっ。誰か今の客に水もってってくれ」

「あ、それなら俺行きます」

 男は不精ヒゲを触りながら仕事にとりかかった。

 

「いい店っスね。いつも来るんスか?こういう所」

「ううん。一緒に来る人もいないし、滅多に来ないわ。前にお客さんに勧めてもらったの、この店」

「そうだったんスか」

「久しぶりだな、お前ら」

 二人の会話を遮ったのはさっきの男だった。印象的な低い声に、アッシュは相手の顔を見ていないというの

に誰だか分かった。

「KKさんっ?」

「よっ。元気にしてたか?二人共」

 KKは場所に合った店の制服を着ていた。前に会った時が青のつなぎだったせいか、ギャっプに少し驚く。

「お久しぶりです、KKさん」

「今日もまた客、連れてきてくれたんだな」

「はい―――というか、ここ以外に話をできるような場所を知らないので」

「ははっ。まっ、こっちとしちゃどうでもいぃけどよ。お前が連れてきてくれた奴らがわりと来るようになったから、

 バイトのくせして店長に気に入られたっぽいからさ」

「それはよかったです。あ、私コーヒーで」

「それじゃあ俺も」

「了解。ま、ゆっくりしてきな」

 運んできたコっプを机の上に置き、さっさと戻っていく。その後ろ姿を見送ってから、アッシュは話し掛けた。

「いつも来るんスか?」

「いつもってワケじゃないけど。時々みんな店に来てくれるのよ。それで何処か話をする場所はないかと思う

 とここぐらいしか知らないのよ、私。それにここならKKさんもいるし、店の雰囲気も好きだから」

「へぇ」

「よく来るメンバーは、やっぱりあの四人かしら」

「四人って?」

「ほら、隣りの雑貨屋さんにさなえちゃんがいるでしょ?だからりえちゃんとか」

「あぁ。スギ君とレオ君っスか」

「えぇ」

 一言区切ってから、小さく笑う。

「でもね。彼ら、今ちょっと立ち寄り禁止令出されてるのよ。KKさんに」

「えっ?どうしてっスか」

「あいつらが五月蝿いからに決まってんだろ」

 いつの間に現れたのか、さっきと同じ盆にコーヒーカっプを乗せてKKが背後に立っていた。

「まぁ、彼らは悪気があったわけでもないんだけど―――」

「悪気があって五月蝿いなら、それこそ迷惑だってんだよ」

「そっ、そんなに五月蝿かったんスか?」

 二人の前にカっプを置き、盆を頭の後ろに回す。

「五月蝿いも何も、あれだけは店長にド叱られたぐらいさ」

 その時の光景を思い出し、肩を竦める。

「ま。店長がその事を忘れるか、それとも店長交代になるまで禁止だな」

「えぇっ!?」

「―――なわけねぇだろ」

 ぽんっとアッシュの頭を盆で殴る。

「ベル。そのうちまた連れて来い。ただし、今度は騒ぐなって釘さしとけよ」

「えぇ、分かったわ」

 彼女の声に答えるようにKKは手を振ると、軽い足取りで戻っていった。

 出されたコーヒーに各自クリームや砂糖をいれ、スプーンで軽くかき混ぜる。

 

「そしたらスマイルがやっぱり原因だったんっスよ」

「ふふふ。面白いわね」

「まぁ、話すだけなら面白いっスけど、実際には凄かったんスよ、ほんとに」

 会話は面白いように弾んだ。いつの間にかコーヒーもなくなり、それでも席を立とうとは二人共しなかった。

「そういえば―――」

 話の切れ目を見つけ、本題へと繰り出そうとする。

「ねぇ、Ash君」

「何っスか?」

「貴方、『Deuil』が何処の言葉か知ってるかしら?」

「『Deuil』って―――俺達のバンド名の事っスか?」

 周囲を見回し、小声で聞き返す。

「えぇそうよ」

「んー。恥ずかしいっスけど、実は知らないっス」

「じゃあ意味も?」

「はいっス」

「そう」

 少し―――といっても瞬きするほどの時間だが―――目を伏せ、すぐに顔をあげる。

「その名前は誰がつけたのかしら?」

「ユーリっスよ」

「ていうと、ヴォーカルの人ね」

 脳裏を横切る銀髪の青年。

「はい、そうっス」

 ユーリの話になったとたん、アッシュは嬉しそうに声をあげた。そしてベルが聞いていようといまいと構わない

感じで、ユーリについて長々と語った。

「あっ、すみませんっス」

 やっと自分が喋りすぎた事に気付いてしゅんと縮こまる。

「ううん、別に気にして無いわよ―――好きなのね、彼の事が」

「えっ!?」

「変な意味にとらないで。人間として好きっていう意味よ」

「あ。そういう意味っスか。好きっスよ。ユーリも、スマイルも、そしてベルさんもみんな好きっスよ」

「―――ありがとう」

 小さく答え、きゅっと唇を閉じる。そして、少し間を空けてからさっきの質問の答えを呟いた。

「『Deuil』っていうのは、フランス語なの」

「フランス、語?」

「えぇ。私の母国語よ」

「そうなんっスか?じゃあ意味も知ってるんっスか?」

「―――えぇ」

「教えて欲しいっス!」

 翠色の髪の向こうにある目がしっかりとベルを射止めた。その見えない瞳に一瞬身体の自由を奪われ、苦笑

が浮かべれる程度になってから唇を動かした。

「―――悲嘆。愁傷。死別の悲しみ。死去。葬儀。そして、喪服―――」

 アッシュは、何も答えなかった。

 知らなかったバンド名の意味を知り、それに見に覚えがあるのか、そっと目を伏せた。

 やはり彼らには暗い過去があると、ベルは確信した。

「ごめんなさいね」

 先に口を割ったのはベルだった。

「こんな話して。気分悪くした?」

「いっ、いえ。そんな事ないっスよ。それどころか―――」

 彼はベルの予想していなかった言葉を口にした。

「感謝したいぐらいっスよ」

「!?」

 どうしてか分からなかった。確かに最近のバンドの名前は不思議なものが多く、ファンの子達も響きが好きだ

からそれでいいと言っている者たちまでいるという。だが、悲嘆や愁傷と聞いて、それに対して感謝したいとい

う彼の気持ちが分からなかった。

「俺。ユーリの気持ち、何も知らなかったっス―――最悪っスね」

 ハハっと空笑いし、顔を大きな手で覆う。

 彼にかける言葉はないと、思った。

 静かに立ち上がり、そのままレジへと向かう。

「お?もうお帰りか―――と。あいつはどうした?」

 暇だったのか、KKは読んでいた新聞を雑くたたんで横に置いた。

「彼は少しの間そっとしてあげておいて。お勘定は私が出すわ」

「そうか?ま、了解。あいつにもそう言っておくよ」

「―――ありがとう」

 ベルは彼の何も聞かない所が好きだ。どれほど不思議な状況であってもこっちが言うまで聞こうとしない態度。

それが少し妖しい雰囲気の彼を信じられる所だ。

 そそくさと勘定を済まし、その場を去ろうとする。

「――――――」

 最後にどうしても気になってしまって、ふと振り返った。

 アッシュは、まだ悩みこんだまま、ピクリとも動いていなかった。

 

 どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。

 言わなければ分からなかったのに、言わなければ彼は知る事がなかったのに。

 彼は最初自分に感謝し、そして落ち込んだ。

 一体彼らがどれほどの付き合いからは知らないが、ユーリの胸のうちを察してやれなかった自分が相当悔しい

のだろう。

「一体……何、してるんだろう。私」

 気付けば、夕日の尾びれが沈もうとしていた。

 

 


一体何を書きたかったんや自分(汗)。

はい、本人さんもあまり分かりやせん。

ただベルちゃん書きたいなぁ思うたら―――

ベル→フランス語→Deuil=フランス語→ベルは意味を知っている→メンバーの中に意味を知らない人がいる→

命名者は絶対にユーリだろう→案外スマイルは知っていそう→アッシュ、実は知らなさそう。

―――の結果、こうゆー話になったわけ。

ちなみにKKのおる喫茶店ゆー設定は、風呂でふとおまけCGのイラスト思い出して決定(爆)。

ま、どうだったでしょうか?

 

02.6.25

 

戻る